ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著「哲学とは何か」は、この二人にとって最後のコンビネーション作品であり、ドゥルーズにとっては最後の哲学的著作である。彼が窓から投身自殺するのは、この著作の刊行後四年後のことである。その最後の哲学的著作を「哲学とは何か」と題したのはどういうことか。まず、それが読者には問題に思える。というのは、ドゥルーズが生涯をかけて追及してきたことが、西洋の伝統哲学の解体であり、その解体の跡に彼独自の「哲学」を構築することだったということを、われわれ読者は知っているからである。にもかかわらずドゥルーズが(ガタリとともに)この著作の中で展開している議論は、ほかならぬかれがその解体を目指した西洋の伝統的哲学についての新たな品定めなのである。そんなことを(ドゥルーズの最後の仕事としては)我々は期待していなかったので、なんだかはぐらかされたような気に陥らざるをえない。
この著作は、一応ドゥルーズとガタリの共著ということになっているが、議論の基調をリードしているのはドゥルーズであろう。というのも、著作の冒頭で、「<哲学とは何か>という問を立てることができるのは、ひとが老年を迎え、具体的に語るときが到来する晩年において、おそらくほかにあるまい」と言っているからである。この本を書いた時点で、ドゥルーズは65歳になっており、人生の晩年を迎えたといってよい年頃だったが、ガタリのほうは、ドゥルーズより5歳年下であり、晩年を迎えたというにはまだ間があったからである。
しかし人生の晩年を迎えてはじめて「哲学とは何か」について問を立てることができるというのは、どういうことか。それ以前に、ドゥルーズが「哲学とは何か」について問を立てることはなかったというのか。もしそうだとしたら、それまでの彼の哲学的な営みは何を目的として行われてきたのかという、強い疑問がわく。かれのそれまでの、つまり晩年に至るまでの間に営んできた哲学的な業績は、西洋の伝統哲学の解体ではなかったのか。解体しようというからには、当の解体の対象を十分理解していなければならぬ。その理解を踏まえたうえで、それを解体し、それに代わる新たな哲学的な営みを始めるというのが、ふつうひとが考える哲学的な批判のありかただろう。ところがドゥルーズは、晩年を迎えてはじめて、哲学とは何かについて問を立てることができたというようなことを言っている。
ともあれドゥルーズは、「老年が、永遠の若さではなく、反対に或る至高の自由、或る純粋な必然性を与えてくれるようないくつかのケースがある」と言って、カントの「判断力批判」をその自由の実践の好例として挙げたうえで、自分らがそのような境遇にあるとうぬぼれるわけではないが、「ただ、哲学とは何かと問うべときが、わたしたちに到来しただけのことである」(財津理訳)と言っている。その問を自分で立てたうえで、それを解いていくのがこの著作の役目だと言いたいようである。
かれらが哲学とは何かという問を立てることで、その問の対象としてイメージしているのは、ギリシャの哲学を起源とする西洋哲学のことである。それは、かつてはドゥルーズ自身が、自分の力で解体すべき対象として把握されたはずだったのだが、いまでは、その解体への意思を宙づりにして、そもそも西洋的な意味での哲学とは何であったか、それを改めて問題として取り上げたいと言っているわけである。無論、西洋哲学の解体という、自分のかつての意気込みを忘れたわけではないだろうが、老年を迎えたいまになって、なお哲学とは何かについて新たに問を立てることは無意義なことではない。むしろ老年を迎えたからこそ、そうした問が自分に到来したと受け取っていい。その到来をきっかけに、問の内実を解明し、そこから哲学とは何かについて考えを掘り下げることで、よりいっそう深い見地から、西洋哲学全体を乗り越えることができるのではないか。老年を迎えたドゥルーズがそのように考えたとしてもおかしくはない。もっとも、ではお前の若いころの(西洋哲学の解体という)目的意識はどうなってしまったのか、という疑問は残るが。
この著作のなかでドゥルーズらは、哲学の土着性というものにかなりな重点をおいている。土着性というのは、人間と土地との結びつきのことである。ある特定の土地柄がある特定の哲学を生むのであって、土地柄が異なれば違う哲学が生まれてくると考えている。そこから彼らは「哲学地理」という概念を持ち出す。哲学と土地の結びつきの組み合わせを、地図の形で表現したものである。西洋と東洋とでは、まったく異なった哲学体系が指摘できる。それを簡単にいえば、東洋の哲学は賢者の哲学であり、西洋の哲学は友たちの哲学だということになる。西洋の哲学の内部でも、土地柄の相違がある。ドイツ、フランス、イギリスでは、それぞれ異なった哲学が発達したが、それは土地柄の違いに根差している。
まあ、こんなところから、かれらの議論は始まるのだが、その議論は、かれらの以前の議論とどんなつながりがあるのか、そのことについては明示的な言及はない。だから読者はこの著作を、かれらの生涯の業績から切り離して、それ自体独立した著作として受け取りたい誘惑にかれらもしよう。じっさい、そう受け取っても差し支えないところもある。だが、たとえば哲学の使命とは全く新しい概念を創造することだとか、概念の基本的な意義は同一性ではなく差異にあるといったような、従来のかれらの議論につながるものもある。
いま、概念という言葉を使ったが、この言葉こそが、この著作のキーとなるものである。かれらは哲学の、ということは西洋哲学の基本的な考察対象は概念だと言っているのである。そのうえで、哲学を科学や芸術と対立させて論じている。哲学と科学と芸術は、かれらによれば学問の三つの形であり、それぞれ人間の対象把握についての三つの能力に対応している。この三つのうちのどれか一つだけが特権的な役割をもつわけではない。それぞれが人間にとって重要な役割を果たす。そのように哲学を、科学や芸術との相互関係においてとらえるという視点が、この著作にとっての大きな特徴となっている。
ということは、かれらはこの著作を通じて、哲学を解体してしまうのではなく、科学や芸術との相関において捉えなおすことで、哲学というものを徹底的に相対化しようと試みた、というふうに言えるのであろうか。
とすると、かれらはもはや哲学の解体ということにかならずしもこだわっておらず、むしろ哲学本来の形を取り戻すことに力点を変えたということになる。じっさいそんな意味のことを彼ら自身が言っているのである。哲学の死とか超克を言うのは、「それこそ何の役にも立たず、かえって我慢ならぬたわ言である。今日、(哲学)体系の破産が言われるけれども、実は体系の概念が変化しただけのことである。概念を創造する場所と時期が存在する以上、それを遂行する活動はつねに哲学と呼ばれるだろうし、たとえ別の名前が与えられたところで、それを遂行する活動は哲学と区別されることはないであろう」。
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