古典を読む

其のころの事と數多見ゆる人眞似のやうに、かたはら痛けれど、これは聞きし事なればなむ。賤しからぬすきものの、いたらぬ所なく、人に許されたる、やんごとなき所にて、物言ひ、懸想せし人は、この頃里に罷り出でてあなれば、實かと往きて氣色見むと思ひて、いみじく忍びて、唯小舍人童一人して來にけり。近き透垣の前栽に隱れて見れば、夕暮のいみじくあはれげなるに、簾捲き上げて、「只今は見る人もあらじ」と思ひ顔に打解けて、皆さまざまにゐて、萬の物語しつゝ、人のうへいふなどもあり。はやりかにうちさゝめきたるも、又恥しげにのどかなるも、數多たはぶれ亂れたるも、今めかしうをかしきほどかな。 

あさましき事は、今の一人の少將の君も、母上の御風よろしきさまに見え給へば、「彼所へ」と思せど、「夜など、きと尋ね給ふ事もあらむに、折節なからむも」と思して、御車奉り給ふ。これはさきざきも、御文なき折もあれば、何とも宣はず。例の清季參りて、 「御車」 といふを、申し傳ふる人も、一所はおはしぬれば、疑ひなく思ひて、 「かく」 と申すに、これも「いと俄に」とは思せど、今少し若くおはするにや、何とも思ひ至りもなくて、人々御衣など著せ換へ奉りつれば、我にもあらでおはしぬ。

權少將は、大將殿のうへの、御かぜの氣おはするにことつけて、例の泊り給へるに、いと物騒しく、客人など多くおはする程なれど、いと忍びて御車奉り給ふに、左衞門の尉も候はねば、時々もかやうの事に、いとつきづきしき侍にさゝめきて、御車奉り給ふ。大將殿のうへ、例ならず物し給ふ程にて、いたく紛るれば、御文もなき由宣ふ。

かやうにて明し暮し給ふに、中の君の御乳母なりし人はうせにしが、むすめ一人あるは、右大臣の少將の御乳母子の左衞門の尉といふが妻なり。たぐひなくおはするよしを語りけるを、かの左衞門の尉、少將に、 「しかじかなむおはする」 と語り聞えければ、按察の大納言の御許には心留め給はず、あくがれありき給ふ君なれば、御文などねんごろに聞えたまひけれど、つゆあるべき事とも思したらぬを、姫君も聞き給ひて、 「思ひの外にあはあはしき身の有樣をだに、心憂く思ふ事にて侍れば、まことに強きよすがおはする人を」 など宣ふも哀れなり。

昔物語などにぞ、かやうな事は聞ゆるを、いと有難きまで、あはれに淺からぬ御契りの程見えし御事を、つくづくと思ひ續くれば、年の積りけるほども、あはれに思ひ知られけり。 

いとほそき聲にて、
  かひなしとなに歎くらむしら浪も君がかたには心寄せてむ
といひたるを、さすがに耳疾く聞きつけて、 「今かたへに聞き給ひつや」 「これは、誰がいふにぞ」 「觀音の出で給ひたるなり」 「嬉しのわざや。姫君の御前に聞えむ」 と言ひて、さ言ひがてら、恐ろしくやありけむ、連れて走り入りぬ。 

「何事ならむ」と、心苦しと見れば、十ばかりなる男の、朽葉の狩衣二藍の指貫、しどけなく著たる、同じやうなる童に、硯の箱よりは見劣りなる紫檀の箱のいとをかしげなるに、えならぬ貝どもを入れて持て寄る。見するまゝに、 「思ひ寄らぬ隈なくこそ。承香殿の御方などに參り聞えさせつれば、これをぞ覓め得て侍りつれど。侍從の君の語り侍りつるは、大輔の君は、藤壺の御方より、いみじく多く賜はりにけり。すべて殘る隈なくいみじげなるを、いかにせさせ給はむずらむと、道のまゝも思ひまうで來つる」 とて、顔もつと赤くなりて言ひ居たるに、いとゞ姫君も心細くなりて、 「なかなかなる事を言ひ始めてけるかな。いと斯くは思はざりしを。ことごとしくこそ覓め給ひぬれ」 と宣ふに、

