東京体育館の仕事は変化に富んでいて、しかも楽しかったから、小生はしばらくの間いてもいいなと思っていた。だが、役人の世界というのは、動きたいと思う時には留め置かれ、留まりたいと思う時には動かされるということになっている。事業課長としては一年しかたたないで、動かされることになった。異動先は教育庁体育部である。そこの学校健康担当副参事というポストに横転した。局内での異動ではあるが、一応出向先から戻ってのことであるから、教育文化財団からは「東京都教育委員会の事務部局へ出向を命じる」という辞令をもらい、教育長からは「学校健康担当副参事を命じる」という辞令をもらった。その際次長から特命があった。都内の全公立学校を対象に、労働安全衛生法を施行せよというものだった。これは行政監察からの指摘事項なので、至上命令だとも言われた。
異動先のポストは、体育部の保健給食課にぶら下がるものだった。体育部では組織改革があり、従来の体育課、保険課、給食課の三課体制から、体育課、保健給食課、指導課の三課体制に変わっていた。保健給食課は、旧保健課と給食課が合併したもので、課長は医師の指定ポストだった。そこで事務屋の課長職を配置し、それに給食にかかわる仕事と特命事項を担当させることにした。そんなわけで小生は、実質的には給食課長として振る舞った。部の庶務担の体育課長と学校現場を訪ねる時には、給食課長と紹介された。
保健給食課長は、小生が衛生局に在職中、同じ部の難病対策課長をしていて、色々と付き合いがあったので、すぐにうちとけた。小柄だが肝の据わった女性であった。小生が赴任するとすぐに、給食にかかわる団体要請を処理してほしいと言われた。その団体は学校給食に低温殺菌牛乳を導入することを目的に掲げていた。その団体の威勢のいい女性たちがやってきて、是非学校給食に低温殺菌牛乳を導入せよと迫られた。牛乳はかならず殺菌することになっている。殺菌の方法には二通りある。ひとつは高温(110度以上)で瞬間的に殺菌する方法、もう一つは低温(60度)で30分間殺菌する方法。低温殺菌は手間がかかるだけ費用がかさみ、供給体制もしっかりとはしていない。だから俄かに学校給食に導入するには高いハードルがある、と赴任早々の小生にも見当がついた。ともあれ、低温殺菌について知識がないと対応ができないので、小生は文献を集めて研究した。参照した文献はだいたい海外のものであった。保健給食課長は小生を牛乳博士になってもらいたいと言って励ましてくれた。
特命の労働安全衛生法の施行については、そんなにたいしたことはないだろうと、タカをくくっていた。小生は若い頃に衛生管理者の資格をとったくらいで、法律の趣旨については一応の知識をもっていた。法の趣旨からしてなすべきことは、各学校に安全衛生委員会を設置させること、その事務局の業務の担い手として衛生管理者を配置すること、また産業医を配置することだった。衛生管理者については、すでに各学校に配置されている養護教諭に兼職させればよい、また、産業医については、学校医に兼職させればよい。法律の趣旨は、教職員の安全衛生にかかわることなので、誰も反対するものはいまい、と踏んでいたのだ。ところがそれは甘い見通しだった。この仕事はかなりのエネルギーを要するものだったのである。簡単にできることだったら、とっくに実現していただろうから。
労働安全衛生専任の担当係長をあてがわれた。小生より数歳年長の非常にしっかりした女性であった。じっさいこの女性には非常に助けられた。この仕事が結果的にうまく運んだのは、大部分が彼女の力によるものである。彼女が言うには、この仕事がこれまでうまくいかなかった理由は、組合の強い反対があったからだ。だからまず、組合を説得してその気にならせ、そのうえで各学校の指導に入らねばならない。まずは都立学校で実施のめどをたて、そのあとに小中学校にとりかかればよいだろうとの見通しをたてた。都立学校の組合は、大きく分けて二つある。一つは都立高校の教職員組合(都高教祖)、もうひとつは養護学校の教職員組合である。養護学校の組合のほうは、早い段階から理解を示してくれた。養護学校の教員は、ハードな業務を抱えているので、その安全衛生にかかわることについては、かれらなりに問題意識を持っていたからである。一方、都高教祖のほうはなかなか手ごわかった。組合の幹部は一定の理解を示してくれたが、現場の拒絶が大きいと言うのである。その理由は、養護教諭は児童生徒の健康のために配置されているのであって、教職員の安全衛生は本来業務ではない。別途専任のスタッフを配置すべきだ、というのであった。
組合の幹部との間では、専任のスタッフを配置するような性格のものではなく、養護教諭による兼職が現実的だとの共通理解を得るところまでは進んだ。だが、そのことによって養護教諭の負担が増すのは確かなことなので、その負担増の部分について、都教委として何らかの措置(予算措置のこと)を講じてもらいたいというのが、組合側の言い分であった。そうした組合とのやりとりについては、局の労務担当である人事部勤労課長と密接な連絡をとり、いろいろ助力してもらった。この課長は、例の人事部稲門会でかねて見知った仲であったので、なにかと面倒を見てくれた。
