イングマール・ベルイマン「愛欲の港」 港湾労働者と不幸な工女の愛

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イングマール・ベルイマンの1948年の映画「愛欲の港(Hamnstad)」は、港湾労働者と不幸な工女の愛を描いた作品。1946年の「危機」で監督デビューしたベルイマンにとって五作目の作品で、いわゆるベルイマンらしさが確立される前の実験的な雰囲気を感じさせる。男女の愛に、当時のスウェーデンの社会的な問題を絡ませており、単なる恋愛映画ではない。

問題は、特に女のほうが重いものを背負っている。その女の家庭は、両親の夫婦仲が悪いせいで崩壊していた。、娘と二人で暮らすことになった母親は、娘の反抗的な態度を持て余して、二度にわたり児童養護施設に入れてしまう。つまり、娘は母親から虐待されており、その虐待に、保護司を前面にたてた権力が加担しているという構図が伝わってくる。だから娘は社会全体を相手に戦っているという具合になり、その娘に男が救いの手をさしのべるというような構成になっている。

八年間の船上生活にけりをつけて陸に上がった男が、ある女(母親から虐待されていた娘)とカフェで出会い、親しくなる。その女ベリトは、映画の冒頭で港から海に身を投げて自殺を図っていた。男ヨスタはそのことには触れず、デートを楽しむ。すると母親が介入して、なにかと妨害する。母親にいやけがさすと、ベリトは男の部屋を訪ねたりする。ヨスタはエーテボリの港湾労働者になり、仲間と部屋を共有している。

ベリトはたちの悪い連中とつきあっていたようで、その連中にちょっかいされる。ヨスタが女を守ろうとすると、返り討ちにあってけがをさせられる。そんなヨスタに、ベリトは自分の過去を語る。過去のことはどうでもよいとヨスタは言うが、自分のことをよく知ったうえで付き合ってほしいとベリトはいう。

ベリトは、以前施設で一緒だった女から金を貸してくれと言われる。妊娠したので堕胎の費用がいるというのだ。当時のスウェーデンでは、堕胎するのは難しかったらしく、いかがわしい女の手にかかって堕胎したところが、手術が失敗して、その女は死んでしまう。それについてベリトは、警察から事情聴取される。母親や保護司もそれに立ち合い、ベリトに責任があるような言い方をする。

ベリトは、施設送りを何とか免れ、ヨスタとともに暮らすことに希望を見出すのだ。最後が希望で終わっているので、多少は救いがあるが、全体としてかなり暗い雰囲気の映画である。






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