古典を読む

蛇性の婬(十):雨月物語

| コメント(0)
 豐雄いふは、世の諺にも聞ゆることあり。人かならず虎を害する心なけれども、虎、反りて人を傷る意ありとや。なんぢ人ならぬ心より、我を纏ふて幾度かからきめを見するさへあるに、かりそめ言をだにも此の恐しき報ひをなんいふは、いとむくつけなり。されど吾を慕ふ心ははた世人にもかはらざれば、こゝにありて人々の歎き玉はんがいたはし。此の富子が命ひとつたすけよかし。然て我をいづくにも連れゆけといへば、いとうれしげに點頭<うなづき>をる。

蛇性の婬(九):雨月物語

| コメント(0)
 かくて閨房を免れ出て庄司にむかひ、かうかうの恐しき事あなり、これいかにして放<さけ>なん、よく計り玉へといふも、背にや聞くらんと聲を小やかにしてかたる。庄司も妻も面を青くして歎きまどひ、こはいかにすべき、こゝに都の鞍馬寺の僧の、年々熊野に詣づるが、きのふより此の向岳の蘭若<てら>に宿りたり。いとも驗なる法師にて凡そ疫病、妖災、蝗などをもよく祈るよしにて、此の郷の人は貴みあへり。此の法師請へてんとて、あはたゝしく呼びつげるに、漸して來りぬ。しかしかのよしを語れば、此の法師鼻を高くして、これらの蠱物らを捉んは何の難き事にもあらじ。必靜まりおはせとやすげにいふに、人々心落ちゐぬ。

蛇性の婬(八):雨月物語

| コメント(0)
明けの日大倭の郷にいきて、翁が惠みを謝し、且つ美濃絹三疋、筑紫綿二屯を遺り來り、猶此のものゝけの身禊し玉へとつゝしみて願ふ。翁これを納めて、祝部らにわかちあたへ、自らは一疋一屯をもとゞめずして、豐雄にむかひ、かれ、なんじが秀麗にたはけてなんぢを纒ふ。なんぢ又、かれが假の化に魅はされて丈夫<ますらを>心なし。今より雄氣してよく心を靜まりまさば、此らの邪神を逐<やら>はんに翁が力をもかり玉はじ。ゆめゆめ心を靜まりませとて実<まめ>やかに覺しぬ。豐雄夢のさめたるこゝちに、禮言尽きずして歸り來る。金忠にむかひて、此の年月かれに魅はされしは己が心の正しからぬなりし。親兄の孝をもなさで、君が家の覊ならんは由縁なし。御惠みいとかたじけなけれど、又も參りなんとて、紀の國に歸りける。

蛇性の婬(七):雨月物語

| コメント(0)
 三月にもなりぬ。金忠豐雄夫婦にむかひて、都わたりには似るべうもあらねど、さすがに紀路にはまさりぬらんかし。名細<なぐはし>の吉野は春はいとよき所なり。三船の山菜摘み川常に見るとも飽かぬを、此の頃はいかにおもしろからん。いざ玉へ出で立ちなんといふ。眞女兒うち笑ひて、よき人のよしと見玉ひし所は、都の人も見ぬを恨みに聞こえ侍るを、我が身稚きより、人おほき所、或は道の長手をあゆみては、必気のぼりてくるしき病あれば、從駕<みとも>にえ出で立ち侍らぬぞいと憂たけれ、山土産必ず待ちこひ奉るといふを、そはあゆみなんこそ病も苦しからめ、車こそもたらね、いかにもいかにも土は踏ませまいらせじ。留まり玉はんは豐雄のいかばかり心もとなかりつらんとて、夫婦すゝめたつに、豐雄もかうたのもしくの玉ふを、道に倒るゝともいかでかはと聞ゆるに、不慮ながら出でたちぬ。人々花やぎて出でぬれど、眞女子が麗なるには似るべうもあらずぞ見えける。

蛇性の婬(六):雨月物語

| コメント(0)
 二郎の姉が家は石榴市といふ所に、田邊の金忠といふ商人なりける。豐雄が訪らひ來るをよろこび、かつ月ごろの事どもをいとほしがりて、いついつまでもこゝに住めとて、念比に勞<いたは>りけり。年かはりて二月になりぬ。此の石榴市といふは、泊瀬の寺ちかき所なりき。佛の御中には泊瀬なんあらたなる事を、唐土までも聞えたるとて、都より邊鄙より詣づる人の、春はことに多かりけり。詣づる人は必ずこゝに宿れば、軒を並べて旅人をとゞめける。

