アントン・ペシュカの肖像 エゴン・シーレの肖像画

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エゴン・シーレの画家としてのキャリアは、グルタフ・クリムトの強い影響下から出発した。クリムトは、ウィーン分離派を代表する芸術家である。分離派は、絵画・彫刻・工芸・建築などを包括する総合芸術運動で、その中心にクリムトがいた。シーレはそのクリムトの影響を受けることから、自らのキャリアを始める。クリムト自身、枠にとらわれぬ自由な画風を追求したが、シーレもまた次第に独自の境地を開拓していく。

「アントン・ペシュカの肖像(Bildnis des Malers Anton Peschk)」と題するこの絵は、クリムトの影響を強く感じさせる作品。平面的で装飾的な構図、ほとんど無地に近い背景、微妙な中間色の多様、といったクリムト的な要素をふんだんに取り入れている。

モデルのアントン・ペシュカは、アカデミーでのシーレの同級生で、のちにシーレの妹ゲルトルーデと結婚する。シーレが1909年にアカデミーを退学して「新芸術集団」を結成すると、それに加わった。画家としてはたいして有名にはならなかった。

普通の肖像画とは異なり、モデルは観客には向き合っておらず、別の方角に視線を向けている。肖像画というより、風俗画に近い。

(1909年 カンバスに油彩とメタリックカラー 110.2×100㎝ プライベート。コレクション)






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