2018年のデンマーク映画「THE GUILTY/ギルティ(Den skyldige グスタフ・モーラー監督)」は、911(警察の緊急通報システム)のオペレータの仕事ぶりを描いた作品。911というのは、日本の110に相当するのだろう。市民からの緊急通報を受けて、それなりの対応をする。犯罪にかかわることならば警察官を現場に急行させるし、犯罪ではないが市民の生命にかかわるような事態であれば、それなりの対応をする。だから、日本人の感覚としては、110と119を兼ね合わせたようなシステムなのだろう。
現場をはずされて911のオペレータにさせられていた警察官が、ある女性の通報を受けて、過剰な反応をする。慣れていないからだ。女性はいま夫に拉致されて、殺されそうな状況だと訴える。その言葉を信じ込んだオペレータは、その女を救出するために様々なことをする。実はそんなことはオペレータの任務ではないのだ。犯罪捜査には専門の部署がある。ところがオペレータは自分で解決しようとする。警察官としてのキャリア意識がそうさせるのだ。そのあげく、まったく筋違いのことをする。実は女は精神障碍者でその言っていることはうそだらけだった。だから第三者の目には、このオペレータは犯罪者の女にもてあそばれていたということになる(女は自分の子どもを殺していた)。
映画は、911のオペレータ・ルームを舞台に展開する。その外には出ない。オペレータが仲間を現場に行かせるシーンがいくつかあるが、そのやりとりは電話の音声を通じてなされ、現場の状態がうつされることはない。にもかかわらず、それなりの現場感は伝わってくる。女を乗せた車はシェラン島を北に向かって走っているという。シェラン島はコペンハーゲンのある島だ。島の東はずれ、スウェーデンに面したところにコペンハーゲンがある。その島の状態を911はよく把握しており、車の現在地も割り出せる
こういうのを見せられると、デンマークの警察は市民生活の隅々まで把握しているように見える。つまり徹底した監視社会になっている。この映画はそうした監視システムを当然の前提として作っている。犯罪がらみとはいえ、市民の家に勝手に入り込んだりする。そして小さな子どもを相手に尋問したりする。プライバシーの侵害ではないのか。警察はそれを当然のことと考えている。市民の生命を守るためというのが、その理由だ。
足を怪我したから救急車を呼んでくれと言ってくるものもいる。それに対して、そのくらいの怪我ならタクシーで病院に行けと答える。要するに911は、緊急事態についての総合窓口なのだ。
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