樋口一葉と聞けば大方の日本人は、平安時代の王朝風の女流文学の伝統を受け継ぎ、明治という時代に和文で創作した最後の作家というようなイメージを思い起こすだろう。その作品は、抒情的な雰囲気を以て人間とりわけ女性たちの心理の機微を描いたというふうにみなされる。そういう見立てのもとでは、一葉は明治の時代に源氏物語の世界を再興したと言われがちである。そういう見方を流布したのは森鴎外と幸田露伴であった。鴎外らは、一葉の小説「たけくらべ」が一年にわたる断続的連載を終えて、全編一機に掲載されたのを受けて、雑誌「めさまし草」の文芸批評欄「三人冗語」の場で、一葉の才能を絶賛したのだった。その際にかれらが持ち出した批評の基準が、抒情性とか日本的な美的感性といったものであった。一葉は抒情性の豊かな、日本的な美的感性を表出した作家というふうにカテゴライズされたのである。そうした一葉の見方は、その後の批評の大きな準拠枠となった。いまでも一葉をそうした作家として単純化する見方が支配的である。
しかし一葉の作品を虚心坦懐に読めば、鴎外らの見方が一面的だということに気づく。一葉の小説には、非常に抒情的な要素があることはたしかではあるが、それ以上に、社会的な批判意識が濃厚である。一葉の代表作はいずれも、女の生き方をテーマにしたものだ。一葉の時代の女は、まだまだ徳川時代以前の封建的な因習にとらわれて、非常に窮屈な生き方を強いられていた、窮屈であるとともに、抑圧的でもあった。一葉の描いた女たちは、抑圧されて、その抑圧に抵抗できず、多くの場合、それに屈するような生き方を強いられている。そこに一葉は一葉なりの怒りを感じ、その怒りが小説の基調となった。一葉の小説はなによりも、怒りの文学なのである。
鴎外らが激賞した「たけくらべ」は、一年にわたる連載の過程で、当初の意図を超えて新しい物語に変化している。当初「雛鶏」という題名を与えられたこの小説は、題名通り少年少女たちの成長のプロセスを描くことを意図していたと思われるが、途中から、もっぱら美登里という少女が女としての自分の宿命を受け入れていく過程を描くことにかわっている。美登里にとって女としての宿命とは、吉原の芸妓になることである。美登里の姉も吉原の芸妓であって、彼女らは子供のころから芸妓となるよう定められていたのである。そのことに気づいたとき、美登里は少女から女へと変貌する。そのことに気づかない読者は、美登里の変貌を初潮と結びつけたりしたものだが、初潮はめでたいことではあっても、深刻な出来事ではない。小説の中の美登里は、深刻な出来事に見舞われてショックを受けているのである。
一葉が、「たけくらべ」のテーマを、少年少女の成長物語から女の抑圧された生き方の自覚に変更したのは、一年にわたる連載の間に、彼女の問題意識が変わったからである。一葉は、「たけくらべ」の連載と並行して、「十三夜」「にごり江」そして「わかれ道」を執筆する。「十三夜」は夫の抑圧から逃れようとして逃れられずに妥協する女の話であり、「にごり江」は銘酒屋の売春婦がかつての客に殺される話であり、「わかれ道」はこころならず男の妾になる女の話である。いずれも封建的な因習に押しつぶされる女を描いている。そうした女を描きながら、一葉は明らかに女たちに感情移入し、女たちを抑圧している因習に怒りをあらわしている。その怒りは、因習との一葉なりの闘いであったといえる。そうした闘いを描くうちに一葉は、「たけくらべ」を単なる少年少女の青春物語にしておくことに満足できなくなった。そこで途中から主人公の美登里に封建的な因習の犠牲者という役割を与えることで、一葉なりに、因習との闘いを自覚したのではないか。
一葉が因習に押しつぶされる女をもっぱら描くようになったのは、彼女自身の境遇にもよる。少女時代の一葉は、かならずしもみじめな生き方をしていたわけではなかったので、社会に対して不満をもつことはなかった。萩乃舎は裕福な家庭の子女の集まりであり、その中にあって貧しさにもとづくコンプレックスは感じたようだが、社会を恨むというような気持は持たなかった。ところが父親が死に、経済的に困窮するようになると、一葉は次第に社会的な矛盾に自覚的にならざるを得なかった。自分自身の貧しさを思い知らずにはいなかったし、自分の周辺の貧しい女たちの境遇にも目がゆくようになった。それについては、吉原の近隣で駄菓子屋を開いたこととか、丸山福山町で銘酒屋の女たちと親しく接したということもある。そういう自分の置かれた境遇から、一様は次第に、女が直面している社会的矛盾に自覚的になった。その自覚が一葉に、社会を相手にして闘う姿勢をとらせたといえる。
一葉の転機を画した小説「大つごもり」は女の貧困をテーマにしたものである。その貧困は一葉自身の貧困を下敷きにしたものであった。この小説の中で主人公お峰は、主人の目を盗んで二円の金を盗む。それは彼女の切羽詰まった事情のためである。この小説の中の事件は実は一葉自身の起こした事件を下敷きにしているのである。一葉は中島歌子の塾の下働きのようなことをしていたのだが、その仕事の最中、授業料収入の中から二円をくすねた。一葉自身には、これは毎月もらえるはずの手当であり、決してゆえなく手にしたのではないという気持ちがあったようだが、世間にはそうは見えない。一葉の行為は盗みとしてうけとられて仕方がない面がある。いずれにしても不愉快なこの事件を、一葉は小説の中に取り入れた。どういうつもりだったかは、うかがい知れないが、もし一葉が経済的に切羽つまっていなかったら、そんなことはおこさず、また、小説の題材に取り入れることもなかったであろう。
こんなわけで、一葉の小説の中の社会的な矛盾にかかわる部分については、一葉自身の実生活が大きなかかわりをもっている。自分自身の置かれたみじめな境遇が一葉に社会的な矛盾への自覚を深めさせ、その自覚が、小説の主人公たちを通じて、社会を指弾するような姿勢をとらせたのであろう。
一葉の作家としての事実上の遺作「われから」は、女が置かれた因習的な境遇に、果敢に立ち向かう女を描いている。その女は、自分が父親から受け継いだ財産を、入り婿に奪われる。自然の親子関係からは娘である自分に相続の権利があるはずだが、社会的な因習は、女の権利を認めない。そんな因習に対して主人公のお町は、勝てない闘いだとわかっていながら、果敢に闘いを挑む。そうした女の闘いを一葉は、横山源之助に影響されて思いついたようである。毎日新聞の記者だった横山が一葉を訪ねてきたのは明治29年2月29日のことである。その際に女の生き方について語り合った。横山は一葉を大いに励ましたようである。その励ましに応じるようにして、一葉は果敢に闘う女を前面に出したのだと思われる。
以下、一葉の代表作及び日記を読み解きながら、一葉文学の神髄に迫っていきたい
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