蛇性の婬(五):雨月物語

| コメント(0)
 豐雄漸此の事を覺り、涙を流して、おのれ更に盗をなさず。かうかうの事にて縣の何某の女が、前の夫の帶びたるなりとて得させしなり。今にもかの女召して、おのれが罪なき事を覺らせ玉へ。助いよゝ怒りて、我が下司に縣の姓を名のる者ある事なし。かく僞るは刑ますます大なり。豐雄、かく捕はれていつまで僞るべき。あはれかの女召して問はせ玉へ。助、武士らに向ひて、縣の眞女子が家はいづくなるぞ、渠を押て捕へ來れといふ。

蛇性の婬(四):雨月物語

| コメント(0)
 母豐雄を召して、さる物何の料に買ひつるぞ。米も錢も太郎が物なり。吾主が物とて何をか持たる。日來は爲すまゝにおきつるを、かくて太郎に惡まれなば、天地の中に何國に住むらん。賢き事をも斈<まな>びたる者が、など是ほどの事わいためぬぞといふ。豐雄、実に買ひたる物にあらず。さる由縁有りて人の得させしを、兄の見咎めてかくの玉ふなり。父、何の譽ありてさる寶をば人のくれたるぞ。更におぼつかなき事。只今所縁かたり出でよと罵る。豐雄、此事只今は面俯なり。人傳に申し出で侍らんといへば、親兄にいはぬ事を誰にかいふぞと聲あらゝかなるを、太郎の嫁の刀自傍へにありて、此の事愚かなりとも聞き侍らん。入らせ玉へと宥むるに、つひ立ていりぬ。

蛇性の婬(三):雨月物語

| コメント(0)
 客も主もともに醉ごゝちなるとき、眞女子杯をあげて、豐雄にむかひ、花精妙櫻が枝の水にうつろひなす面に、春吹風をあやなし、梢たちぐゝ鶯の艶ひある聲していひ出るは、面なきことのいはで病みなんも、いづれの神になき名負ふすらんかし。努徒なる言にな聞き玉ひそ。故は都の生れなるが、父にも母にもはやう離れまいらせて、乳母の許に成長しを、此の國の受領の下司縣の何某に迎へられて伴なひ下りしははやく三とせになりぬ。夫は任はてぬ此の春、かりそめの病に死に玉ひしかば、便なき身とはなり侍る。都の乳母も尼になりて、行方なき修行に出でしと聞けば、彼方も又しらぬ國とはなりぬるをあはれみ玉へ。きのふの雨のやどりの御惠みに、信ある御方にこそとおもふ物から、今より後の齡をもて御宮仕へし奉らばやと願ふを、汚なき物に拾て玉はずば、此の一杯に千とせの契をはじめなんといふ。豐雄、もとよりかゝるをこそと乱心なる思ひ妻なれば、塒の鳥の飛び立ばかりには思へど、おのが世ならぬ身を顧みれば、親兄弟のゆるしなき事をと、かつうれしみ、且つ恐れみて、頓に答ふべき詞なきを、眞女兒わびしがりて、女の淺き心より、嗚呼なる事をいひ出でて、歸るべき道なきこそ面なけれ。かう淺ましき身を海にも沒らで、人の御心を煩はし奉るは罪深きこと。今の詞は徒ならねども、只醉ごゝちの狂言におぼしとりて、こゝの海にすて玉へかしといふ。

蛇性の婬(二):雨月物語

| コメント(0)
 女、いと喜しき御心を聞え玉ふ、其の御思ひに乾<ほし>てまいりなん。都のものにてもあらず。此の近き所に年來住みこし侍るが、けふなんよき日とて那智に詣で侍るを、暴なる雨の恐しさに、やどらせ玉ふともしらでわりなくも立ちよりて侍る。こゝより遠からねば、此の小休に出で侍らんといふを、強<あながち>に此の傘もていき玉へ。何の便にも求めなん。雨は更に休みたりともなきを。さて御住ゐはいづ方ぞ。是より使ひ奉らんといへば、新宮の邊にて縣の眞女兒が家はと尋ね玉はれ。日も暮れなん。御惠のほどを指し戴て歸りなんとて、傘とりて出づるを、見送りつも、あるじが簑笠かりて家に歸りしかど、猶俤の露忘れがたく、しばしまどろむ曉の夢に、かの眞女兒が家に尋ねいきて見れば、門も家もいと大きに造りなし、蔀おろし簾埀れこめて、ゆかしげに住みなしたり。眞女子出迎ひて、御情わすれがたく待ち戀ひ奉る。此方に入らせ玉へとて奧の方にいざなひ、酒菓子種々と管待しつゝ、うれしき醉ごゝちに、つひに枕をともにしてかたるとおもへば、夜明て夢さめぬ。現ならましかばと思ふ心のいそがしきに朝食も打ち忘れてうかれ出でぬ。

