樋口一葉は、短い生涯に26篇の短編小説を書いた。そのうち最初に雑誌に載ったのは「闇桜」である。これは明治25年3月23日刊行の「武蔵野」創刊号に掲載された。一葉19歳のことである。その後、「大つごもり」を書くまでの2年あまりが一葉の習作時代である。一葉は、小説作法を半井桃水に学んだ。だから、初期の習作には桃水の影響を読むことができるようだ。小生は桃水を読んだことがないので、その影響をつぶさに指摘できる能力をもたないが、一葉への指導内容等からして、文体的には西鶴流の雅俗混交体、テーマとしては若い男女の恋愛を描いたというふうにいえるかと思う。一葉は、少女時代に書き始めた日記の文体などからして、王朝風の女性的な和文を主体とした文章を得意としていたようであるが、それでは今風の小説にはふさわしくないので、もっと俗っぽい文体に心がけるようにアドバイスされて、西鶴流の雅俗混交体を書くようになった。それを出発点として、彼女なりの独特の文体を獲得していったと整理できるのではないか。
二年余りの一葉の習作時代の作品は、桃水の影響を強く受けた作風から、次第に自分自身の独自の作風への模索という過程をとったというふうにいえよう。ここでは、習作時代の前半期の作品から、「闇桜」、「五月雨」、「経つくえ」の三作を取り上げ、彼女の作家としての出発点の特徴を分析したいと思う。
「闇桜」は、桃水がかかわっていた雑誌「武蔵野」の創刊号に掲載されたことからわかるように、桃水の指導を踏まえた作品ということができよう。先述したように、小生は桃水を読んだことがなく、したがって子弟間の影響の詳細を分析できる能力を持たないので、作品それ自体に即して、その特徴を見たいと思う。この小説は、テーマとしては若い男女の恋愛を描いている。幼馴染の若い男女が、喧嘩をしながらもむつみ合う。ところが女のほうが不治の病にたおれ、二人は死によって離される、といった内容である。文体は、王朝風の和文で、それにところどころ俗語的な表現を交えている。和文脈の文章の特徴は、地の文章と会話部分の文章が連続・一体化していることである。いちおうト書きというかたちで、会話の部分を浮き出させるという試みはあるが、一葉の場合には、会話は地の文章とほとんど一体化しており、独立したものとはなっていない。だから、ちょっと見には、稚拙な印象を与える。
文体も、テーマ設定も、習作というにふさわしく、幼稚さを感じさせる。物語としてのふくらみに乏しく、文体ものびやかさにかける。19歳という年齢を考えれば、こんなところかもしれぬ。
「五月雨」は、一人の男を二人の女が愛するという三角関係をテーマにした作品である。しかもその二人の女が特別な関係にある。貧しい女が豊かな女に仕えており、その主人に深い恩義を感じている女が、主人を好きな男と結ばせてあげたいと思っていた矢先、実はその男は自分がかつて愛していた男だった。男は、主人といいなずけの関係にありながら、かつて愛し合っていた女への遠慮があって、自分から身を引いていく。それを女は自分のせいであるかのように思って罪悪感のようなものを抱く、といったような内容だ。「闇桜」に比べれば、筋書きに複雑さが加わっただけ、進歩のようなものを感じさせるが、テーマ的に言って、たいした作品とはいえない。だいたい、芝居がかっているのである。そういう芝居がかった構成は、一葉の作家としての未熟さの反映したものだといえよう。
「五月雨」の小説としての最大の特徴は、その文体にある。典型的な和文である。しかも句読点を省き、段落を欠き(一応章分けの工夫はある)、息の長い文章である。地の部分と会話の部分が未分化で、全体として、小説というよりエッセーのような印象を与える。おそらく、紫式部より清少納言に似た文章といえるのではないか。一葉の本来の文体は、日記などからすれば、和文的な文体だと思う。それを桃水の指導をうけて、雅俗混交体にかえようと努力もしたようだが、この小説においては、自分本来の和文的な文章に立ち戻ったということだろう。一葉は、和文で小説を書いた最後の作家といえるが、この習作は、和文の可能性を模索したものと位置付けることができよう。
「経つくえ」は複雑な女心を描いた作品である。母親に死に別れた女が、母親の主治医であった医師の世話になっている。だが、女はその男を素直に愛せない。表向きには嫌悪しているようなふりを装っている。がっかりした男は札幌へ転勤となり、その地でチフスに感染して死んでしまう。それを知った女は、自分がその男を愛していたことに気づき、以後その死んだ男に操をつくす、といったような内容である。現代人の感覚からすれば、この女は自分に忠実でないし、また、人格的に未熟である。そんな女でも、男を愛する気持ちには真剣なものがある。そんなふうに一葉は思って、この小説を構想したのだろうか。
以上三作を通じて言えることは、一葉は男女の恋愛とか女心とかいったものを描くことから作家としての活動を始めたということであろう。おそらく桃水の指導もあって、小説に芝居がかったドラマ性を持たせたいと願ったのではないか。それは処女作の「闇桜」では不発に終わったが、「五月雨」ではドラマとしての体裁をやや整え、「経つくえ」ではユニークなドラマ性を実現したということではないか。一葉後期の作品の特徴は、社会的な矛盾が女性に大きなしわ寄せとして現れている現状に対する怒りを描いたことにあると思うが、そうした社会的な視点は、以上三つの習作には見られない。
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