古典を読む

西行桜:西行を読む

| コメント(0)
世阿弥の能の傑作に「西行桜」がある。西行の次の歌、
  花見にとむれつつ人の来るのみぞあたらさくらの咎にはありける(山87)
この歌をモチーフにして変則の複式夢幻能に仕立てたものだ。変則というのは、普通複式夢幻能ではシテが前後両段に姿を変えて現れるのに、この能ではシテは桜の樹精となって後段にしか現れないからである。ともあれこの作品に世阿弥は大分自信があったようで、「後の世かかる能書くものやあるまじき」(申楽談義)と語っているほどだ。

浄土と桜:西行を読む

| コメント(1)
  願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃(山77)
これは西行の歌の中でもっとも有名なものの一つだ。生涯桜を愛した西行が、生涯の終わりにも桜を眺めながら死んでゆきたい、と歌ったものだと解釈されるのが普通で、西行の純粋な美意識がこもったものだと受け取られてきた。この歌に、単なる美意識を超えて、西行の浄土信仰が込められていると解釈したのは吉本隆明である(西行論)。

落花:西行を読む

| コメント(0)
桜は咲くとすぐに散ってしまうものであるから、桜の花の散るさまを歌った歌は多い。万葉集から次の二首をあげてみよう。
  阿保山の桜の花は今日もかも散り乱るらん見る人なしに(1867)
  春雨はいたくなふりそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも(1870)
一首目は、阿保山の桜が見る人もなく散ってしまうのは惜しい、という気持を歌ったものであり、二首目は、桜が見る人もなく散るのは惜しいからあまり強く降らないでくれと春雨に呼びかけている。どちらも桜の花が人知れず散ってしまうのが惜しいという感情を歌ったもので、歌としては非常に素直なものだ。

吉野の桜:西行を読む

| コメント(0)
桜といえば真っ先に吉野の名が出るほどに、吉野は桜の名所として知られる。吉野に桜が植えられたのは平安時代からだというので、西行の時代にはその最初のブームが訪れたものと思われる。その吉野の桜を西行はこよなく愛し、夥しい数の歌を読んでは、その感慨を吐露している。感慨の内容は、桜の視覚的な美しさを歌ったものよりも、それが見るものの心に訴えるものを表現したというものが多い。

花の歌:西行を読む

| コメント(0)
花と言えば桜、というほどに、日本人にとって桜は特別な花である。だが神代の昔からそうだったかと言えば、必ずしもそうとは言えないようである。万葉集には多くの花が歌われているが、そのうち最も多いのは秋に咲く萩で百四十二首、その次は梅で百十九首が歌われている。これに対して桜は四十六首である。数が少ないだけではない、万葉集で単に花と言えば、梅をさすのが殆どである。ということは、万葉の時代までは、梅が最も日本人に愛された花であり、桜はそうでもなかったということになる。

春の歌:西行を読む

| コメント(0)
西行自選の歌集「山家集」の構成は、春以下四季それぞれの部に始まり、恋の部、雑の部と続く。これは基本的には古今集の構成に従ったもので、古今集で賀、離別、羇旅、物名、哀傷、雑とあるものを雑の部としてまとめたものである。歌を四季以下こういう分類基準で構成するのはいわゆる八大集をはじめすべての勅撰和歌集に共通したものであり、歌というものについての日本人の向き合い方が反映されているといってよい。西行もまた、日本人のそうした姿勢に従ったということであろう。

貧福論(四):雨月物語

| コメント(0)
 左内いよいよ興に乘じて、靈の議論きはめて炒なり、舊しき疑念も今夜に消じつくしぬ。試みにふたゝび問はん。今豊臣の戚風四海を靡し、五畿七道漸しづかなるに似たれども、亡國の義士彼此に潜み竄れ、或は大國の主に身を托せて世の変をうかゞひ、かねて志を遂げんと策る。民も又戰國の民なれば、耒を釈てて矛に易え、農事をことゝせず、士たるもの枕を高くして眠るべからず。今の躰にては長く不朽の政にもあらじ。誰か一統して民をやすきに居しめんや。又誰にか合し給はんや。

貧福論(三):雨月物語

| コメント(0)
 翁いふ。君が問ひ玉ふは徃古より論じ尽さゞることわりなり。かの佛の御法を聞けば、富と貧しきは前生の脩否<よきあしき>によるとや。此はあらましなる教へぞかし。前生にありしときおのれをよく脩め、慈悲の心專らに、他人にもなさけふかく接はりし人の、その善報によりて、今此生に富貴の家にうまれきたり、おのがたからをたのみて他人にいきほひをふるひ、あらぬ狂言をいひのゝじり、あさましき夷こゝろをも見するは、前生の善心かくまでなりくだる事はいかなるむくひのなせるにや。佛菩薩は名聞利要を嫌み給ふとこそ聞つる物を、など貧福の事に係づらひ給ふべき。

