井伏鱒二戦後の短編小説 「遥拝隊長」ほか

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井伏鱒二は戦時中甲府や郷里の福山に疎開していたが、昭和22年に東京の自宅に戻った。その後短編小説を中心に多くの作品を発表、中編小説「本日休診」で、第一回読売文学賞(昭和25年)を受けたりしている。昭和25年は短編小説でも、底光りのするような優れた作品を発表した。ここでは、そのころの井伏鱒二の短編小説を代表する作品三篇を取り上げたい。「遥拝隊長」「かきつばた」「ワサビ盗人」である。

「遥拝隊長」は、戦場で心身に傷を負った傷痍軍人くずれの話である。戦時中の井伏は、戦争を正面から取り上げた作品は書かなかった。戦後数年して初めて戦争にかかわる話を書いたのが、この「遥拝隊長」である。だが、この小説は戦争を直接描いているわけではなく、一傷痍軍人の戦後の日常を描いている。それに併せて、かれがなぜ心身に傷を負ったか、その経緯を第三者の証言として紹介している。要するに、間接的な形で戦争を描いているわけである。

この傷痍軍人岡崎悠一(三十二歳)は気が狂っている、というふうに紹介される。戦争は終わっているのに、まだ戦争が続いていると思い込み、自分は以前通りの軍人だと勘違いしている。普段はおとなしくしているが、一旦発作が起こると、軍人として行動する。自分は小隊の隊長であり、近所の人々は自分の部下である。そういう思い込みから、かれはだれかれかまわず命令し、そのあげくに皇居のある方向に向かって遥拝するように命令する。そこで遥拝隊長というあだ名がつけられたのである。

悠一が発作をおこすと、母親が連れ戻しにきて、納戸の檻に閉じ込めるのであるが、三日もたてば檻から出してやる。そのうえで近所の人々に迷惑をかけたことを謝罪する。近所の人々は、母親ひとりでは生活していけないことがわかっているので、大体のことは我慢するのである。

ここで悠一の過去が簡単に紹介される。悠一は頭はよさそうだったので、村長のはからいで幼年学校に入った。そののち士官学校を経て陸軍に任官。少尉としてマレー方面に配属された。そのマレーで、悠一は中尉に昇任した直後に脚に大けがをし、内地に送り戻された。村の人々は、悠一の脚が悪いのと、頭もいかれていることに気が付いたが、その原因となったいきさつについては、ろくろく知ることがなかった。本人の悠一自身が語らないし、母親のほうも要領が悪かったのだ。

そこへ、村人棟次郎の弟与十がシベリアから帰ってきて、悠一が脚にけがをし、また頭もいかれてしまった経緯を皆に語った。かれはシベリアから内地に帰還し、敦賀から故郷へ戻る汽車のなかで、かつて悠一の部下として仕えた上田という男と出会い、その男から、悠一がけがをしたことや頭がおかしくなったいきさつを聞いたのである。悠一は現役のときから融通が利かないたちで、年中部下を怒鳴り散らしていた。部下は部下で愚痴をこぼす。あるとき、友村という部下が吐いた言葉が気にいらず、その友村を成敗してやろうと意気込んだ。友村はトラックの中にいたので、自分もトラックに入り込んだが、二人で組み合っているときに、トラックが突然振動し、そのあおりで二人は車外に投げ出されてしまった。友村はがけ下に落ちた後川に沈んでしまい、悠一は石にぶつかって脚に大けがをした。そのさいに石に頭をぶつけて、頭がおかしくなってしまったようなのである。

上田という男は、悠一の頭がおかしくなったのは、友村の怨霊がついたためだと推測したが、いづれにせよ、譫妄のたぐいの発作は一生続くだろうということだった。

こうして悠一のけがや頭のいかれた事情が村人に知れ渡ったころ、与十が帰還したことを先祖に報告するために、与十の兄と、その友人橋本屋さんと新宅さんのあわせて四人で墓参りに出かけた。一同が墓前に並んだところ、背後から大声でどなるものがあった。悠一が発作を起こしたのである。目が吊り上がっている。「しゅうごう、小隊、あつまれえ」と叫ぶと、「気をつけえ、右へならえ、なおれ」と命じる。そして「東方へ向かって遥拝の礼を捧げたてまつる」という。また、饅頭を下賜されたといって、それを小さな団子にわけ、四人に配った。その汚らしい団子を見て、四人は気を悪くしたが、黙とうのやりなおしをして去ってしまった。

まあ、要するに戦争のために心身ともにいかれてしまった男の話である。

「かきつばた」は、広島に原爆が落とされた日の前後の人々の様子を描いた作品。語り手は福山にいることになっているから、井伏自身の体験をかなり踏まえているのであろう。原爆自体は直接は触れられていない。それよりも、福山の町が空襲にあったとか、その空襲で仮の宿にしていた家が、庭石もろとも破壊されてしまったとか、友人の家の窓から季節はずれのカキツバタが咲いたとか、そのカキツバタが咲いている池に、一人の女の遺体が浮かんだとかいったことがらが淡々と描かれるのである。

井伏は、後に「黒い雨」を書くために、周辺の人からいろいろと情報を集めたそうだが、そうした情報の一部がこの作品にも盛られているようである。ひとつ興味深いのは、原爆が投下された直後、福山から広島方面に向かう列車は止まってしまったが、それを国鉄の職員はじめだれも原因がわからない、とあるところである。よほど混乱していたことが察せられる。

「ワサビ盗人」は、天城山麓のワサビ畑でワサビを盗んだ男を捕まえる話である。伊豆の天城山は、信州の安曇とならんでワサビ栽培で有名なところだ。そこへワサビ盗人がやってくる。結構いい値段ではけるので、盗みに来るものが絶えない。ワサビ農家は注意を怠るわけにはいかない。この小説では、釣好きの老人が、沢でヤマメ釣りをしている最中、たまたま盗人の存在に気付いて、村の人々ともどもその盗人を捕まえるところを描く。捕まったやつは悪びれる様子もなく、「ちかごろ、ワサビの値が高すぎるから悪いんだ。ヤマメなんかも値が高すぎるから、川に毒流しするやつがあるんだ」と放言する始末である。






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