中島哲也「渇き」 元刑事の暴力

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中島哲也の2013年の映画「渇き」は、崩壊した家庭を立て直そうとして、かえって家族の関係を一層悪くするという悪循環に悩む元刑事を描いた作品。中島は「告白」(2010)では、娘をいじめ殺された教師が、いじめた連中に復讐するさまを描き、それを陰惨な暴力シーンの連続で表現していた。この「渇き」では、暴力は一層エスカレートした形で表現されている。それはおそらく日本社会の暴力化が反映されているのであろう。小生は、韓国映画の暴力礼賛的な傾向に日本の映画が影響されている可能性があると考えている。韓国映画の暴力礼賛的な傾向は、社会の深刻な分断を反映していると思われるが、その分断が日本でも深刻化しているのではないか。

妻の浮気がもとで離婚した家族が舞台。妻は刑事の夫(役所広治)が家を顧みないことに不満を抱き、他の男と寝る関係になる。妻を寝取られたことに気づいた刑事の夫は、寝取った男に暴力を振るい、それがもとで警察をやめることとなり、妻とは離婚。それから数年後、一人娘が失踪したという連絡が元妻から入る。元刑事は、娘の行方を追って、さまざまな人間に接触する。その過程で、次々と暴力を振るい、挙句は元妻を強姦する。とにかく無茶苦茶なのである。

映画は、三人の男女が死体で発見されるところから始まる。その事件を担当した刑事が、役所広司演じる元刑事に関心を示す。一応重要参考人扱いだ。その三人が、娘の失踪とどんな関係にあるのか、画面からはよくわからない。

ともあれ映画は、元刑事がさまざまな人間に接触しながら、昔のことを思い出すという形で進んでいく。回想は元刑事のものばかりではない。娘と関係があった色々な人間の回想も併せて紹介される。そのため、視点がばらけて、極めて分かりづらい内容になってしまっている。

最終的に娘がどうなったのか、そこがはっきりしない。はっきりしたのは、娘がやくざと深い関係にあったということだ。娘は、両親の離婚が切っ掛けでぐれてしまい、反社会的な集団とかかわりを持つようになったのだ。親がどうしようもなくて、子を顧みないようになると、子はとかくぐれやすくなる。この映画の中の娘は、その典型というわけである。役所演じる娘の父親も、暴力を振るうことに生きがいを感じるような男だから、娘が反社会的になるのも無理はない。そんなことを感じさせるように、この映画は作られている。

役所広司は、今村昌平の映画「うなぎ」の中で、やはり妻を寝取られた男を演じていた。それがかなり強烈だったので、中島は役所に再び寝取られ男を演じさせたのではないか。





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