貧福論(二):雨月物語

| コメント(0)
 恒の産なきは恒の心なし。百姓は勤めて穀<たなつもの>を出し、工匠等修めてこれを助け、商賈務めて此を通はし、おのれおのれが産を治め家を富まして、祖を祭り子孫を謀る外、人たるもの何をか爲ん。諺にもいへり。千金の子は市に死せず。富貴の人は王者とたのしみを同じうすとなん。まことに渕深ければ魚よくあそび、山長ければ獸よくそだつは天の隨なることわりなり。

貧福論(一):雨月物語

| コメント(0)
 陸奧の國蒲生氏郷の家に、岡左内といふ武士あり。祿おもく、譽たかく、丈夫の名を關の東に震ふ。此の士いと偏固なる事あり。富貴をねがふ心常の武扁にひとしからず。儉約を宗として家の掟をせしほどに、年を疊みて富昌<さか>へけり。かつ軍を調練<たなら>す間には、茶味翫香を娯しまず。廳上<ひとま>なる所に許多の金を布き班べて、心を和さむる事、世の人の月花にあそぶに勝れり。人みな左内が行跡をあやしみて、吝嗇野情の人なりとて、爪はぢきをして惡みけり。

青頭巾(四):雨月物語

| コメント(0)
 一とせ速くたちて、むかふ年の冬十月の初旬、快庵大徳、奧路のかへるさに又こゝを過ぎ給ふが、かの一宿のあるじが莊に立ちよりて、僧が消息を尋ね玉ふ。莊主よろこび迎へて、御僧の大徳によりて鬼ふたゝび山をくだらねば、人皆淨土にうまれ出でたるごとし。されど山にゆく事はおそろしがりて、一人としてのぼるものなし。さるから消息をしり侍らねど、など今まで活きては侍らじ。今夜の御泊りにかの菩提をとふらひ給へ。誰も隨縁したてまつらんといふ。

青頭巾(三):雨月物語

| コメント(0)
 山院人とゞまらねば、樓門は荊棘おひかゝり、經閣もむなしく苔蒸しぬ。蜘網をむすびて諸佛を繋ぎ、燕子の糞護摩の牀をうづみ、方丈廊房すべて物すざましく荒れはてぬ。日の影申にかたふく比、快庵禪師寺に入りて錫を鳴らし給ひ、遍參の僧今夜ばかりの宿をかし給へと、あまたたび叫どもさらに應へなし。眠藏より痩槁たる僧の漸々とあゆみ出で、咳たる聲して、御僧は何地へ通るとてこゝに來るや、此の寺はさる由縁ありてかく荒れはて、人も住まぬ野らとなりしかば、一粒の齋糧もなく、一宿をかすべきはかりこともなし、はやく里に出でよといふ。

青頭巾(二):雨月物語

| コメント(0)
 快庵この物がたりを聞せ給ふて、世には不可思議の事もあるものかな、凡そ人とうまれて、佛菩薩の教の廣大なるをもしらず、愚なるまゝ、慳<かだま>しきまゝに世を終るものは、其の愛慾邪念の業障に攬れて、或は故の形をあらはして恚を報ひ、或は鬼となり蟒<みづち>となりて祟りをなすためし、徃古より今にいたるまで算ふるに尽しがたし。又人活きながらにして鬼に化するもあり。楚王の宮人は蛇となり、王含が母は夜刄となり、呉生が妻は蛾となる。又いにしへある僧卑しき家に旅寢せしに、其の夜雨風はげしく、燈さへなきわびしさにいも寢られぬを、夜ふけて羊の鳴くこゑの聞えけるが、頃刻<しばらく>して僧のねふりをうかゞひてしきりに嗅ぐものあり。僧異しと見て、枕におきたる禪杖をもてつよく撃ちければ、大きに叫んでそこにたをる。この音に主の嫗なるもの燈を照し來るに見れば、若き女の打たをれてぞありける。嫗泣々命を乞ふ。いかゞせん。捨てて其の家を出でしが、其のち又たよりにつきて其の里を過ぎしに、田中に人多く集ひてものを見る。僧も立ちよりて何なるぞと尋ねしに、里人いふ、鬼に化したる女を捉へて、今土にうづむなりとかたりしとなり。

青頭巾(一):雨月物語

| コメント(0)
 むかし快菴禪師といふ大徳の聖おはしましけり。総角より教外の旨をあきらめ給ひて、常に身を雲水にまかせたまふ。美濃の國の龍泰寺に一夏を滿たしめ、此の秋は奧羽のかたに住ふとて、旅立ち玉ふ。ゆきゆきて下野の國に入り玉ふ。

