エリック・ロメールの1986年の映画「緑の光線(Le Rayon vert)」は、「喜劇と格言劇」シリーズ第5作。若い女性の悩みを描く。この女性デルフィーヌは、他者との間に良好なコミュニケーションがとれずに、孤立感を抱いている。夏休みを一緒に過ごす相手がいない。家族はアイルランドに行くというが、自分はその気になれない。比較的仲のよい女友達の誘いに応じて、シェルブールで一夏過ごすことにする。ところが、その女友達の仲間との共同生活になじめない。自分一人が仲間はずれにされているという疎外感に悩まされるのだ。
女友達がパリに戻るのに乗じて自分もパリに戻るが、一人ぼっちの孤独感にさいなまれる。山にいる友達を訪ねていくが、早々に引き上げる。再び一人ぼっちになった彼女は、その悩みを女友達にぶちまける。女友達は、ビアリッツに別宅があるから、そこにしばらく滞在し、素敵な出会いを待てばいいとアドバイスする。ビアリッツの浜辺で、外国人の若い女性と出会い、一緒にボーイハントをするが、うまくいかない。
パリに戻ろうとしてビアリッツの駅にいるとき、一人の若者と近づきになる。一目でその若者が気に入った彼女は、思い切って自分から声をかけるのだ。それがきっかけで二人は急速に接近する。自分の意外な大胆さに、彼女は満足する、といったような内容だ。
大した見せ場はない。タイトルの緑の光線にまつわるエピソードがこの映画の売りである。そのエピソードは三つの場面からなる。一つは、中年女たちがジュール・ヴェルヌの小説「緑の光線」の批評を行う場面。ヴェルヌはフランス人にとって国民的な作家ということらしく、中年女の大部分が読んだことがあるという設定だ。二つ目は、中年女と一緒にいた初老の男が、入日が発する緑の光線について講釈する場面。太陽が地平線に沈む瞬間、緑色の光線を発するというのだ。その講釈をデルフィーヌは覚えている。そこで三つ目は、若者と入日を眺めていたところ、太陽が緑の光線を放つのを見て、二人で喜ぶという場面である。
何ということはないが、ヴェルヌをダシにしながら、映画の筋を組たてていくところが、ロメールらしい何気なさの演出だといえる。洒落た青春映画である。
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