ピエル・パオロ・パゾリーニ「豚小屋」 獣姦と人肉食

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ピエル・パオロ・パゾリーニの1969年の映画「豚小屋(Porcile)」は、前作の「テオレマ」に劣らずスキャンダラスな作品である。前作のようにキリストが出てくるわけではないが、堕落したキリスト教徒たちが出てきて、人倫を嘲笑するような振舞いをする。しかもキリスト教徒は、現代だけではなく、過去の時代からずっと堕落していたのだ。この映画は、現代と過去の時代(中世?)の出来事が交互に描かれるのであるが、現代の話の中心人物は、豚とのセックスを楽しんだあげく、豚どもに食われてしまうのであるし、過去の時代の中心人物は、父親を殺し、人肉を貪り食ったあげく、キリスト教会によって処刑される。そのやり方がおぞましい。身体を拘束されて野原に放置され、野犬の餌に供されるのである。

現代の話は、ブルジョワの一家が中心である。一家はクロッツというドイツ風の姓で、ドイツ人たちとの付き合いが深い。中には、ヒトラーを想起させるようなキャラクターも出てくる。ヒルトと呼ばれるその男は、ユダヤ人を殺したのは科学発展のための材料としてであり、理にかなったことだったと自己弁護する。それに対してクロッツは、さもあらんという表情をする。クロッツの息子は、自閉症気味で、不可解なことばかりする。かれには女友達がいて、両親とくに母親は息子が彼女と結婚してくれるのを願っている。しかし息子にはその気はない。かれには獣姦の性向があって、豚どもとセックスするのを楽しみにしているのだ。

一方、過去の時代の話は、一人の青年を中心に展開する。その青年は原野をさまよいながら、蝶や蛇など手当たり次第に食う。だが、それでは飢えをしのげない。かれの主食は人肉なのだ。そこで、たまたま人間と出会うと、その人間を殺して食料にすることを考える。映画の冒頭の場面は、青年がたまたま出会った少年を殺し、頭を切り離した身体を貪り食らうさまを写すのである。

現代の話と過去の時代の話との間に、つながりはない。まったく関係のない出来事が並行して語られる。唯一、同じ人物が二つの時代をまたいで出てくる。かれが、過去の時代では青年やその仲間の処刑の様子を見守り、現代では、クロッツの息子が豚に食われた事実を父親に報告するのだ。

こんな具合に、かなりの荒唐無稽さを感じさせる作品だ。ヨーロッパのキリスト教文化の欺瞞性をあざ笑っているように思える。だから前作同様、世間の反応は厳しかった。こんな映画ばかり作っていると、やがてヨーロッパでの活躍舞台を取り上げられるだろう。実際パゾリーニはまともな死に方をしなかった。





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