正法眼蔵第七十三は「他心通」の巻。他心通とは、五神通とか六神通とか呼ばれる人間の特殊な能力の一つで、他人の心を読み取る能力をいう。その能力を道元は正面から罵倒し、そんなものでさとりの境地は得られないと説く。他心通の能力があろうがなかろうが、さとりの境地はすべての人が平等に求めるべきものだというのである。
他心通は、インドで尊ばれていたようである。そのインドで他心通を体得したという修行者と慧忠国師のやりとりを中心にして、他心通がいかに仏教にとって無用なものかを、道元は明らかにしていく。慧忠国師は、禅宗六祖慧能の高弟で、青原行思、南嶽懐剰と並び称される高僧である。青原は曹洞宗の流れの祖であり、南額は臨済宗の流れの祖である。慧忠はそうした法統は残さなかったが、唐の粛宗、代宗の二代にわたって仏師として遇され、国師の称号を付与された。要するに、皇帝から国の仏教の指導者と認められたのである。
代宗の時に、インドから他心通を得たという大耳三蔵なる者がやってきた。そのものの実力をためそうとして、代宗は慧忠をして対面させた。慧忠は大耳に向かって、三度質問した。三度とも、「汝道ふべし、老僧則今什麼處にか在る」というものだった。老僧はいまどこにいるか、言ってみよ、というのである。最初の問いに大耳は、「和尚は是れ一國の師なり、何ぞ西川に却去いて競渡を看ることを得んや」と答えた。競渡とは競艇のこと。あなたはこの国の国師だというのに、西川で競艇をご覧だ、というのである。二度目には、「和尚は是れ一國の師なり、何ぞ天津橋の上に在つて、猢猻を弄するを看ることを得んや」と答えた。国師の身にして天津橋の上で猿回しを見ておられる、といったのである。ところが三度目に同じ問をかけると、大耳は応えられなかった。そこで国師は、「この野狐め、お前は他心通を得たと言うが、どこにそれがあるのか、と罵った。
この有名な逸話をめぐって、色々な解釈がなされてきた。それらの解釈は、最初の二度については大耳は国師の居場所を正確に当てていたが、三度目はそうではなかった、というふうに捉える。趙州は、国師が大耳の鼻の穴の上にいたので見えなかったのだろうと解釈する。玄沙は、あまり近くにいたのでかえって見えなかったのだろうと解釈する。仰山は、最初の二度は対象を見る心の働きに関するものだったが、三度目は国師が自受用三昧に耽っていたので、見えなかったのであろうと解釈する。海会の守端は、国師は大耳の眼晴裏にいたので見えなかったのだろうと解釈する。重顯禪師は、三度目は大耳のまけじゃといった。
この五人はいずれも、最初の二度は大耳の他心通を認めたうえで、三度目にそれが成功しなかった理由を詮索している。それは誤っている、と道元はいう。最初の二度も、他心通など働きはしなかったのだ。他心通とは、他人の心を読む能力のことというが、国師には読まれて困るような心はない。だいたい、仏教というのは、心を読む読まぬの問題ではない。心を読むことは仏教とは何の関係もない。それゆえ国師は、大耳に向かってそなたは他心通をできるかどうか試したのではなく、仏教を知っているかどうか試したのである。国師が大耳を叱ったのは、他心通がよくできなかったことではなく、仏教というものをまるで知らなかったためである。
そんなわけで道元は、「しかあればすなはち、西天の五通六通、このくにの薙草修田にもおよぶべからず。都無所用なり。かるがゆゑに、震旦國より東には、先みな五通六通をこのみ修せず、その要なきによりてなり」と断言するのである。
コメントする