雑誌「世界」の最新号(2024年10月号)が、「格危機の人新生」と題するサブ特集を組んで、核開発とりわけアメリカのそれが、地球規模の災害をもたらしていることに警鐘をならしている。核開発は巨大規模の核実験を伴い、その実験が周辺の住民は無論、周囲の環境、ひいては地球全体に深刻な影響を及ぼす。だから人類は、これを人類全体の生存の危機として捉え、そのコントロールに自覚的にならねばならないという。
アメリカの核実験が周辺の環境とそこに住む人々に与えた影響を検証する論文が二点寄せられている。一つは「沈黙の廃墟」と題する石山徳子の小論。これはアメリカ西部ワシントン州のハンフォード・サイトにおける核実験を取り上げたもの。マンハッタン計画と呼ばれる核開発の一環として、ハンフォード・サイトで核実験が行われた。通常のイメージでは、砂漠の無人地帯で行われたと思われがちだが、実は大勢の先住民が住んでおり、その先住民の犠牲の上で実験は行われたという。論者は、核開発に関わったアメリカの白人たちが、先住民をまともな人間とはみなさず、かれらの犠牲に無関心だった、といってその傲慢な姿勢を批判する。その姿勢は、植民地主義的な人種差別意識に基づくものだ。その人種差別意識が、白人による有色人種への抑圧を合理化しているというわけである。こういう指摘は、白人社会の中からはなかなか出てこないと思うので、石山のような非白人が指摘するのは非常に有意義であると思う。
二つ目は、太平洋のマーシャル諸島におけるアメリカの核実験の検証(竹峰誠一郎「放射能とともに歩む」)。マーシャル諸島にはビキニ環礁も含まれており、そこでの核実験では、日本人も被爆させられた(第五福竜丸事件)。ビキニ環礁での核実験は、早くも1946年に始まり、1958年まで続けられた。ビキニ環礁では住民の事前避難が行われもしたが、その他の環礁や島では避難の必要がないとされた。実際には必要があったわけで、避難しないことにより多大な量の放射能を被爆した人があった。かれらへの配慮はなきに等しい。逆にかれらは実験の手段とされた。人体実験である。噴飯物は、アメリカ本土で発生した放射能汚染土を、マーシャル諸島に運んできて埋めたことだ。そんなわけで、マーシャル諸島の人々は「アメリカはやってきても、私たちを人間としてあつかわない」と言って、怒りをあらわしている。
アメリカの白人たちのやってきたことは、人種的優越性を振りかざした植民地主義である。自分らの都合のためには、人種的に劣った種族を犠牲にしてもよい。そういう思想がアメリカの白人には染みついている。その人種差別的な植民地主義を、アメリカの同盟国を自負するイスラエルが振りかざしている。かれらは自らの人種的優越性を根拠に、パレスチナの地を侵略し、抵抗する先住民を虐殺し続けている。そういったむき出しの暴力がまかりとおる今日の世界だからこそ、石山や竹峰の研究は国際的な価値を持つと思う。
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