蛇性の婬(十):雨月物語

| コメント(0)
 豐雄いふは、世の諺にも聞ゆることあり。人かならず虎を害する心なけれども、虎、反りて人を傷る意ありとや。なんぢ人ならぬ心より、我を纏ふて幾度かからきめを見するさへあるに、かりそめ言をだにも此の恐しき報ひをなんいふは、いとむくつけなり。されど吾を慕ふ心ははた世人にもかはらざれば、こゝにありて人々の歎き玉はんがいたはし。此の富子が命ひとつたすけよかし。然て我をいづくにも連れゆけといへば、いとうれしげに點頭<うなづき>をる。

蛇性の婬(九):雨月物語

| コメント(0)
 かくて閨房を免れ出て庄司にむかひ、かうかうの恐しき事あなり、これいかにして放<さけ>なん、よく計り玉へといふも、背にや聞くらんと聲を小やかにしてかたる。庄司も妻も面を青くして歎きまどひ、こはいかにすべき、こゝに都の鞍馬寺の僧の、年々熊野に詣づるが、きのふより此の向岳の蘭若<てら>に宿りたり。いとも驗なる法師にて凡そ疫病、妖災、蝗などをもよく祈るよしにて、此の郷の人は貴みあへり。此の法師請へてんとて、あはたゝしく呼びつげるに、漸して來りぬ。しかしかのよしを語れば、此の法師鼻を高くして、これらの蠱物らを捉んは何の難き事にもあらじ。必靜まりおはせとやすげにいふに、人々心落ちゐぬ。

蛇性の婬(八):雨月物語

| コメント(0)
明けの日大倭の郷にいきて、翁が惠みを謝し、且つ美濃絹三疋、筑紫綿二屯を遺り來り、猶此のものゝけの身禊し玉へとつゝしみて願ふ。翁これを納めて、祝部らにわかちあたへ、自らは一疋一屯をもとゞめずして、豐雄にむかひ、かれ、なんじが秀麗にたはけてなんぢを纒ふ。なんぢ又、かれが假の化に魅はされて丈夫<ますらを>心なし。今より雄氣してよく心を靜まりまさば、此らの邪神を逐<やら>はんに翁が力をもかり玉はじ。ゆめゆめ心を靜まりませとて実<まめ>やかに覺しぬ。豐雄夢のさめたるこゝちに、禮言尽きずして歸り來る。金忠にむかひて、此の年月かれに魅はされしは己が心の正しからぬなりし。親兄の孝をもなさで、君が家の覊ならんは由縁なし。御惠みいとかたじけなけれど、又も參りなんとて、紀の國に歸りける。

蛇性の婬(七):雨月物語

| コメント(0)
 三月にもなりぬ。金忠豐雄夫婦にむかひて、都わたりには似るべうもあらねど、さすがに紀路にはまさりぬらんかし。名細<なぐはし>の吉野は春はいとよき所なり。三船の山菜摘み川常に見るとも飽かぬを、此の頃はいかにおもしろからん。いざ玉へ出で立ちなんといふ。眞女兒うち笑ひて、よき人のよしと見玉ひし所は、都の人も見ぬを恨みに聞こえ侍るを、我が身稚きより、人おほき所、或は道の長手をあゆみては、必気のぼりてくるしき病あれば、從駕<みとも>にえ出で立ち侍らぬぞいと憂たけれ、山土産必ず待ちこひ奉るといふを、そはあゆみなんこそ病も苦しからめ、車こそもたらね、いかにもいかにも土は踏ませまいらせじ。留まり玉はんは豐雄のいかばかり心もとなかりつらんとて、夫婦すゝめたつに、豐雄もかうたのもしくの玉ふを、道に倒るゝともいかでかはと聞ゆるに、不慮ながら出でたちぬ。人々花やぎて出でぬれど、眞女子が麗なるには似るべうもあらずぞ見えける。

蛇性の婬(六):雨月物語

| コメント(0)
 二郎の姉が家は石榴市といふ所に、田邊の金忠といふ商人なりける。豐雄が訪らひ來るをよろこび、かつ月ごろの事どもをいとほしがりて、いついつまでもこゝに住めとて、念比に勞<いたは>りけり。年かはりて二月になりぬ。此の石榴市といふは、泊瀬の寺ちかき所なりき。佛の御中には泊瀬なんあらたなる事を、唐土までも聞えたるとて、都より邊鄙より詣づる人の、春はことに多かりけり。詣づる人は必ずこゝに宿れば、軒を並べて旅人をとゞめける。

蛇性の婬(五):雨月物語

| コメント(0)
 豐雄漸此の事を覺り、涙を流して、おのれ更に盗をなさず。かうかうの事にて縣の何某の女が、前の夫の帶びたるなりとて得させしなり。今にもかの女召して、おのれが罪なき事を覺らせ玉へ。助いよゝ怒りて、我が下司に縣の姓を名のる者ある事なし。かく僞るは刑ますます大なり。豐雄、かく捕はれていつまで僞るべき。あはれかの女召して問はせ玉へ。助、武士らに向ひて、縣の眞女子が家はいづくなるぞ、渠を押て捕へ來れといふ。

Previous 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11



最近のコメント

アーカイブ