2011年の日本映画「先生を流産させる会(内藤瑛亮監督)」は、不良女子中学生の悪ふざけを描いた作品。五人組の不良少女グループが、担任の女性教師の妊娠を知り、それに嫌悪感を抱いて、「先生を流産させる会」なるものを結成し、給食に毒を入れたり、果ては先生の妊娠した腹をこん棒で殴ったりして流産させる。流産とはいっても、子どもが死ぬことを知っていての暴力行為であるから、殺人といってよい。ところが、今の日本では、胎児には人格権はないから、それを殺しても殺人罪には問えない。
2009年に実際に起きた事件を材料にしている。その事件は、男子生徒が担任の女性教師を相手に、給食に毒物を入れたりして、流産させようとしたというもの。それを、女子生徒に変え、不良グループが面白半分に教師を攻撃したというふうにした。彼女らの行為は、いじめの延長のような感覚だったろう。いじめの対象がたまたま教師に向けられたということか。不気味なのは、こういうグロテスクな事件が、いまの日本では、稀有なものではなく、ごくあたりまえに起きると思われることだ。
女子生徒と教師との関係は、もともとよくなかったようだ。生徒がすでに教師への反感を抱いていたところに、教師が妊娠したという事実が、教師への反発を高めた。思春期にある彼女たちにとって、妊娠は性的なイメージを強烈に感じさせる。性的イメージは暴力と結びつきやすいところがある。暴力にエネルギーを備給するのだ。
この映画のわかりづらいところは、女教師があまりにも理想化されているところだ。教師は、生徒から悪質ないたずらをされても、基本的には許してしまうし、自分の腹に暴力を加えた不良生徒にもいわゆる教育的な接し方をする。そこがどうも人をしらけさせる。
なお、この映画が公開された1年前には「告白」という映画が評判を呼んでいた。これは自分の娘をいじめ殺された女性教師が、殺した生徒たちに復讐するというものだった。同じく子を殺された母としての教師の振る舞い方が真逆なわけである。そんなこともあって、この「先生を流産させる会」と「告白」とは、なにかと比較された。
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