井伏鱒二の小説「漂民宇三郎」は、「ジョン万次郎漂流記」同様、徳川時代に起きた日本人の海洋漂流をテーマにした作品。ジョン万次郎とその仲間の漂流は幕末時代のことであり、万次郎は日本に帰還後一定の政治的役割を果たした。それに対してこの小説が取り上げた漂流は、長者丸という漁船の乗組員の漂流で、天保年間に起きたものだ。日本に帰還した乗組員が政治的な役割を果たすこともなく、一過性の事故として片づけられたようだ。しかも、「万次郎漂流記」が、一応事実を踏まえているのに対して、この小説の主人公格宇三郎は井伏の想像上の人物である。井伏は、本当は実在したのだが、ほかの乗組員が口裏を合わせて存在しないことにしたのだと書いているが、それは小説の技法上での方便であろう。
長者丸漂流事件というのは、越中富山の漁師たちが天保九年(1838)11月に、三陸沖で暴風のため遭難し、五か月間の漂流の後アメリカの捕鯨船に救助され、各地を転々としたのち、天保十四年(1843)5月に択捉島に帰還したというもの。数か月の漂流の後、アメリカの捕鯨船に救出され、ハワイなどの各地を転々としたことは万次郎らの漂流と同じである。井伏はそこに因縁のようなものを感じて、同じような物語を書いたのではないか。ただし、宇三郎という架空の人物を主人公に選んだ。物語は、その宇三郎からの聞き書きの物語である素老生の「異国物語」に取材したという体裁をとっているが、これもまた架空の物語であり、実際は、実在の乗組員から取材した「蛮談」や「時規物語」を材料に使っているようである。
この小説は、宇三郎という架空の人物を中心に展開していくが、実在の人物の中では、次郎吉に重点を置いている。次郎吉は、日本帰還後に「蛮談」を口述するなど、漂流の詳細を日本人に向かって報告する役目を果たしている。また、漂流中にもかなり大きな役割を果たしていたようである。この小説の中では、他のメンバーと反目して孤立した宇三郎になにかと気を使っている。また、外国語の習得能力が高く、仲間のために通訳の働きもしている。
それにしてもなぜ井伏は、宇三郎という架空の人物を小説の主人公に仕立てたのか。宇三郎はそんなに派手な性格ではなく、小説のなかでのエピソードにも目まぐるしいものは指摘できない。ハワイで現地の女アイランに惚れられたこととか、漂流中に食った米粒に二つもみ殻が混じっていて、それをハワイの土地で苗に育てたことくらいである。しかもアイランとの関係は尻切れトンボのように途中で終わってしまうし、もみ殻もその後どうなったかわからない。つまり、あまり影の濃さを感じさせないキャラクターなのである。小説の題名は「漂民宇三郎」になってはいるが、ただ単に「漂民物語」でも差し支えないのである。
当初、宇三郎を含め11人いた乗組員のうち、択捉に帰還したのは6人である。宇三郎をのぞく4人のうち、船長の平四郎と宇三郎の兄金六は漂流中に自殺した。二人とも船を漂流させた責任を負ったのである。択捉に上陸した6人のうち、太三郎と七左衛門は病死した。太三郎の死因は性病であった。ハワイで娼婦から移されたのである。そういうわけで、11人のうち4人だけが、越中の故郷に帰還することができた。
小説の読ませどころは、漂流中の乗組員同士の人間関係と択捉島に帰還して後の公儀による尋問だろう。乗組員の人間関係があまり良くなかったことは、船長と金六が自殺したことからうかがわれる。船長も金六も漂流について責任を感じていたし、ほかの乗組員には被害者意識があった。それがかれらの団結心を乱し、仲間を自殺に追いやったといえなくもない。また、宇三郎が金蔵はじめ他のメンバーと反目するところにも、乗組員同士の団結が弱いことがうかがわれる。そうじてこの漂流船の乗組員は、万次郎の仲間に比べて親交の度合いが弱いようである。
公儀による取り調べは3年以上かかったことになっているが、なぜそんなに時間がかかるのか。当時の官僚機構の不能率を物語っているのか。しかも取り調べにあたった役人らは、いずれも責任感に欠けていることを感じさせる。その無責任さを、漂流民たちは責めるわけでもなく、ひたすら平身低頭してかしこまっているばかりである。
そんなわけでこの小説は、「ジョン万次郎漂流記」から一段の飛躍が見えるとは言えないようである。なお井伏はこの作品を、昭和29年4月に雑誌に連載を始め、翌昭和30年12月に完成している。たいして長いとも言えない小説としては、かなりな時間を要しているわけだ。
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