
ラース・フォン・トリアーの2003年の映画「ドッグヴィル(Dogville)」は、よそ者に対して過酷な行動をする田舎者を描いた作品。ロッキー山地の小さな町を舞台に、そこにやってきた一人の女性を、町民たちがよってたかっていじめるという陰惨な内容の作品である。表面的には、よそ者へのいじめのように見えるが、アメリカへやってきた移民の境遇を思わせるように作られている。アメリカは移民の力を使って繫栄してきたが、その移民に対してフェアではない、といったメッセージを読み取ることができる。
抽象化された舞台を設定し、語り手(ナレーター)が物語を進行させるという変わった方法をとっている。ナレーションは章立てになっていて、プロローグに続いて九つの章が語られる。プロローグでは、ロッキー山地の小さな町とそこに住んでいる住民が紹介される。住民のなかでもっとも重要な役割を果たすのはトム・エディソンという青年である。
第一章は、トムがグレース(ニコール・キッドマン)という女性と出会う場面。グレースは何者かに追われている。どうやらギャングのようである。トムはグレースを町に迎えてほしいと町民らに提案するが、町民らは快くは受け入れない。
第二章。町民らは二週間様子をみて、その結果受け入れるかどうか判断するということになる。トムはグレースに町の人たちのために肉体労働をするように提案する。皆に気に入ってもらうためだ。
第三章.グレースは町の人々のために肉体労働を提供。その甲斐があって、町の一員として受け入れてもらう。
第四章.町に受け入れてもらって、グレースには楽しいひと時ができる。そこへ警察がやってきて、グレースの指名手配書を示す。町民らは動揺する。
第五章.町民が独立記念日を祝っていると、また警察がやってきて、グレースが強盗犯だという。二週間前に強盗事件をおこしたというのだが、その時点ではグレースはこの町にいたのである。だが、町民の動揺は深まる。
第六章.グレースはある子どもから折檻してくれと頼まれ、尻をひっぱたいてやる。その子供はどうやらマゾの傾向があるようだ。子供の母親がグレースに怒りをぶつける。そんな折、グレースは町民の一人に強姦される。だがそのことをいやとは思わない。これも肉体労働のひとつだと割り切る。
第七章.町民の対応ぶりにいやけをおこしたグレースは、村から脱出する決意をする。トラックにかくれて街を出るのだが、運転手から強姦されたうえに、また街に戻される。町民はグレースに首枷をして、逃走できないようにする。
第八章。教会に集まった町民を前に、グレースは真実を語る。町民たちは信じない。町中の男たちがグレースを欲望のはけ口にしていたという、かれらにとって都合の悪い真実だったからだ。
第九章.グレースは自分の境遇をなげき、ヤケになる。こんな町は消えてしまったほうがよいと思う。だが、彼女の未来は不確かなままだ。
こんな具合である。グレースをアメリカにやってきた移民の象徴と捉えれば、すべてはすんなりと結びつく。アメリカ社会は、移民なしではなりたたないのに、その移民に対して過酷である。グレースを脅かしているギャングとは、おそらくアメリカ政府のことであり、田舎者の町民たちは、移民を搾取する連中なのだろう。こんな映画を見せられると、トランプが登場した今のアメリカの醜悪な側面をリアルに感じる。
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