井伏鱒二は、昭和13年(1938)に「ジョン万次郎漂流記」で直木賞をとり、人気作家としての地歩を固めた。そのころが彼の創作活動の最初のピークであり、短編小説にもすぐれたものが多い。昭和12年には志那事変が勃発しており、日本は全面戦争へと突き進んでいく時代であるが、井伏の作品には戦争の影は全くといってよいほどない。昭和16年には陸軍に徴用され、シンガポールに赴いて、陸軍の意向をうけた活動をした。対米戦争の勃発を知ったのは、シンガポールへ向かう船の中であった。その戦争で、日本軍はシンガポールを拠点とするイギリス軍をも撃退している。そういう雰囲気にあっても、井伏の作品には戦争の影を見ることがない。
直木賞をとった昭和13年をかれの最初の創作活動のピークとしたうえで、その年に書かれた短編小説をいくつか取り上げてみたい。「みつぎもの」、「岩田君のクロ」、「隠岐別府村の守吉」それに「槌ツァと九郎治ツァンは喧嘩して私は用語について煩悶すること」の四作である。
「みつぎもの」は、隕石をめぐる人間の意地の張り合いのようなものを描いた作品。私を名乗る語り手が、上野の博物館で見た隕石の印象に魅せられ、自分も隕石を手に入れたいと思うようになる。上野の博物館の隕石は、その一部を直角に切られ、その切った部分の石で刀を打ったとある。隕石は鉄でできているので、刀を打てるのであろう。自分もそんな隕石で刀を打ってみたいと私は思うのである。
そんな折に、旅の途上立ち寄った甲府のうなぎ屋で、隕石をみた。女中が言うには、山登りの客が茶代のかわりに置いていったのだそうだ。それを卓袱台の上に乗せ、耳をあてるとざあざあと風の吹き渡るような音が聞こえた。その際には、その隕石を手に入れたいとは思わず、東京へ戻ってから、古道具屋を探し歩いたが、みつからなかった。
次にそのうなぎ屋に行った時には、譲ってもらおうかという気になったが、結局果たさなかった。手に入ったのは三度目に行った時である。その際に一波乱おきた。その隕石はさる飲み屋の主人の手に移っていたのだったが、先般の女中とともにその飲み屋にいったところ、どういうわけかその主人と意気投合し、一緒に深酒をするはめになった。その深酒が過ぎて、飲み屋の主人が狼藉をはたらいた。その狼藉の償いとして、主人は私に隕石をよこしたのである。私が隕石に愛着していることは、件の女中が飲み屋に話したのであろう。飲み屋はそれを狼藉へのつぐないとしての「みつぎもの」だというのである。
要するに隕石をダシにして、私と飲み屋の主人との意地の張り合いのようなことを書いているわけである。この小説は井伏の骨董趣味が現われたものであろう。井伏は戦後も「珍品堂主人」という骨董屋を主人公にした小説を書いている。
「岩田君のクロ」は、闘鶏をテーマにした作品。岩田君とは、語り手である私の友人で小説家志望だが、大病を患って余命いくばくもない。その男が私に手紙を送ってきた。一つは闘鶏の親分笹山の団蔵への闘鶏挑戦状、もうひとつは「闘鶏挑戦記」と題する文章。その文章のなかで岩田君は、クロという名の軍鶏を育てたことに触れている。立派に育ったクロは、きっと団蔵の軍鶏に勝てるに違いないが、岩田君の寿命はその試合までは持ちそうにない。というわけで、井伏得意の動物趣味を反映した小説である。軍鶏の様子が生き生きと描写されている。
「隠岐別府村の守吉」は、ラフカディオ・ハーンが沖ノ島を訪れた時に、土地のものが大騒ぎした様子を描いたもの。沖ノ島には文久三年にも異人が来たことがあった。その際、別府村の守吉というものが異人との交渉にあたり、手際よく異人を去らせた。それを島のものは覚えていて、今回も守吉を交渉役に立てた。守吉はなにやらペラペラとしゃべったが、それを聞いたハーンが、「おおなつかしの物語」と一言いった。ハーンが沖ノ島に行ったのは事実だそうだ。また「おおなつかしい」という言葉はハーンの常とう句だったそうだ。井伏は壱岐の島を訪ねたことがあり、おそらくその際に聞いた話をこの小説の中でとりあげたのだと思う。
「槌ツァと九郎治ツァンは喧嘩して私は用語について煩悶すること」は、井伏の郷里福山地方の方言をめぐる話である。福山地方では、人々の話す言葉は、階級を反映していた。高い身分の言葉と低い身分の言葉は明瞭に区別されていたらしい。例えば両親を指す言葉としては、地主は「オットサン」「オッカサン」といい、村会議員とか顔役は「オトッツァン」「オカカン」といい、自作農は「オトウヤン」「オカアヤン」といい、小作人は「オトッツァ」「オカカ」という具合だ。語り手の私は「トトサン」「カカサン」と呼んでいたが、これはもう死語になった言葉である。
人の名を呼ぶときには、身分の高いものから順に、「何々さん」「何々ツァン」「何々ヤン」「何々ツァ」「何々サ」となる。こうした事情を背景にして、村長の九郎治ツァンと俄成金の槌ツァの間で喧嘩が始まる。その喧嘩は、言葉を動員する様相を見せる。一方が大阪弁を武器にすると、もう一方は東京弁を武器にするといった具合だ。大阪弁も東京弁も福山弁より文明的だと思われているのだ。しかし俄勉強で覚えた他地の言葉はそううまくは使えない。そのうちぼろが出たりして、二人とも使わなくなった、というような話である。これは井伏の郷土言葉へのこだわりを書いたものであろう。
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