井伏鱒二の小説「多甚古村」は、昭和14年に雑誌に分載したものを一冊にして同年のうちに刊行したものだ。二年前に本格的な日中戦争が始まっており、欧州では第二次大戦に向かってきな臭い空気が漂っている時期、つまり日本も世界も戦争の影に覆われている時代だ。そんな時代だから、この小説にも戦争の影がさしている。だいたい出征兵士にかかわることから始まっているのだ。だが、戦争の影はせいぜい出征兵士への言及にあらわれるくらいで、そんなに大きな影を投げかけているわけでもない。この小説は、戦前の権威主義的な日本社会における、人々の行動のパターンみたいなものに焦点をあてている。そのパターンとは、住民はなにごとにつけてもお上の指導を仰ぎ、お上のほうも良民を適切に指導するのが自分らの天職だと思っているような態度に裏付けられたものである。
小説は、田舎の駐在所の警察官の日記という形をとっている。その田舎というのが多甚古村という村なのだが、これがどこにあるのか、明確な言及はない。井伏の田舎広島の福山のはずれかと思い、ヒントをさぐったところ、盈進高校というのが出てきた。これは福山にある高校なので、やはり福山が舞台かと思いきや、駐在所を管轄する警察署が、高松警察署と同じ県警に属していることになっているから、香川県にあるとも考えられる。だが、そもそも作者の井伏は、小説の舞台を明示することにこだわっていないのだろう。おそらく、戦時中の日本でどこにでも見られた駐在所をモデルにしているのだろう。
この小説を読むと、駐在所というのは、単に地域の治安を維持するのみならず、地域住民の生活に深くかかわっていることが納得される。現代日本の警察は、民事不介入を旗印にして住民の生活にはなるべくかかわらない方針をとっているようだが、この小説の中の駐在所は、住民生活のあらゆる部面に深くかかわる。警察官が自主的に住民生活に介入することもあれば、住民のほうから、自分たちの近隣関係を調停してほしいと申し入れてくる場合もある。懸案は多岐にわたっていて、大きなことでは水をめぐる地域同士の争いの調停があったり、小さいことでは、夫婦げんかの調停といったことがある。自殺者が出た時の騒ぎについては、これは警察本来の仕事だから、警官が深く介入することはわかる。
駐在所には、警官がひとり詰めているばかりで、その一人の警官が、住民生活のあらゆる部面で出動する。休む暇もないくらいで、場合によっては、冷や飯をかきこんで朝飯にしたり、寒さに震えながら一晩中仕事に励んだりする。犯罪者が山の中に逃げ込むと、村の人々と一緒になって山狩りをする。村人とは一体なのだ。その村人は、主人公の警察官にとっては、取り締まりの対象であったり、保護すべき弱者だったり、相互関係を調停すべき存在だったりする。そんなわけだから、警察官の職務意識は強烈である。強烈な職務意識があるから、警察官はすさまじいエリート意識をもっている。そのエリート意識が小説のあちこちで噴き出してくる。たとえば半島出身の人を鮮人と呼んで卑下したり、カフェの女をダルマと呼んだりである。ダルマとは娼婦のことらしいが、なぜそう呼ぶのかというと、ダルマのように誰でも安易に転がすことができるからだという。
井伏はなぜこんな小説を書いたのか。この小説を虚心に読むと、井伏は警察官の目線に立って書いているわけだから、井伏自身もその警察官と同じような心情を共有しているのではないかと思われないでもない。だが、この小説は、一警察官の日記という体裁をとっていて、そこに小説の普通の意味での語り手は出てこない。あくまでも、架空の人物の日記なのだ。その日記をそのままに紹介するという形をとっているので、日記の書き手とこの小説の作者とは別のものである。こういうタイプの小説はなかなかクセがある。こういう一人称タイプの小説をドストエフスキーも好んで書いたもので、ドストエフスキーの場合には、一人称の語り手に自分自身の思想をある程度まで盛り込んだところがあるが、井伏のこの小説の場合には、そんなに簡単に割り切れない。この小説の中の日記の作者である警察官と、井伏自身の関係は、この小説の枠組みからは明らかにはならない。
あるいは、井伏はこの警察官の権威的な姿勢をそのままにあからさまに示すことで、そうした権威主義にとらわれている日本社会を、間接的な形で批判したと考えられないでもない。この警察官は人種差別的な言葉を平気で使うし、また自分の持っている権力をあからさまに表出しようとする。そういうかなりゆがんだ行動を、本人の言葉や行動として、あからさまに描き出すことで、井伏は当時の日本の時代環境を手厳しく批判したと考えることもできる。つまり井伏は、アイロニーの手法を用いて、同時代の日本を批判したとも考えられるのである。
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