内藤瑛亮の2018年の映画「ミスミソウ」は、押切蓮介の同名の漫画を映画化した作品。原作は、子どもの間のいじめとか殺人を伴う暴力の氾濫といった事態を描く。日本の漫画はある部分非常に過激になっていると言われるが、原作漫画はその過激さが常軌を逸した段階を超えている。漫画の描く世界が、日本社会の一面を映し出しているとしたら、日本という国は救いようのないほど壊れてしまっていると思わせられる。
当初は、中学校を舞台にしたいじめが描かれる。いじめの対象となるのは、東京から転校してきた女子生徒。転校生がいじめの対象となるのはよくあることだ。しかしそのいじめが放火殺人に発展する。クラスの子供らが転校生の家に押し掛け、家族にガソリンをかけて焼き殺し、家を全焼させるのだ。その放火殺人をきっかけに、家族を殺された女子生徒が復讐に出る。彼女の復讐心はすさまじく、放火にかかわった同級生を次々と殺す。その殺しぶりは、まさにスーパーウーマンというべきもので、そんなに腕力があったのなら、なぜいままでいじめに甘んじてきたか疑問に思えるほどだ。
主人公の春花をいじめていたのは、クラスのほぼ全員。その中で春花は6人ばかりを殺す。しかし、殺された子供たちは、従属的な立場にあった者らで、主犯格は別にいる。妙子という生徒だ。その妙子をなぜか、春花は殺そうとしない。彼女に特別な感情をもっているのだ。妙子に襲い掛かるのは、ルミという生徒。ルミは、春花がくるまでクラスのいじめの対象だった。だから、春花がいなくなると、自分が再びいじめの対象にされる。そうした力関係が子供の世界にはあるらしい。
相葉君という男子生徒が妙な役まわりを演じる。かれは当初春花の擁護者として振る舞う。ところが強度の神経症をわずらっていて、自分の祖母や春花の祖父を殺してしまう。そのあげく、春花が自分の愛に応えないことを理由に、春花を殺す。その相葉君がどうなったかについて、映画は触れない。ただ卒業式の場にかれの姿はない。卒業式に臨んだ生徒の中には、妙子がいる。妙子は、春花と仲良くしている幻想を見る。映画はそこで終わる。
というわけで、暴力と憎しみの連鎖からなるじつに過激な映画である。こんな映画を見せられたら、日本という国と日本人について、へんな見方をするようになるだろう。
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