学校医を産業医に兼職させることについては、当然のことながら東京都医師会の承諾がいる。そこで医師会に脚を運んだ。都医師会とは、衛生局在職中親密な付き合いをしてきた経緯があり、事務局長とは非常に仲良くしていたので、快く受け入れてくれ、さっそく専任の理事をつけてくれた。その理事という人が、なかなかできた人で、この仕事の実現に骨を折ってくれた。
労働安全衛生の仕事で汗をかく一方で、給食の分野では、給食用牛乳の価格をめぐって業者とのさや当てがあった。学校給食牛乳担当係長から、値上げについて業者から要望があったと話されたのが始まりだ。それは無理筋の要望だろうというのが直観的な判断だった。給食用牛乳といえども、その価格は市場の動向を踏まえておらねばならぬし、また、財源の制約もある。給食用牛乳は、農林省から出る補助金を財源としている。通常は、どの都道府県でも、その補助金の額と一致する金額に牛乳の買い入れ価格が設定されている。だから、それを超えた価格を設定するためには、自治体による単独負担か、保護者による負担を増やすしかない。どちらも非常にむつかしい。その理屈を業者に語って聞かせても、かれらは自分の利益しか頭になく、ひたすらに価格上昇を主張するばかりである。挙句は、都議会の議長に直接陳情し、担当課長のせいで牛乳価格をあげてもらえないと訴えられた。議長は体育部長を呼んで、業者の要望が実現可能かどうか確認した。その場には小生も当然同席した。値上げについての制約を説明し、実施は困難だと言ったところ、議長は理解してくれたようである。業者の連中はそのほかにも、容器を瓶から紙にかえてほしいとか、低温殺菌牛乳は手間がかかるので、牛乳の価格をあげてもらわないかぎりやれないなどと、勝手なことばかり言っていたものだ。その業者を監督するのが経済局の畜産課長である。この課長は獣医師の出で、なかなか気のいい男であった。
労働安全衛生については、都高教組との交渉が一段落し、最後の条件として、養護教諭への兼職手当てを出すこと、実際の施行は都教委側が責任をもって行う、という事項が提示された。手当の予算措置は、財務局を説得するのがむつかしいと話したところ、都高教組の書記長が小生の席から直接主計部長に電話を入れ、予算措置について承諾してもらった。こういう時には、組合の力も利用するものだ。その結果、体制準備が整い、施行のための実施要項を作り、それを都教育委員会にはかる段取りになった。小生は非常に安堵したのを覚えているが、思いがけない所から邪魔が入った。都教委のメンバーの中に、この要綱に強く反対するものが現れたのである。その委員は、教職員とその組合を甘やかすような措置は必要ないと言って、要綱の採決をさせなかったのである。どうしてこんなことになってしまったのか。体育部長も教育長も、この制度が自治体にとっての至上命令だということは十分わかっていたはずだ。なにしろ教育長は、この仕事を小生に特命した張本人である(その際は次長だった)。だから、委員会の席上その委員を説得すべきだったのである。この案件は、後日の委員会で再議され、可決されはしたが、この一件は小生にとって腹ふくるるものであった。
制度としての体制が整ったことで、小生は、労働安全衛生担当係長とともに、教育現場に赴いて制度の趣旨の徹底を図った。ブロックごとに定期的に催される校長会に赴き、その場で制度の趣旨を説明し、各学校のやるべきことを周知し、その実施結果を個別に報告させることにした。通知一枚でできるようなことではなく、各学校を直接指導しなければならない。かなりしんどい仕事だった。校長の中には、優柔不断な人間もいて、養護教諭らをなかなか説得できない。そういう校長には小生自ら発破をかけねばならない。また、産業医の件についても、一部の学校で混乱があった。それを都医師会の理事が深刻に受け止め体育部長に苦情を言ってきた。体育部長は、医師会からの苦情にびっくり仰天して、小生をいたく非難したものである。それを勤労課の労務係長が聞きつけて、小生に同情してくれた。課長も災難続きですな、給食やら労働安全やら、方々で難癖をつけられ、まるで往復びんたを喰らったようですな、と。医師会の担当理事とは日頃良好な関係を築いていたので、進捗状況について詳しく説明し、なんとか理解してもらった。仕事に見通しがついた時点で、晩餐を御馳走になったくらいだ。
都立学校の次は、区市町村立の小中学校への周知徹底である。これについては、特別区と市町村それぞれを単位に設けられている教育長会というものに出向いて周知した(特別区教育長会は九段下<特別区協議会内>に、市町村教育長会は立川<東京自治会館内>にそれぞれあった)。あとは都の責任ではなく、区市町村ごとの責任である。なお、小中学校の教職員の組合は都教組である。都教組は、東京体育館で日教組の教研集会をやらせてやったという貸しがあったので、小生の仕事に協力してくれた。
以上が、学校健康担当としての小生の仕事のあらましである。労働安全衛生が軌道に乗ったあとは、小生には懸案といえるものはほとんどなくなって、毎日を気楽に過ごせるようになった。せいぜいいろいろな学校に赴いて、給食を賞味するのが小生の主な仕事となった。教育長を案内して、試食してもらったこともある。中学生の給食の量が半端でないのに驚いたものであった。
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