哲学地理 ドゥルーズ・ガタリ「哲学とは何か」を読む

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ドゥルーズらの提起した哲学地理という概念は、思考環境としての内在平面の延長として考えることができると同時に、かれらの植民地主義意識を反映してもいるようである。というのは、かれらは、哲学はヨーロッパに固有なものと考えており、ヨーロッパ人だけが哲学的な思考をできると考えているからである。ヨーロッパ以外の人種、たとえば東洋人は、思考することはあるが、哲学的な思考はできない。哲学的に思考するとは存在について思考するということだが、東洋人は存在について思考することはない。存在について思考したのはギリシャ人であり、その後継者としてのヨーロッパ人である。だから、哲学はギリシャに始まってヨーロッパに広がった。つまり特定の土地と深く結びついている。その結びつきをかれらは哲学地理という。哲学地理は、ギリシャに始まりヨーロッパに広がっていった運動を地図上の広がりにたとえているわけである。

哲学地理はだから、ヨーロッパの思考である哲学が、世界全体を征服していく過程を視覚化したものである。その征服の過程をかれらは脱領土化と呼ぶ。ヨーロッパが、その固有の土地を超えて他の土地にまで侵攻する、つまり思想的な影響を拡大する、といふうにかれらはイメージしている。ヨーロッパによる世界の征服の前に、ギリシャによるヨーロッパの征服がある。思想の領域におけるギリシャの覇権確立である。

哲学はなぜギリシャから始まったか。それはギリシャという土地が、概念の創造のために必要な内在平面を持っていたからだという。内在平面とは、改めて言えば、思考の環境のことである。その環境がギリシャで形成されたのは、ギリシャが特異な社会であったからだ。ギリシャは都市国家だったが、都市国家というものは、かれらの理解によれば、友たちの社会である。平等な友たちによる民主主義的な社会という土台が、哲学の発展に好都合だった、とかれらは考える。もっとも、哲学の発展には都市国家の外部の人間たちも寄与したが、都市国家という枠組みが哲学の発展の土台を提供したという事情は変わらない。

ギリシャの都市国家を民主主義社会ととらえるところにかれらの特徴がある。民主主義の土台の上に資本主義が成立した。資本主義がなぜ三世紀の中国ではなく、中世以降のヨーロッパで成立したか。その理由は、中国には民主主義的な平等性がなかったのに対して、ヨーロッパにはそれがあったからだ。かれらによれば、資本主義は民主主義と密着しているのである。だからかれらは、資本主義の世界制覇を、民主主義的帝国主義とか植民地主義的民主主義と呼ぶ。

要するに、ヨーロッパをモデルとする近代的な民族国家社会は、民主主義と資本主義が結びついたものである。それをかれらは、「新たな<兄弟社会>、友たちの社会の資本主義版」と呼ぶ。世界的な規模の資本主義はそのような近代国家の集まりである。それはヨーロッパの民主主義的資本主義が、ヨーロッパという土地から脱領土化することにより拡大し、そのあげくに世界中を自己の領域に再領土化する過程である。この脱領土化とか再領土化といった概念は、思想つまり哲学の領域においても使われる。

資本主義とは要するに商売に立脚する社会システムである。だから哲学まで「精神が行う快適な商売」だとみなされがちである。だがそれではいけないし、またじっさい哲学が商売に堕したというわけでもない、とかれらは言う。「近代哲学に救いがあるとするなら、近代哲学は、古代哲学が都市国家の友でなかったように、資本主義の友ではないという点を挙げねばならない」(財津訳)とかれらは言うのだが、果たしてその事実認識は正しいのか。かれらは哲学の自立性を高く評価しており、その自立性が、哲学を商売の道具に堕さしめることから免れさせていると考えているようだが、はたしてそんなに単純なものか。

ともあれ哲学はある特定の土地と深く結びついている。つまり哲学は領土を持っているのである。領土にはさまざまな文化的環境がある。その環境の相違に応じて、哲学も異なった発展をする。たとえばフランスとドイツとイギリスの哲学はそれぞれ異なっている。その点に気づいたのはニーチェだ。そのニーチェを意識しながら、かれらはこれら三国それぞれの哲学の特徴を素描する。フランス哲学は思考の地盤を用意する(デカルトのコギト)、ドイツ哲学は思考するための地盤を固める、イギリス哲学は思考の地盤の上で遊牧する。イギリス人は、かれらによれば、テントに住みながら、自分の経験から得たものだけを信用するのである。この「<地盤を固めるー建てるー棲む>という三位一体においては、建てるのはフランス人であり、地盤を固めるのはドイツ人であり、棲む(持つ)のはイギリス人なのである」。かれらが哲学する国民として挙げているのは、この三つの国だけである。イタリアとスペインは哲学とは縁がないとみなしている。

これら三つの国の哲学の相違は、法システムの相違と並行している。「イギリス法は慣習法あるいは黙約による法であり、他方、フランス法は契約法(演繹体系)であり、ドイツ法は制度法(組織的全体)である。哲学が法治国家のうえでおのれを再領土化するとき、哲学者は哲学教授へと生成するのだが、ただしそうした事態は、ドイツでは制度と地盤固めによって成立し、フランスでは契約によって成立し、イギリスでは黙約によってのみ成立するのである」。

資本主義についていえば、かれらは、「資本主義に人権があるからといって、わたしたちは、その資本主義を賛美するようにはならないだろう」と言っている。これは人権を否定しているのではなく、資本主義的な人権の欺瞞性を指摘しているようである。資本主義を人権にもとづいて合理化するわけにはいかないというわけであろう。

なお、かれらは哲学地理とのかかわりの中でハイデガーを厳しく批判している。「彼は、ドイツ人の歴史の最悪の時期に、ドイツを経由して古代ギリシャ人に復帰しようと欲した」というのである。そのうえで、「この厳格な教授は、おそらく、みかけよりもさらに発狂していたのであろう」とこきおろしている。そのハイデガーを意識しながら、かれらはニーチェの次のような言葉を引用している。「ギリシャ人を待っていたのにドイツ人に出くわした、ということ以上になにか悪いことがあるだろうか」。

こんなわけであるから、日本人が哲学するなどということは、まったく馬鹿げたことだと彼らは思っていることであろう。






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