令和七年を展望する 落日贅言

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年が明けて小生は満七十七歳になった。これを世間では喜寿と言うそうだ。後期高齢者と呼ばれるよりはましかもしれない。ともあれ例年にしたがい、今年も年頭にあたって一年間を展望したいと思う。この年になると、来年以降まで展望する余裕はない。

まず初詣をした。今年は三年ぶりに中山法華経寺に参った。小生の家から法華経寺まではほぼ一里(四キロ)の行程である。歩くに丁度良い、そこで二日の午前十時ごろに家を出で、行田公園を横切り、武蔵野線の高架トンネルの手前で田舎道に入り、その道の突き当りにある熊野神社に参る。これはこの道を通るたびに行っていることだ。小生には深刻な方向音痴の症状があって、熊野神社の先でいつも道を見失う。そこらへんは昔ながらの畑道で、縦横無尽に入り組んでおり、地図も頼りにならないほど混みいっているからだ。今回も明王院の先で枝道に迷い込み、見当違いの方向に踏み込んでしまった。だが引き返すのも面倒なので、通行人に道案内を乞い、一番近くの駅は京成西船だというので、そこまで歩き、電車に乗っていくことにした。大した時間の遅れもなく法華経寺に参ることはできたが、自分の方向音痴のすさまじさには、はたと呆れた次第である。なにしろ来るたびに道を間違えるのである。今回はもしかして、昨年わずらった帯状疱疹の後遺症で、脳の神経がいかれているせいかもしれないなどと思ったりする。

八日には旧友鈴生を誘って成田に遊行した。京成船橋駅から成田行きの特急列車に乗る。その列車が勝田台に着くと鈴生が乗り込んでくる。かくして無事車内で合流して午後一時半ごろ成田についた。成田は少年時代から土地勘があるので、先日のように道に迷うことはない。京成の駅を降りると、正面の大通りには向かわず、右手の脇道を進んだ。鈴生はこの道は初めてだと言う。小生はいつもこの道を歩いたものだよ、と答える。鈴生のような男でも、つまりこの辺の地理に明るい男でも、知らない道があるというのは驚きだ。

新勝寺に向かう参道はかなりの人出だ。JRの駅前から新勝寺の先まで車両進入禁止にしてあるせいで、散歩気分で気楽に歩くことができる。賑やかな坂道を下って寺の門前に至る。途中の坂道の両側にはうなぎ屋が軒を並べ、いい匂いがあたりにただよっている。あとで適当な店を見つけて入るつもりだ。

急な階段を上って本堂前に出る。大本堂の建物は昭和の中ごろに建てられた比較的新しいものだそうだ。それ以前には、左手にある釈迦堂が本堂だった。小生が子どもの頃は、成田山といえば釈迦堂のことをさしたのである。大本堂の右手前にある三重塔は正徳二年(1712)の建立だそうだ。大本堂にお参りしたあと、裏手の公園を散策する。梅林を歩き、池まで降り、名取亭のあるあたりまで逍遥する。先日例の熟女たちを連れてきた時にも同じような道筋を歩いたものだ。

参拝後はどこか適当な店を選んでうなぎを食うことにした。成田に来てうなぎを食わないという法はない。駿河屋とか川豊といった有名店はなかなか入れそうもなかったので、比較的すいている店を選んで入った。そこでうなぎと生ビールを注文して鈴生と旧交を温めた次第である。かれ昨年は両眼の白内障を手術したそうだ。だが期待したほどの効果が現れないという。それは不可解だね、小生の知っている限り、白内障の手術を受ければ間違いなく視力が劇的に改善する。げんに家人も昨年手術して視力が回復したと言っている。鈴生の場合は、現在零点八くらいの視力はあると言うから、それでよしとするほかはないね。今年は先妣の三回忌だが、どうしようか迷っていると言うから、親の三回忌をやらないようでは人でなしといわれても仕方あるまいと忠告してやった。

小生についていえば、これは君もご存じのとおり昨年は帯状疱疹をわずらってひどい目にあった。まだ完治していないのだよ。今年は無病息災といきたいが、どうなることやら。なにしろいつ死んでもおかしくない年だからね。いつ何時お迎えが来ないとも限らない。お迎えが来た時に、見苦しいまねをしないで済むように、心身共に準備しておきたいものだ。

お迎えを待つ身として滑稽に映るかもしれんが、世の中の動きには比較的敏感なのだよ。去年は実にひどい年だったが、今年はもっとひどくなる可能性が強い。トランプが、アメリカの大統領だけでは満足せず、地球の支配者になることを企んでいる。すでにグリーンランドとパナマ運河をアメリカのものにすると言っている。必要なら武力行使も辞さないというから、これは完全に植民地主義丸出しの発想だよ。他人の持ち物を略奪するというのは、20世紀前半まではありえたことだが、いまでは誰も考えない暴挙だ。それを敢えてやろうというのだからね。イスラエルのシオニストらも顔負けの厚かましさだよ。トランプも身内にユダヤ人を抱えているから、これはユダヤ的な考えに毒されているのかもしれんね。小生がそう言うと鈴生は、グリーンランドを植民地支配しているデンマークにも、支配の正当性はないと言えなくもないから、トランプの言い分にも一理あるかもしれないね、とコメントした。

