「わかれ道」は、一葉の小説のなかでは一風変わった筋書きのもので、それがちょっと唐突な終わり方をするので、生煮えな印象を与える。この小説は、長屋へ越してきたばかりの若い仕事屋の女と、親に捨てられ他人に養われて育った16歳の少年のやりとりからなっているのだが、少年は年の割に幼すぎ、女は人物像がいまひとつ曖昧である。というのも、少年の生い立ちについては本人の言うことも含め、かなり詳細な情報が提示されるのだが、女のほうは、自分の口からも余り多くを語らないし、また小説の語り手も彼女については非常に淡白な扱いをしているからである。そのうえ、小説は女が妾になるために他所へいってしまうことをほのめかし、それについて少年が強い愛着を示すところで終わる。タイトルの「わかれ道」は、折角仲良くなった男女が、別々の道を歩むことになることを暗示しているのであろう。
幼さの抜けない少年と、その少年を弟のようなかわいがる年上の女の関係であるから、恋愛はテーマではない。なにがテーマかというと、少年の年上の女への強い愛着だろう。それに加えて、若い女が自分の身のすすぎ方に窮して、妾になることを受け入れるということだ。一葉自身、妾になるように言われ、それについて多少心が動いたという体験があったから、この小説にはそうした一葉の個人的な体験が影を落としているのかもしれない。だがそれにしては、女の心のうちがどんなものか、小説はほとんど語るところがない。女自身に多くを語る気持ちがないからである。16歳の少年を相手に、妾になることがどんなことか、説いても無駄だという気持ちはあっただろう。
少年の身の上は鮮明に浮かび上がるように書かれている。親がわからぬまま、角兵衛獅子を踊りながら育ったこと、傘屋の媼に拾われて可愛がってもらったこと、その媼が死んだあとは、二代目の婆に馬車馬のようにこき使われていること。少年は発育が悪く、体が小さいので一寸法師と綽名され、みなからバカにされている。そんな少年を唯一年上の女お京さんが弟のように可愛がってくれる。少年は、お京さんのところで餅でも食っているときが一番幸せなのだ。
そんなお京さんが、人の妾になるといううわさが立つ。叔父と言う人の口利きで、さる屋敷の旦那の妾になるらしいというのだ。少年は驚き悲しみ、嘘であってほしいと願うが、本当のことだとわかる。女のほうから少年に戯れかけて、実は明日妾になるために他所へ引っ越すというのだ。そこで少年が必死になって止めようとし、それに対してお京さんがなだめることになる。なだめたとてどうなるものでもない。少年がなんとかしていかないでくれと懇願するのに、お京さんは、「誰れも願ふて行く處では無いけれど、私は何うしても斯うと決心して居るのだから夫れは折角だけれど聞かれないよ」と答えるのみ。それ以上のことは何も言わない。それでは少年もなすところがなく、読者もまたはねつけられたように感じるばかりだろう。
こんなわけでこの小説は、幼さの残る少年の大人の女への恋慕をテーマにしたものだ。少年の恋慕が強調される一方、恋慕される女のほうは、あまり丁寧に描かれてはいない。この時代、つまり明治の20年代に、女が妾になることにどんな意味があったのか。それをもう少し丁寧に書いていたら、多少の深みを感じさせることにもなっただろうと思われる。なお、女の職業である仕事屋とは、針仕事など手先の仕事を請け負って口を糊するものだ。それでは女一人の身が支えきれないということか。
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