十八世中村勘三郎十三回忌追善歌舞伎「俊寛」の様子をNHKが放送した。勘九郎、七之助兄弟が、父親がかつて三島村で公演した歌舞伎を再現したもの。父親の勘三郎はこの演目を二回もやったそうだ。三島村というのは、薩摩半島と屋久島の中間にある三つの島からなる。そのうち硫黄島を、平家物語のいう鬼界が島に見立て、そこの砂浜で演じた。テレビの画面には大勢の見物客が映っていたが、この多くは内地から船でやってきた人びとだろう。
平家物語とそれを踏まえた能では、俊寛、康頼、成経の三人が自分らの不遇を嘆いているところに、都からの使者がやってきて、康頼、成経二人の赦免を通告する。自分の名がないので、もしや忘れたのではないかといって食い下がる俊寛だが、船は二人だけを乗せて出発。それに俊寛が追いすがるものの、無慈悲にも一人島に取り残されて絶望する様子を描写する。きわめてシンプルな筋立てである。
ところがこの歌舞伎では、筋書きを大幅に書き換えている。成経が現地の娘と結婚していて、妻も一緒に連れていきたいと願う。使者はそれを拒絶する。そこで仲を裂かれる男女の悲哀という要素が表面に立ち、俊寛の絶望が相対化されることになる。なぜこんな脚色をしたのか。おかげで原作のもつ幽玄な雰囲気が損なわれている。俊寛を勘九郎が、能には出てこない丹座衛門を七之助が、成経を勘九郎の倅勘太郎が演じている。俊寛は、俊寛面と呼ばれるこの曲特有の面をつけるほか、金春を除いて帽子をかぶるものだが、その金春は黒頭である。この歌舞伎ではその黒頭とともに、俊寛は長い顎髭を生やしている。
硫黄島の浜をそのまま使っているので、野趣を感じさせる。三島村全体でも、300人ほどの人口だそうだ。この時ばかりは、硫黄島は賑わったことだろう。なお、放免を知らせる使者の船を、「ごしゃめんせん」と呼んでいた。小生などは「ごしゃめんぶね」と呼ぶのを常としている。
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