蛇性の婬(一):雨月物語

| コメント(0)
 いつの時代なりけん。紀の國三輪が崎に、大宅の竹助といふ人在りけり。此の人海の幸ありて、海郎どもあまた養ひ、鰭の廣物狭き物を尽してすなどり、家豐かに暮しける。男子二人、女子一人をもてり。太郎は質朴にてよく生産を治む。二郎の女子は大和の人のつまどひに迎へられて、彼所にゆく。三郎の豐雄なるものあり。生長優しく、常に都風たる事をのみ好みて、過活心なかりけり。父是を憂ひつゝ思ふは、家財をわかちたりとも即人の物となさん。さりとて他の家を嗣しめんもはたうたてき事聞くらんが病しき。只なすまゝに生し立て、博士にもなれかし、法師にもなれかし、命の極は太郎が覊物にてあらせんとて、強ひて掟をもせざりけり。此の豐雄、新宮の神奴安倍の弓麿を師として行き通ひける。

吉備津の釜(四):雨月物語

| コメント(1)
 時うつりて生き出づ。眼をほそくひらき見るに、家と見しはもとありし荒野の三昧堂にて、黒き佛のみぞ立せまします。里遠き犬の聲を力に、家に走りかへりて、彦六にしかしかのよしをかたりければ、なでふ狐に欺かれしなるべし。心の臆れたるときはかならず迷はし神の魘ふものぞ。足下のごとく虚弱き人のかく患ひに沈みしは、神佛に祈りて心を収めつべし。刀田の里にたふとき陰陽師のいます。身禊して厭苻をも戴き玉へと、いざなひて陰陽師の許にゆき、はじめより詳にかたりて此の占をもとむ。

吉備津の釜(三):雨月物語

| コメント(0)
 正太郎今は俯して黄泉をしたへども招魂の法をももとむる方なく、仰ぎて古郷をおもへばかへりて地下よりも遠きこゝちせられ、前に渡りなく、後に途をうしなひ、昼はしみらに打ち臥して、夕々ごとには塚のもとに詣でて見れば、小草はやくも繁りて、虫のこゑすゞろに悲し。

吉備津の釜(二):雨月物語

| コメント(0)
 香央の女子磯良かしこに徃きてより、夙に起き、おそく臥して、常に舅姑の傍を去らず、夫が性をはかりて、心を尽して仕へければ、井沢夫婦は孝節を感でたしとて歡びに耐へねば、正太郎も其の志に愛でてむつまじくかたらひけり。されどおのがまゝのたはけたる性はいかにせん。いつの比より鞆の津の袖といふ妓女にふかくなじみて、遂に贖ひ出し、ちかき里に別莊をしつらひ、かしこに日をかさねて家にかへらず。磯良これを怨みて、或は舅姑の忿りに托せて諌め、或ひは徒なる心をうらみかこてども、大虚にのみ聞きなして、後は月をわたりてかへり來らず。父は磯良が切なる行止を見るに忍びず。正太郎を責めて押し篭ける。

吉備津の釜(一):雨月物語

| コメント(0)
 妬婦の養ひがたきも、老いての後其の功を知ると、咨これ何人の語ぞや。害ひの甚しからぬも商工を妨げ物を破りて、垣の隣の口をふせぎがたく、害ひの大なるにおよびては、家を失ひ國をほろぼして、天が下に笑を傳ふ。いにしへより此の毒にあたる人幾許といふ事をしらず。死して蟒となり。或は霹靂を震ふて怨を報ふ類は、其の肉を醢にするとも飽くべからず。さるためしは希なり。夫のおのれをよく脩めて教へなば、此の患おのづから避くべきものを、只かりそめなる徒ことに、女の慳しき性を募らしめて、其の身の憂をもとむるにぞありける。禽を制するは氣にあり。婦を制するは其の夫の雄々しきにありといふは、現にさることぞかし。

