井伏鱒二晩年の短編小説 「無心状」ほか

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井伏鱒二が代表作「黒い雨」を書いたのは67歳のときである。67歳といえば、作家にとっては晩年といえると思うが、井伏は95歳まで生きたから、晩年というのは早いかもしれぬ。じっさいかれは、その年になっても旺盛な創作力を発揮していたし、短編小説類にも優れたものが多い。ここでは井伏の60代半ばの短編小説二本をとりあげ、その魅力を探ってみない。取り上げるのは「無心状」と「コタツ花」である。

「無心状」は一青年の淡い恋心を描いたもの。小説とエッセーの中間のようなもので、読む人によっては、井伏が自分自身の体験を書いたのだと受け取って不思議ではない。作家の永井龍男はそのように受け取ったうえで、あまりにもよくできているので、「あの話は嘘だろう?」と聞いたそうである。井伏は本当だと答えたそうだが、もしこれを小説だとすれば、うそも本当もないわけである。

原稿用紙にして20枚にも満たぬ短いものだが、なかなか中身が濃い。出だしは、語り手が40年ぶりに古本屋で「近世絵画史」という本を見かけたところから始まる。その本がきっかけとなって、語り手は40年前に体験した出来事を思い出すのである。その出来事というのが、ある女性とのかりそめの触れ合いなのだった。その触れあいは、本格的な恋愛関係には発展せず、なんとなく終わってしまったようだが、語り手の心に大きな余韻を残したようである。その証拠に、40年前には買わずにすませたその本を、わざわざ買うのである。実用からではない。自分の思い出の記念としてなのである。

タイトルにある無心状は、語り手と女性とを媒介する役目を果たす。語り手は郷里の兄に金を無心する手紙を書いた。ところが、大学の教授に提出すべきレポートと勘違いして、その無心状を教授に渡してしまった。読まれたらえらい恥をかくところだ。そこで語り手は教授の家に押し掛けて行ってレポートのかわりに無心状を取り戻す。その帰りに、本郷三丁目の停留所である女性を見かけた。その女性に語り手はかねてから関心を抱いていたのだが、なかなか声をかけることができないでいた。ところが今回は、気軽に声をかけることができたのである。教授とのその日のやりとりが、かれを大胆にしていたらしい。

声をかけられた女性は、思いかけず反応した。彼女は絵が好きらしく、高橋源吉という画家の噂話を始めた。それがきかっけで二人は本郷のさる古本屋に立ち寄り、日本美術史と題する本を立ち読みした。さいわいその本には高橋源吉についての記事も載っていた。相手の女性は本の記事の一部を読んだりしたが、その様子を見て語り手は胸に鼓動を覚えた。結局その本は相手の女性が買い、二人は別れた。その後のことは書いていない。

さて、語り手はそのことがあってから40年後に、まったく同じ本屋であの時と同じ本を見かけたのである。そしてそれを記念のしるしとして買ったのであるが、その本が果たして彼女があのときに勝った本なのかどうかはわからない。わかるのは、語り手の恋心が実らなかったことだけである。

「こたつ花」は、釣り好きな男と、これもまた釣りが好きな老人との交流を描いたもの。語り手であるその男は、信州の姫川上流にある代場という村に焼物制作の窯元の世話になりにいく。その際、反故伝と呼ばれる老人と知り合いになる。小説はその老人と語り手の触れ合いを描くのである。

二人は釣りが縁で知り合いになった。語り手が渓流へ釣りに行くと、その老人が相当年季の入った釣り人のような格好で話しかけてきた。老人は語り手の釣り道具を見て、「お前、こんなメメズじゃ駄目だな。ここの川には、フナは住まねえよ。あのの、この川の釣りは、今なら蜂の子でなくちゃ仕事になんねえよ」といい、また道糸が細すぎて切られてしまうと批評した。老人は語り手を案内して蜂の子をとりにいくが、その途中マムシを見つける。マムシは金になるといって、老人は器用にマムシをとらえる。語り手はその様子を、気味悪く思いながら見ているのである。マムシは体内で子供をかえらせる。かえった子供は親の腹を突き破って外へ出るそうである。

語り手がヤマメ釣りのコツを教えてくれというと、老人はヤマカカジをつかまえて、「あのの、このヤマッカジが、川魚を捕る名人だでの。お前、釣りしるときの,気の配り方、身のこなしを、これに教えてもらえばいいだでの」という。そしてヤマカカジを相手にしばらく遊ぶ様子を見せる。この老人は蛇と相性がいいのである。老人は、五年前にヤマカカジが奮闘する様子を見たことを話す。五年前にこの一帯が大嵐に見舞われ、大きな土砂崩れが起こった。その土砂崩れに巻き込まれたヤマカカジが必死になって身の安全を図ろうと奮闘していた。老人はただ見守るだけだったが、ヤマカカジの必死に生きようとする姿には感心したようである。

語り手はその後、甲州の貸川村に移動することにした。出発の前夜に老人にあって挨拶をしたが、老人はめずらしく晴着をきていて、なにやら紙に書いた字を読んでいた。盆踊りの歌の文句が書いてあるという。こんなふうに別れて語り手は貸川村に移った。部屋へ通されると、代場村で見た撫子のような花が活けてあるのが見えた。代場村の人はこの花をコタツ花と呼んでいた。ここでもそう呼ぶのかねと聞いたところ、ここでは「おでん花」と呼ぶという。語り手は東京へ戻ると、さっそく図鑑を開いてこの花のことを詳しく知ろうとしたが、これだと思われる花は見つからなかった。小生も図鑑にあたってみたが、やはり見つけることはできなかった。






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