2023年の日本映画「市子(戸田彬弘監督)」は、自分の戸籍を持たない女性の数奇な人生を描いた作品。夫と離婚した後300日以内に生まれた子どもは、その夫の子と推定される。ところがDVなどで夫との意思疎通が困難な場合、妻は生まれた子の出生届を、物理的にできない場合がある。この映画は、そういうケースを取り扱っている。母親に出生届をしてもらえず、無戸籍状態になった女性の不幸な物語である。その不幸は、無戸籍状態にとどまらず、家庭崩壊の結果でもある。母親の再婚相手がいなくなったうえ、妹が重度の難病にかかり、その介護につかれた主人公の女性が、妹を死なせてしまう。その負い目を、妹の世話をしていた介護士につつきまわされ、あげくに主人公はその介護士を殺してしまう、というような陰惨なストーリーである。
映画は、28歳の主人公の女性市子(杉咲花)とその恋人長谷川(若葉竜也)の対話から始まる。かれらはすでに三年間同棲してきた。長谷川は、結婚届用紙を用意したうえで、結婚しようと申し出る。また、その祝いに、市子の好きな浴衣をプレゼントする。翌日長谷川が外出先から帰ると、市子の姿が見えない。そんな長谷川のところに刑事が訪ねてきて、市子という女性は存在しないと告げる。混乱した長谷川は、市子の行方を追いながら、市子の過去を次第に知るようになる。というような展開である。
長谷川による市子の行方の捜査に付随して、市子の過去が浮かび上がるようになっている。まず少女時代の市子。彼女は学校では月子と名乗っていた。実は、もともと無戸籍の市子は、死んだ妹の戸籍を引き継いで、妹の名前で生きていたのだった。妹が死んだ事情とか、それにからめて介護士を殺したことなどは、映画がかなり進んだ段階で明らかにされるので、観客は要領を得ないままに市子の過去に接せざるをえない。それに、刑事が長谷川をたずねた動機もよくわからない。その刑事は、介護士だった男の死に方に疑問を抱いているようだが、介護士が死んだのは10年も前のことで、それが市子の失踪と結びつくというのは不自然である。
市子は、高校までは月子の名で通していた。介護士を殺したあと、家出をし、ホームレスの状態になってから市子という名を名乗るようになった。彼女が市子という名にこだわったのは、どういうわけか。ともあれ彼女は、市子として一人の男と出会い、同棲するようになる。それが長谷川である。彼女なりに幸せであったが、長谷川から結婚を申し込まれると、動揺する。市子としての自分には戸籍がなく、したがって結婚は簡単ではないのだ。彼女が失踪した理由は、長谷川に自分の出生の秘密を知られたくなかったからだろう。
エンディングがちょっとわかりづらい。高校時代の男の同級生と会うところまではいいのだが、その後どうなったか、映画は丁寧に描かないのだ。そんなわけで、最初から最後まで分かりにくい印象を強く持たされる。
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