仏法僧(四):雨月物語

| コメント(0)
 御堂のうしろの方に仏法々々と啼く音ちかく聞ゆるに、貴人杯をあげ玉ひて、例の鳥絶えて鳴かざりしに、今夜の酒宴に榮あるぞ、紹巴いかにと課せ玉ふ。法師かしこまりて、某が短句公にも御耳すゝびましまさん。こゝに旅人の通夜しけるが、今の世の俳諧風をまうして侍る。公にはめづらしくおはさんに召して聞かせ玉へといふ。それ召せと課せらるゝに、若きさむらひ夢然が方へむかひ、召し玉ふぞ、ちかうまゐれと云ふ。夢現ともわかで、おそろしさのまゝに御まのあたりへはひ出づる。法師夢然にむかひ、前によみつる詞を公に申し上げよといふ。夢然恐る恐る、何をか申しつる更に覺え侍らず。只赦し給はれと云ふ。法師かさねて、秘密の山とは申さゞるや。殿下の問はせ玉ふ。いそぎ申し上げよといふ。夢然いよいよ恐れて、殿下と課せ出され侍るは誰にてわたらせ玉ひ、かゝる深山に夜宴をもよほし給ふや。更にいぶかしき事に侍るといふ。

仏法僧(三):雨月物語

| コメント(0)
 貴人又曰はく。絶て紹巴が説話を聞かず、召せとの給ふに、呼びつぐやうなりしが、我跪くまりし背の方より、大なる法師の、面うちひらめきて、目鼻あざやかなる人の、僧衣かいつくろひて座の未にまゐれり。貴人古語かれこれ問ひ弁へ給ふに、詳に答へたてまつるを、いといと感でさせ玉ふて、他に録とらせよとの給ふ。一人の武士かの法師に問ひていふ。此の山は大徳の啓き玉ふて、土石草木も靈なきはあらずと聞く。さるに玉川の流には毒あり。人飮む時は斃るが故に、大師のよませ玉ふ哥とて
   わすれても汲みやしつらん旅人の高野の奧の玉川の水
といふことを聞き傳へたり。大徳のさすがに、此の毒ある流をば、など涸せては果し給はぬや。いぶかしき事を足下にはいかに弁へ玉ふ。

仏法僧(二):雨月物語

| コメント(1)
 御廟のうしろの林にと覺えて、仏法々々となく鳥の音山彦にこたへてちかく聞ゆ。夢然目さむる心ちして、あなめづらし、あの啼く鳥こそ仏法僧といふならめ。かねて此山に栖みつるとは聞しかど、まさに其の音を聞きしといふ人もなきに、こよひのやどりまことに滅罪生善の祥なるや。かの鳥は清淨の地をえらみてすめるよしなり。上野の國迦葉山、下野の國二荒山、山城の醍醐の峯、河内の杵長山。就中此の山にすむ事、大師の詩偈ありて世の人よくしれり
  寒林獨坐草堂曉  
  三寶之聲聞一鳥  
  一鳥有聲人有心  
  性心雲水倶了々  
又ふるき歌に
  松の尾の峯静かなる曙にあふざて聞けば佛法僧啼く

仏法僧(一):雨月物語

| コメント(0)
 うらやすの國ひさしく、民作業をたのしむあまりに、春は花の下に息らひ、秋は錦の林を尋ね、しらぬ火の筑紫路もしらではと械まくらする人の、冨士筑波の嶺々を心にしむるぞそゞろなるかな。

夢応の鯉魚(三):雨月物語

| コメント(1)
 急にも飢ゑて食ほしげなるに、彼此にあさり得ずして狂ひゆくほどに、忽ち文四が釣を垂るにあふ。其の餌はなはだ香し。心又河伯の戒を守りて思ふ。我は佛の御弟子なり。しばし食を求め得ずとも、なぞもあさましく魚の餌を飮むべきとてそこを去る。しばしありて飢ますます甚しければ、かさねて思ふに、今は堪へがたし。たとへ此の餌を飮むとも嗚呼に捕れんやは。もとより他は相識るものなれば、何のはゞかりかあらんとて遂に餌をのむ。

夢応の鯉魚(二):雨月物語

| コメント(1)
 我此の頃病にくるしみて堪がたきあまり、其の死したるをもしらず、あつきこゝちすこしさまさんものをと、杖に扶けられて門を出れば、病もやゝ忘れたるやうにて篭の鳥の雲井にかへるこゝちす。山となく里となく行々て、又江の畔に出づ。湖水の碧なるを見るより、現つなき心に浴て遊びなんとて、そこに衣を脱ぎ去て、身を跳らして深きに飛び入りつも、彼此に游びめぐるに、幼より水に狎れたるにもあらぬが、慾ふにまかせて戲れけり。今思へば愚なる夢ごゝろなりし。

Previous 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11



最近のコメント

アーカイブ