正法眼蔵第五十六は「見仏」の巻。見仏とは、仏を見る、あるいは仏にまみえるということである。その仏を見るということの真相はいかなることか。それについて道元は詳細に説いていく。まず冒頭で見仏という言葉を定義し、それについて法華経から見仏について説いた言葉を引用し、具体的な解説を加える。したがってこの巻は、大部分が法華経への注釈という体裁を呈している。その後、師如浄及び趙州眞際大師の言葉を引用し、それに注釈を加えて結びとしている。
巻の冒頭で道元は金剛般若経の次のような言葉を引用して見仏とはなにかについて定義している。「釋牟尼佛、告大衆言、若見諸相非相、即見如來」。これは仏には諸々の相があり、同時に諸々の相がないということを見れば、すなわち如来つまり仏を見るということだという意味である。あると同時にないということがわからねばならぬと言っているわけで、矛盾した言い方に聞こえるが、これが金剛般若経の即非の論理である。
この引用に次いで道元は、その意味合いをやや詳しく説いている。「いまの見諸相と見非相と、透脱せる體達なり。ゆゑに見如來なり。この見佛眼すでに參開なる現成を見佛とす。見佛眼の活路、これ參佛眼なり」。仏の諸相を見ることと、仏の諸相にあらぬものを見ることと、この二つが同時にできてはじめてすっきりと体得できる。それを仏を見るというのである。仏を見る目がぱっちりと開けば、仏にまみえることができる。それはまた、仏に参じる眼でもある。
要領を得ないようにも聞こえるが、仏を見るとは、仏の姿を見ることではなく、仏の教えに通じることだと言いたいようである。
この直後に道元は、以上とはまったく異なる意味に聞こえる涼院大法眼禪師の言葉を引用する。「若見諸相非相、即不見如來」。これは釈迦の言葉とは、「即見如来」が「即不見如来」に変わっているので、釈迦と全く反対のことをいっているように聞こえる。ところがそうではない、と道元は言う。釈迦は「諸相と非壮途をともに見れば」という意味で言っているのに対して、禅師は「諸相は非相だと見れば」と言っているというのだ。「諸相は非相だ」と見れば、諸相そのものの否定になる。だから見仏どころではなくなる、というのである。
次いで、法華経の中から見仏にかかわる九つの語句を取り出して解説していく。第一は法師品から。「爾の時に釈迦牟尼佛、靈鷲山に在しき。因みに藥王菩薩大衆に告げて言く、若し法師に親近せば、即ち菩薩道を得ん。是の師に隨順して學せば、恆沙佛を得見す」。法師に親近すれば菩薩道を得、この師に随順して学せばおびただしい数の仏にまみえるであろう。ひたすら法師にしたがって修行すべきだというのである。
第二は安楽行品から。「釈迦牟尼佛、告一切證菩提衆言、深入禪定、見十方佛」。これは深く禅定に入りて十方仏を見る、と読む。深く禅定すれば仏にまみえることができるというのである。
第三は普賢菩薩勧発品から。「釈迦牟尼佛、普賢菩薩に告げて言はく、若し是の法華經を受持し讀誦し正憶念し、修し書寫せん者有らん、當に知るべし、是の人、則ち釈迦牟尼佛を見たてまつり、佛の口より此の經典を聞くが如し」。法華経を受持し讀誦し思念しまた書写すれば、仏にまみえることができるというのである。
第四は分別功徳品から。「釈迦牟尼佛、大衆に告げて言く、若し善男子善女人、我が壽命の長遠なりと説くを聞きて、深心に信解せば、則ち為佛、常に耆闍崛山に在して、共に大菩薩、諸聲聞衆に、圍遶せられて説法したまふを見る。又此の裟婆世界は、其の地瑠璃にして、坦然平正なりと見る」。もし善男善女がわたしの寿命が長遠だというのを聞いて深く信じれば、仏が常に耆闍崛山にあって大菩薩らに囲まれながら説法するのを見るであろう。そのときこの地上は瑠璃色に輝き、平坦であるのを見るであろう、というのである。
第五は如来壽量品から。「釈迦牟尼佛、告大衆言、一心欲見佛、不自惜身命。時我及衆僧、倶出靈鷲山」。一心に仏を見ようとして自ら身命をおしまなければ、われと衆僧はともに靈鷲山に出ずる、というのである。
第六は見多宝品から。「若し此の經を説かば、則ち我と多寶如來及び諸の化佛を見ると爲す」。法華経を説けば釈迦と多宝如来及びもろもろの化仏にまみえることができるというのである。
第七は神力品から、「能く是の經を持すれば、則ち已に我を見ると爲す。亦た多寶佛及びその分身者を見る者なり」。第六ともども法華経の功徳を説いたものである。
第八は妙荘厳王本事品から。「雲雷音宿王華智佛、告妙莊嚴王言、大王當に知るべし、善知識は、是れ大因なり。所謂化して、佛を見て、阿耨多羅三藐三菩提心を發すことを得しむ」。善智識とは高僧のこと。高僧に従って修行すれば仏にまみえることができ、さとりの境地に達するというのである。
第九もまた如来壽量品から。「釈迦牟尼佛言、諸の功を修すること有りて、柔和質直なる者は、則ち皆我が身此に在りて而も法を説くを見る」。諸々の功徳を納めてしかも心が柔和なものはわが身がここにあって法を説くのを見るであろう、というのである。
以上法華経からの引用に続き、先師如浄の言葉が引用される。その前に、宋国におけるなげかわしい現象を批判する。僧で禅師と称するやからはみな仏教の神髄をしらず、臨済・雲門のことばのはしくれを真理と勘違いしている。「かれら、おのれが愚鈍にして佛經のこころあきらめがたきをもて、みだりに佛經を謗す。さしおきて修せず。外道の流類といひぬべし。佛の兒孫にあらず、いはんや見佛の境界におよばんや」といった厳しい言葉を投げている。如浄の言葉は次のようなもの。「眉毛を策起して問端に答ふ、親曾の見佛相瞞ぜず。今に至るまで四天下に應供す、春は梅梢に在り雪を帶して寒し」。これに道元は次のような解釈を加えている。「いはゆる見佛は、見自佛にあらず、見他佛にあらず、見佛なり。一枝梅は見一枝梅のゆゑに、開花明明なり」。
最後に趙州眞際大師とある僧とのやりとりが紹介される。僧が南泉を親しく見たかと問うたのに対して、大師は「大根頭が見えたわい」と答えたというのである。それが大師にとっての見仏だったわけだ。
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