九月の有明の月に誘はれて、藏人の少將、指貫つきづきしく引き上げて、たゞ一人小舍人童ばかり具して、やがて朝霧も立ち隱しつべく、隙なげなるに、 「をかしからむ所の空きたらむもがな。」 と言ひて歩み行くに、木立をかしき家に、琴の聲仄かに聞ゆるに、いみじう嬉しくなりて、 「めぐる門の側など、崩れやある」 と見けれど、いみじく築地などまたきに、なかなか侘しく、「いかなる人のかく彈き居たるならむ」と、理なくゆかしけれど、すべきかたも覺えで、例の聲出ださせて隨身にうたはせ給ふ。 

土さへ割れて照る日にも、袖ほす世なく思しくづほるゝ。 十日余日、宵の月隈なきに、宮にいと忍びておはしたり。宰相の君に消息し給ひつれば、 「恥しげなる御有樣に、いかで聞えさせむ」 と言へど、 「さりとて、物のほど知らぬやうにや」 とて、妻戸押し開け對面したり。うち匂ひ給へるに、餘所ながらうつる心地ぞする。なまめかしう、心深げに聞え續け給ふ事どもは、 奧の夷も思ひ知りぬべし。

宮の御覽ずる所に寄らせ給ひて、 「をかしき事の侍りけるを、などか告げさせ給はざりける。中納言・三位など方別るゝは、戲れにはあらざりける事にこそは」 と宣はすれば、 「心に寄る方のあるにや。わくとはなけれど、さすがに挑ましげにぞ」 など聞えさせたまふ。 

中納言、さこそ心にいらぬ氣色なりしかど、その日になりて、えも言はぬ根ども引き具して參り給へり。小宰相の局に先づおはして、 「心幼く取り寄せ給ひしが心苦しさに、若々しき心地すれど、淺香の沼を尋ねて侍り。さりとも、まけ給はじ」 とあるぞ頼もしき。何時の間に思ひ寄りける事にか、言ひ過ぐすべくもあらず。 

五月待ちつけたる花橘の香も、昔の人戀しう、秋の夕に劣らぬ風にうち匂ひたるは、をかしうもあはれにも思ひ知らるゝを、山郭公も里馴れて語らふに、三日月の影ほのかなるは、折から忍び難くて、例の宮わたりに訪はまほしう思さるれど、「甲斐あらじ」とうち歎かれて、あるわたりの、猶情あまりなるまでと思せど、そなたは物憂きなるべし。「如何にせむ」と眺め給ふほどに、 「内裏に御遊び始まるを、只今參らせ給へ」 とて、藏人の少將參り給へり。 

「御返り事なからむは、いとふるめかしからむか。今やうは、なかなか初めのをぞし給ふなる」 などぞ笑ひてもどかす。少し今めかしき人にや、 
  一筋に思ひもよらぬ青柳は風につけつゝさぞ亂るらむ
今やうの手の、かどあるに書き亂りたれば、をかしと思ふにや、守りて居たるを、君見給ひて、後より俄に奪ひ取り給へり。 

この童來つゝ見る毎に、頼もしげなく、宮の内も寂しく凄げなる氣色を見て、かたらふ、 「まろが君を、この宮に通はし奉らばや。まだ定めたる方もなくておはしますに、いかによからむ。程遙かになれば、思ふ儘にも參らねば、おろかなりとも思すらむ。又、如何にと、後めたき心地も添へて、さまざま安げなきを」 といへば、 「更に今はさやうの事も思し宣はせず、とこそ聞け」 といふ。 「御容貌めでたくおはしますらむや。いみじき御子たちなりとも、飽かぬ所おはしまさむは、いと口惜しからむ。」 といへば、 「あな、あさまし。いかでか見奉らむ。人々宣ふは、萬むつかしきも、御前にだにまゐれば、慰みぬべしとこそ宣へ」 と語らひて、明けぬれば往ぬ。 

