1961年のイタリア映画「アッカトーネ(Accatone)」は、ピエル・パオロ・パゾリーニの監督デビュー作である。パゾリーニといえば、「デカメロン」以下の「生の三部作」や「ソドムの市」など数奇な雰囲気の映画つくりで知られているが、デビュー作のこの「アッカトーネ」は、イタリア・ネオレアリズモを感じさせるようなシリアスな作風である。戦後間もないころのイタリアの混乱を背景に、職にあぶれた若者たちの退廃的な生き方を描いたものだ。画面には瓦礫の山が多出するので、終戦間もないころのイタリアの町を感じさせる。だが、この映画が作られたのは1961年のことだから、それは実際の光景ではない。戦後かなり経過した時点で、戦争直後の様子を描いているわけである。
アッカトーネというあだ名の青年が主人公。かれにはヴィットリオという本名があるのだが、仲間からはアッカトーネと呼ばれ、自分もまたそれを受け入れている。アッカトーネとは乞食を意味するイタリア語だ。じっさいかれは、乞食のような生き方をしているのである。それも女を食い物にするような生き方である。イタリアの男には、女を食い物にして平然としているのが多いと聞くが、この映画の中のアッカトーネもそうした男の一人である。
アッカトーネは、マッダレーナという娼婦のヒモである。彼女は客に乱暴されて脚を怪我する。ところがアッカトーネは、そんな彼女に同情しないばかりか、いまから客を取りに行けとせきたてる。彼女がアッピア街道で客待ちをしていると、数人の男たちが車でやってくる。その男たちは、彼女を寂しい場所に連れて行って、一人が彼女と一発やったあと、どういうわけか彼女を袋叩きにする。彼女は警察に保護される。警察で彼女が自分を袋叩きにしたとして指名した男たちは、まったく違う連中だった。
このことで、マッダレーナはアッカトーネとの関係を断つ。マッダレーナの家から追い出されたアッカトーネは、妻の自宅に赴く。妻はかれに愛層をつかしていて、かかわりあうのを拒絶する。しつこくつきまとうかれを、妻の兄と父親が追い払う。アッカトーネには息子がいるのだが、その息子とも仲良くさせてくれない。
そんなアッカトーネの前に、一人の若い女が現われる。ステラという貧しくて身寄りのない女だ。その女にアッカトーネは惚れる。なにか贈り物をしたいが金がない。そこで息子が首にかけている金の十字架を盗んでステラに与える。ステラは、アッカトーネが貧しくて、まともな暮らしをしていないことを見抜く。そんな彼女にアッカトーネは客をとらせようとする。ステラもそれを了承する。だが、いざとなると逃げだす。
そんなだらけた暮らしをしていたアッカトーネが、ある日突然死んでしまう。オートバイで自爆したのだ。映画では、いきなりアッカトーネが自分の葬式に立ち会うという形で、そのことがアナウンスされる。かれの葬式には、友人たちが多少集まってはきたが、すぐに忘れられてしまうだろう。そんな暗黙のメッセージを発しながら映画は終わる。
戦後間もないころのイタリアは、敗戦国でもあり、経済状況は壊滅的で、アッカトーネのような失業者が沢山いたと思われる。パゾリーニはそんなイタリアの状況を、記録しておきたかったのであろう。かれは、フェリーニの映画「カビリアの夜」の脚本を書いた。カビリアはマッダレーナの原像だったように思う。
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