大つごもり 樋口一葉を読む

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樋口一葉の作家としての代表作は「たけくらべ」以下の五編の短編小説であるが、そのうち「大つごもり」は最初に書かれた。明治二十七年(1984)十二月発売の雑誌「文学界」に発表。一葉は満二十二歳であった。

下女として働く若い女(十八歳)の過酷な境遇がテーマである。貧しさのあまり、旦那の家から二円の金を盗む。しかし偶然の女神のはからいで、露見を免れ、当座をしのぐことはできた。しかし、彼女の境遇にはいささかの変化もないから、再び同じことをするはめに陥らないとも限らない、そんな絶望的な境遇が淡々と描かれる。文章に誇張はない。それでいて劇的な展開を感じさせる。一葉はこの作品によって、ついに自分の文学スタイルを確立できたと感じたのではないか。

一葉が小説世界で描いたのは、古い因習によってがんじがらめにされた女たちの過酷な境遇である。また、貧しい境遇の女たちを描いた。一葉自身、貧困な境遇にあえいでいた。しかも病弱である(後に肺結核を発病する)。それでもやけになることはなく、自分の体験をもとにして、独特の小説世界をつくりあげた。「大つごもり」はその転機となった作品である。

お峰という名の若い女が主人公。人使いの荒い家で下女として働いている。そのお峰が旦那の金を盗むはめになったのは、二つの事情が重なったからだ。まず、養父の病気で家族の経済状態が悪化。養父から金の無心をされる。借りた金に利子がつもり、それを払わないととんだことになる、といって二円という金を無心される。お峰は、前借でもしてなんとか都合をつけようと思い、かならず用意するから、大晦日(大つごもり)の日に、七歳になる弟に取りにこさせてくれと言う。

お峰は旦那の女房に金を用立ててくれるように願い出る。意外なことに女房はそれをうけがう。ところが、大つごもりの当日になると、女房は前言を翻して、金を渡してはくれない。そんな折に弟が金の受け取りにくる。お峰は切羽詰まり、なんとかせねばならぬ状況に追い込まれる。これが盗みをするはめになった第二の事情である。

大つごもりの日には、旦那の倅がきていた。倅は、父親に年越しの資金を無心する。その倅が、お峰が旦那の金を抜き取る場面を見ていたかどうかわからぬが、結果としてお峰を救う役割を担うことになる。というのも、お峰が手を付けた札束をそっくり頂戴し、自分がそれをもらったという書置きを残したのだ。それによって旦那ら家のものは、金がなくなったのは倅のせいだと思い、お峰が金を盗んだことは露見せずに済んだのである。

そのことについて、結びのところで次のように書いている。「さらば石之助(倅の名)はお峰が守り本尊なるべし、後のこと知りたや」。後のことを知りたいと言うのは、意味深長な言い方である。二円盗んだことは露見せずに済み、とりあえず無事を得たが、それは一時しのぎというべきもの。養父の家の状況は、二円の金でなんとかなるというものでもなく、いずれまたお峰に金を無心することになるだろう。その時にお峰はどんなふうに振舞えばよいのか。なんら明るい見込みはない。そんなきわどいお峰の境遇を、一葉は突き放したような言い方で表現しているのである。

「大つごもり」を映画化したものとして、今井正の「にごりえ」がある。この映画は、「にごりえ」「十三夜」を含めたオムニバス形式の作品で、久我美子がお峰を演じていた。そのお峰が、盗みが露呈するのではないかと恐れおののくシーンが非常に印象的だった。一葉の小説には、視覚的なイメージはあまり感じられないのだが、それを表現すると久我美子のあのような表情になるのであろう。

まずしいお峰の境遇に、自分自身のまずしい境遇を一葉が重ね合わせていることは、十分に考えられる。






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