祭のころは、なべて今めかしう見ゆるにやあらむ、あやしき小家の半蔀も、葵などかざして心地よげなり。童の、袙・袴清げに著て、さまざまの物忌ども附け、化粧じて、我も劣らじと挑みたる氣色どもにて、行き違ふはをかしく見ゆるを、況してその際の小舍人・隨身などは、殊に思ひ咎むるも道理なり。

童の立てる、怪しと見て、 「かの立蔀のもとに添ひて、清げなる男の、さすがに、姿つき怪しげなるこそ、覗き立てれ。」 と言へば、此の大輔の君といふ、 
「あな、いみじ。御前には例の蟲興じ給ふとて、顯はにやおはすらむ。告げ奉らむ。」 とて、參れば、例の簾の外におはして、鳥毛蟲のゝしりて拂ひ墜させ給ふ。

右馬の助見給ひて、 「いと珍かに、樣異なる文かな」 と思ひて、 「いかで見てしがな」 と思ひて、中將と言ひ合せて、怪しき女どもの姿を作りて、按察使の大納言の出で給へるほどにおはして、姫君の住み給ふ方の、北面の立蔀のもとにて見給へば、男の童の、異なることなき草木どもに佇み歩きて、さていふやうは、 「この木にすべていくらも歩くは、いとをかしきものかな。これ御覽ぜよ。」 とて、簾を引き上げて、 「いと面白き鳥毛蟲こそ候へ」 といへば、さかしき聲にて、 「いと興あることかな。此方持て來」 と宣へば、 「取り別つべくも侍らず。唯こゝもとにて御覽ぜよ。」 といへば、荒らかに蹈みて出づ。

かゝる事世に聞えて、いとうたてある事をいふ中に、ある上達部の、御子うちはやりて物怖ぢせず、愛敬づきたるあり。この姫君のことを聞きて、「さりとも、これには怖ぢなむ」 とて、帶の端の、いとをかしげなるに、蛇の形をいみじく似せて、動くべきさまなどしつけて、鱗だちたる懸袋に入れて、結び附けたる文を見れば、  
  はふはふも君があたりにしたがはむ長きこころのかぎりなき身は 
とあるを、何心なく御前に持て參りて、 「袋などあくるだに怪しくおもたきかな」 とてひき開けたれば、蛇首をもたげたり。

これを若き人々聞きて、「いみじくさかし給へど、心地こそ惑へ。この御遊び物よ。いかなる人、蝶めづる姫君につかまつらむ」とて、兵衞といふ人、
  いかでわれとかむかたなくいでてかくかはむしながら見るわざはせし 
といへば、小大輔といふ人笑ひて、  
  うらやまし花や蝶やといふめれど鳥毛蟲くさき世をも見るかな 
などいひて笑へば、「からしや。眉はしも、鳥毛蟲だちためり。さて、はくきこそ、皮のむけたるにやあらむ」とて、左近といふ人、 
  冬くれば衣たのもし寒くともかはむしおほく見ゆるあたりは 
衣など著ずともあらむかし、など言ひあへるを、おとなおとなしき女聞きて、「若人達は、何事言ひおはさうずるぞ。蝶愛で給ふなる人、もはら、めでたうも覺えず、けしからずこそ覺ゆれ。さて又、鳥毛蟲竝べ、蝶といふ人ありなむやは。唯、それが蛻ぬくるぞかし。そのほどを尋ねてし給ふぞかし。それこそ心深けれ。蝶は捕ふれば、手にきりつきて、いとむつかしきものぞかし。又蝶は捕ふれば、瘧病せさすなり。あなゆゝしともゆゝし」といふに、いとゞ憎さ増りて言ひあへり。 

蝶愛づる姫君の住み給ふ傍に、按察使の大納言の御女、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづき給ふ事限りなし。この姫君の宣ふ事、「人々の、花や蝶やと賞づるこそ、はかなうあやしけれ。人は實あり。本地尋ねたるこそ、心ばへをかしけれ」 とて、萬の蟲の恐しげなるを取りあつめて、「これが成らむさまを見む。」とて、さまざまなる籠・箱どもに入れさせ給ふ。中にも、 「鳥毛蟲の心深き樣したるこそ心憎けれ」 とて、明暮は耳挾みをして、掌にそへ伏せてまぼり給ふ。

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