ピエル・パオロ・パゾリーニの1968年の映画「テオレマ(Teorema)」は、イタリア国内ですさまじいスキャンダルを引き起こした。カトリック教会を中心にして、その反道徳性を非難する声が巻き起こったのだ。たしかに、われわれのような外国人がこの映画を見ても、かなりな反道徳性を感じる。それは、この映画がキリストをパロディ化していると、誰にもわかるからだ。この映画に出てくる放浪の若者がキリストのパロディであり、かれによって破滅の淵においやられるブルジョワ(イタリア語ではボルゲーゼという)の家族が、現代に生きるキリスト教徒をあらわしていることは、日本の中学生でも見抜くことができよう。
現代のキリストである放浪の若者が、ブルジョワの家庭のメンバーを魅了するプロセスは、かつてパレスチナの地に現れたキリストが、人々を次々と魅了していったことの再現である。かつてのキリストは、死後人々の心に残り、永遠にたたえられた。現代のキリストである放浪の若者が去った後は、残されたブルジョワの家族は次々と狂っていく。その狂い方が、古代のユダヤ人たるキリスト教徒とは違う。かれらは信仰に狂ったのであるが、現代のキリスト教徒たるブルジョワは、愛の渇きのために狂うのである。
テレンス・スタンプ演じるキリストがブルジョワの家族に現れると、家族のメンバーは次々とかれに魅了される。家政婦エミリア(マグダレナのマリアをイメージさせる)を別にすれば、まず息子が同性愛を若者に向ける。次に妻が性的な対象としてキリストにせまる。彼女はいきなり若者と一発やるのである。そのあと、娘がキリストによって処女を破ってもらう。彼女の乳首はまだ子供のままなのに、性欲だけは大人並みなのである。最後に父親が若者に性欲を覚える。父親は、自分の息子が若者と寝ている所を見て、催してしまうのである。
若者が屋敷から去ると、家族のメンバーは次々と不調に陥る。最初に娘のオデットが狂い、半死状態に陥って救急車で運ばれる。次に息子が狂い、自分の画家としての大事な作品に向かって放尿する。母親は、うずく性欲に駆られて次々とボーイハントにいそしむ。息子のような若者たちを相手に、みだらなセックスに耽るのだ。最後に父親が狂う。かれの狂い方は一風変わっている。自分が所有する企業を労働者に与えてしまうのだ。資本を労働者に与えたものは、もはやブルジョワとは言えない。ブルジョワをそんなに狂わせるほど、現代のキリストは怪しい力を持っているのだ。
テレンス・スタンプは、ウィリアム・ワイラーの映画「コレクター」で、あやしい男を演じていた。その怪しい雰囲気が、この映画でもよく出ている。なお、原題のテオレマは、イタリア語で定理とか公式という意味。
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