古典を読む

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むかし、まな心ある女ありけり。をとこ近うありけり。女、歌よむ人なりければ、心見むとて、菊の花のうつろへるを折りて、をとこのもとへやる。
  くれなゐにゝほふはいづら白雪の枝もとをゝに降るかとも見ゆ
をとこ、知らずよみによみける。
  くれなゐにゝほふがうへの白菊は折りける人の袖かとも見ゆ

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年ごろおとづれざりける人の、桜のさかりに見に来たりければ、あるじ
  あだなりと名にこそたてれ桜花年にまれなる人も待ちけり
返し、
  けふ来ずはあすは雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや

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むかし、紀の有常といふ人ありけり。み世の帝につかうまつりて、時に遇ひけれど、後は世かはり時うつりにければ、世の常の人のごともあらず、人がらは、心うつくしうあてはかなることを好みて、こと人にも似ず、貧しく経ても、なほ昔よかりし時の心ながら、世の常のことも知らず。年ごろあひ馴れたる妻、やうやう床離れて、つひに尼になりて、姉のさきだちてなりたる所へ行くを、をとこ、まことにむつまじきことこそなかりけれ、いまはと行くを、いとあはれと思ひけれど、貧しければするわざもなかりけり。思ひわびて、ねむごろに相語らひける友だちのもとに、かうかういまはとてまかるを、何事もいさゝかなることもえせで、遣はすことゝ書きて、おくに、
  手を折りてあひ見しことをかぞふれば十といひつゝ四つは経にけり
かの友だちこれを見て、いとあはれと思ひて、夜の物までおくりてよめる。
  年だにも十とて四つは経にけるをいくたび君をたのみ来ぬらむ
かくいひやりたりければ、
  これやこのあまの羽衣むべしこそ君がみけしとたてまつりけれ
よろこびにたへで、又、
  秋やくる露やまがふと思ふまであるは涙の降るにぞありける

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むかし、をとこ、陸奥の国に、すゞろに行きいたりにけり。そこなる女、京の人はめづらかにや覚えけむ、せちに思へる心なむありける。さてかの女、
  なかなかに恋に死なずは桑子にぞなるべかりける玉の緒ばかり
歌さへぞひなびたりける。さすがにあはれとや思ひけむ、いきて寝にけり。夜深く出でにけれは、女
  夜も明けばきつにはめなでくたかけのまだきに鳴きてせなをやりつる
といへるに、をとこ、京へなむまかるとて、
  栗原のあねはの松の人ならば都のつとにいざといはましを
といへりければ、よろこぼひて、おもひけらし、とぞいひをりける

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むかし、をとこありけり。人のむすめをぬすみて、武蔵野へ率て行くほどに、ぬす人なりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらの中におきて、逃げにけり。道来る人、この野はぬす人あなりとて、火つけむとす。女、わびて、
  武蔵野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり
とよみけるをきゝて、女をばとりて、ともに率ていにけり。

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むかし、をとこありけり。そのをとこ、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めにとて行きけり。もとより友とする人ひとりふたりしていきけり。道知れる人もなくて、まどひいきけり。三河のくに、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つわたせるによりてなむ八橋とはいひける。その澤のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり。その澤にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、かきつばたといふ五文字を句の上にすゑて、旅の心をよめ、といひければよめる。
  から衣きつゝなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、皆人、乾飯のうへに涙おとしてほとびにけり。

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むかし、をとこありけり。京や住みうかりけむ、あづまのかたにゆきて、住み所もとむとて、友とする人ひとりふたりして行きけり。信濃の国浅間の嶽にけぶりの立つを見て、  
  信濃なる浅間の嶽にたつ煙をちこち人の見やはとがめぬ

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むかし、をとこありけり。京にありわびて、あづまにいきけるに、伊勢、尾張のあはひの海づらをゆくに、浪のいと白くたつを見て、
  いとゞしく過ぎゆく方の恋ひしきにうらやましくもかへる浪かな
となむよめりける
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むかし、をとこありけり。女のえうまじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でゝ、いと暗きに来けり。芥川といふ河をゐていきければ、草の上にをきたりける露を、かれはなにぞとなむをとこに問ひける。ゆくさき多く、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、をとこ、弓やなぐひを負ひて、戸口にをり。はや夜も明けなむと思ツゝゐたりけるに、鬼はや一口に食ひけり。あなやといひけれど、神なるさはぎにえ聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見ればゐてこし女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。
  白玉かなにぞと人の問ひし時つゆとこたへて消えなましものを
これは、二条の后のいとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐたまへりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひていでたりけるを、御兄人堀河の大臣、太郎國経の大納言、まだ下らふにて内へまゐり給ふに、いみじう泣く人あるをきゝつけて、とゞめてとりかへし給うてけり。それをかく鬼とはいふなり。まだいと若うて、后のたゞにおはしましける時とや。

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むかし、をとこありけり。ひむがしの五条わたりに、いと忍びていきけり。みそかなる所なれば、門よりもえ入らで、童べの踏みあけたる築地のくづれより通ひけり。人しげくもあらねど、たびかさなりければ、あるじきゝつけて、その通ひ路に、夜ごとに人をすゑてまもらせければ、いけどえ逢はで帰りけり。さてよめる。
  人知れぬわが通ひ路の関守はよひよひごどにうちも寝なゝむ
とよめりければ、いといたう心やみけり。あるじゆるしてけり。二条の后にしのびてまゐりけるを、世の聞えありければ、兄人たちのまもらせ給ひけるとぞ

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むかし、ひむがしの五条に、大后の宮おはしましける。西の対に、住む人ありけり。それを本意にはあらで、心ざしふかゝりける人、行きとぶらひけるを、む月の十日ばかりのほどに、ほかにかくれにけり。ありどころは聞けど、人のいき通きかよふべき所にもあらざりければ、なを憂しと思ひつゝなむありける。又の年のむ月に、梅の花ざかりに、去年を恋ひていきて、立ちて見、ゐて見ゝれど、去年ににるべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷に月のかたぶくまでふせりて、去年を思ひいでゝよめる。
  月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
とよみて、夜のほのぼのと明くるに、泣く泣く帰りにけり。

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むかし、をとこありけり。懸想じける女のもとに、ひじきもといふ物をやるとて、
  思ひあらば葎の宿に寝もしなむひじきものには袖をしつゝも
二条の后の、まだ帝にも仕うまつりたまはで、ただ人にておはしましける時のことなり

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むかし、をとこ、うひかぶりして、平城の京、春日の里に、しるよしゝて、狩に往にけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。このをとこ、かいま見てけり。おもほえず、ふるさとに、いとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。をとこの着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。そのをとこ、しのぶずりの狩衣をなむ、着たりける。
  春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れかぎり知られず
となむ、をいつきて言ひやりける。ついでおもしろきことゝもや思ひけむ。
  みちのくの忍ぶもぢすり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに
といふ哥のこゝろばへなり。昔人は、かくいちはやきみやびをなむしける。

伊勢物語は今も多くの日本人に愛されている。九世紀の半ばごろに成立したこの古い歌物語は、二十一世紀に生きる日本人の心にも訴えかけるものを持っているからだろう。かくいう筆者も、少年時代にこの物語に感激して以来、還暦を過ぎた今でも、時折繙いては読んでいるところである。最近は、単に物語の本文に接するばかりではなく、絵巻物になったものを、絵物語として鑑賞するようにもなった。

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