トランプはまた、隣国のカナダやメキシコにも圧力をかけている。カナダの首相に向かってアメリカの51番目の州になれと言ったり、メキシコに対しては侵略の意図を隠さないというではないか。カナダの首相は笑い飛ばしたそうだが、メキシコ側は深刻に受け止めているようだ。なにしろ何をするかわからない男だからね。固い同盟で結ばれていたEU諸国にも勝手なことを言っている。トランプの二期目は、一期目以上に国際的な混乱をもたらすだろう。さきほどユダヤ人の話が出たが、トランプはバイデン以上にユダヤ人の利益を優先すると思われる。おそらくネタニヤフによるパレスチナ人の民族浄化にお墨付きを与えるだろう。トランプはパレスチナ人に地獄を見させてやると言っているようだが、じっさいその通りになる可能性が強い。それについて、いわゆる西側諸国は見て見ぬふりを決め込むだろう。この連中は、シオニストのジェノサイドに加担しながら、スーダンにおけるジェノサイドを糾弾している。二重基準も甚だしいよ。

バイデンといいトランプといい、近年のアメリカは常軌を逸した人間が指導者として振る舞っている。それにはアメリカ人全体が人間として劣化したという事情もあるのではないか。バイデンとトランプは、人間としてのアメリカ人の劣化ぶりを象徴している。バイデンの場合にはその劣化は痴呆症というかたちをとり、トランプの場合には唯我独尊という形をとっているわけだ。そう小生が言うと、たしかにバイデンのボケぶりはひどいね、と鈴生が相槌をうつ。ネタニヤフの凶悪犯罪の片棒を担ぎながら、同盟国である日本の企業を安全保障上の驚異というのだから。

ところで日鉄のUSS買収はどうなるかね、と鈴生が重ねて言うので、はっきりした見通しはいまのところ示せないよと小生は答える。トランプは傲慢な人間なので、その傲慢さにつけいれば活路はあるかもしれない。おべっかを使ってかれの慢心を増長させれば、意外なことが起るかもしれない。かれは理性ではなく、感情に従って行動するタイプだから、かれの感情をコントロールすることに成功すれば、うまい具合に操れるかもしれない。

ウクライナはどうなるかね、世上では現状の固定化というかたちで収めるよう、両当事者に圧力をかけるだろうと言われているが、トランプはユダヤ人のゼレンスキーよりロシア人のプーチンのほうを贔屓にしているのかね、と鈴生が重ねて聞くから、いくらユダヤ贔屓でも、金勘定は別の問題だ。ウクライナに勝たせるというのは、どう考えてもありえない。そのありえないことに資源を費やすのは、金の無駄遣いだということを、トランプは実業家として理解できている。ゼレンスキーの希望を聞くことはしないのではないか。そう言うと、そんなことになったら、地球社会は19世紀以前に舞い戻ることになるのではないか、と鈴生が心配するので、19世紀も今もなんら相違はないよ、と答える。歴史には進歩などというものはない。あるのは欲望のぶつかりあいだよ、とスピノザめいたことを言って茶を濁したところだ。

こんな具合に、我々の世情談義はトランプの噂に終始した。そのトランプと日本はどう向き合ったらよいのか。色々難題を突き付けてくるだろうが、石破政権はそれをどうしのぐのか。安部や岸田のようにアメリカの従僕として振る舞うのでは能がない。かといってトランプと一戦を交える覚悟はできまい。愚策を悪いタイミングで打ち出すというのが石破の性癖だから、おそらく愚策を悪いタイミングで出し続け、じり貧になっていくというのが関の山ではないか。いずれにしても、国際関係は劇的に流動化するだろう。その流動化を見据えつつ、日本としていかにしたら国益を守れるか、それを念頭に置きながら政策の方向性を定めねばなるまい。それには、場合によっては対米関係を見直すというくらいの覚悟が必要だ。何の覚悟もなくして有効な決断はできない。

ところで、話題を世間話に戻すと、近頃は押し入り強盗が多いね、と鈴生が言う。以前は一階の玄関脇の部屋で寝ていたが、いまは二階に寝ているよ。寝首を掻かれる前に準備できるからね。女房はそれでも不安だといって防犯カメラの設置を検討している。お前さんはどうしているんだい、と聞くから、うちではセコムを入れているよ。セッティングして寝ている間に賊が押し入ろうとすると、センサーが反応して大音量の警告を発するようになっている。たいがいの賊はびっくりして逃げると思うよ。

久しぶりに食ううなぎはなかなかうまかった。鈴生がうなぎを食うのは十数年ぶりのことだというから、人間生きているかぎりはうまいものを食ったほうがよい。うなぎはたしかに高いが、それだけの価値はあるよ。もっと食った方がよいと忠告した次第だ。うなぎ屋を出た後、参道の土産屋を覗き歩き、家人のために米屋の栗羊羹を、自分のために瓜の鉄炮漬を買い求めた。






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