日本文学覚書

桑中喜語

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桑中喜語とは桑年にあたっての述懐というような意味である。桑年とは馬歯四十八歳を言う。桑の異体である「桒」の字が、十を四つと八を重ねていることから、四十八を指すようになり、そこから桑年を四十八歳を意味させるようになったものだ。米の字が二つの八と十を重ねたことから八十八となり、そこから米寿を八十八歳を意味させたのと同じことわりである。

荷風は江戸芸術論中の演劇論「江戸演劇の特質」を、依田学海・福地桜痴らの批判から始めている。依田学海といえば今では殆ど知る者もないが、荷風が生きていた頃にはまだ演劇論者として知られていたようである。その依田学海らの演劇論の特徴を荷風は改良演劇とし称している。改良とは何をさして言うかといえば、それは従来の歌舞伎などのいわゆる江戸演劇が、音響や所作を中心にした様式的な特徴を持つに対して、セリフを多用したリアルなものでなければならないと主張するものである。依田学海はそれを活歴史劇と称した。リアルな歴史劇という意味である。つまり歴史的な出来事をありありと再現することを以て改良演劇の使命としたわけである。

江戸芸術論中狂歌を論ずる一文の冒頭を荷風は次のように書いている。「一歳われ頻りに浮世絵を見る事を楽しみとせしが其の事より相関連して漸く狂歌に対する趣味をも覚ゆるやうになりぬ」と。つまり荷風は狂歌を浮世絵と関連させて見ているわけである。両者は互いに切っても切れない縁にある。それが荷風の受け取り方だった。

荷風文学の著しい特質は古き日本への懐古趣味にある。江戸芸術論はそんな荷風の懐古趣味を学問的な体裁のもとで表明したものである。とは言っても、学問というものを軽蔑していたらしい荷風のこと、理屈ばったものの言い方はしない。自分の直感を他人にもわかりやすく説明したものというくらいに受け取ったほうがよい。学問の原点というものは、自分の意見を他人にもわかりやすく説明することだからである。江戸芸術を論じる荷風の語り口は実にわかりやすい。

馴染を重ねたる女一覧表の十四番目山路さん子は、関根うたとの交際末期に付き合うことになり、それがもとでうたとの関係にひびが入り遂に破局したことは前に触れたとおりだ。荷風がこの女と出会ったのは昭和五年一月中のことと思われ、その後同年八月に千円で見受けし、四谷追分の播磨屋に預けていたが、翌昭和六年九月に手を切っている。関根うたと手を切ったのは同年八月末のことであるから、荷風は二人の女をほぼ同時に失ったことになる。そのうちの一人関根うたは、一度は自分の老後を託そうと思ったほど大事にしていた女だった。

馴染を重ねたる女一覧表十三番目の関根うたは、荷風が生涯に愛した女のなかでは、若い頃に入籍した八重次を別にすれば、最も深く馴染んだ女だったと言える。浮気者の荷風にしては珍しく四年間も関係が続いたし、別れたあとでもたびたび会っている。そして老いてなお、折につけてはその面影を慕い続けた。荷風がこれほど思い入れを持った女は他にはなかなか見当たらない。

馴染を重ねたる女一覧表の九番目は大竹とみである。この女のことを荷風は一覧表の欄外に書き、しかも
「大正十四年暮より翌年七月迄江戸見坂下に囲ひ置きたる私娼」
と言う具合にごくさりげなく書いているのみであるが、日記本体にあたると、荷風のこの女への執着には相当のものが感じられる。それはこの女が美形だったことによる。この女を荷風は、自分が生涯に出会った女のなかで最も美しいとまで言っている。

馴染を重ねたる女一覧表五番目の女は米田みよといって、新橋花家の抱え芸者であった。この芸者を荷風は大正四年十二月の大晦日に五百円で親元身請けして、翌年の正月から八月まで浅草代地河岸の家に囲い置き、その後神楽坂に松園という待合を営ませること三ヶ月にして手を切ったという。荷風がこの女と懇ろとなったのは八重次と結婚生活の最中のことであり、この浮気がもとで八重次が荷風のもとを去ったとされている。しかし八重次はその後も荷風と会っており、そのことで荷風は焼け棒杭に火がついたと言って、照れている。

断腸亭日乗昭和十一年一月三十日の条に、帰朝以来馴染を重ねたる女の一覧表なるものが載せられている。これは明治四十一年に数年にわたる欧米滞在から帰国したあと、この日までに荷風が馴染を重ねた女十六人について簡単なコメントを付したもので、女の数は十六人にのぼる。この数だけでも荷風がいかに女好きだったかがわかるというものだ。荷風はここに記された以外にも多くの女たちと情交を重ね、その中から創作のエネルギーを汲み取った。なにしろ荷風が生涯に書いた文章のうち小説の部類に入るものはことごとく男女の情交をテーマにしている。荷風はその材料やら構想をそれらの女たちとの触れ合いから汲み出した。したがって女への執念が薄れるとともに、荷風の創作意欲も失われたのである。

荷風の小説「踊子」は戦時下の息苦しい時代に発表のあてもなく書いたものだ。そんなところからこの小説には荷風の本音のようなものが込められている。その本音というのは自分と女性との望ましい関係についてのもので、自分は女を愛玩動物のように可愛がりたいと思う一方、自分の生き方を女によって拘束されたくないというものだったように見える。実際この小説に出てくる二人の踊子、彼女らは実の姉妹なのだが、その二人とも主人公の男を拘束することがない。姉のほうは自分の亭主が妹に手を出しても文句を言わないばかりか、亭主が妹に産ませた子どもを自分が引き取って育てようとまでする。妹は妹で姉の夫にさんざんいい思いをさせてやったうえで、自分は踊子をやめて芸者になり、身を売った金を姉たち夫婦に気前よく与えるのである。その金で主人公の男は勝手気ままな暮らしをすることができる。スケコマシとまではいわないが、それに近い、女によって養われているような男である。

小説「浮沈」は昭和十四年前後の東京を主な舞台としている。昭和十四年と言えばヨーロッパで第二次大戦が始まった年であるし、日本では対中戦争が泥沼化し、太平洋戦争に向かって坂を転げ落ちるように突き進んでいった時代である。そんな時代を背景にして、この小説は作者永井荷風の反戦意識というか厭戦気分のようなものを色濃く反映している。この厭戦気分を荷風は日記「断腸亭日常」の中でも吐露していたが、小説では日記ほど露骨に言うわけにもいかぬので、かなりモディファイされた形においてではあるが、荷風日頃の厭戦気分を表現している。

小説「浮沈」は、荷風散人晩年にして最後の傑作と言ってよい。この最後の傑作の中で荷風は、自分なりに抱いていた女性の理想像を描いた。その理想像を荷風は、作中人物越智をして語らせているが、この越智こそは荷風の分身と言ってよい。その分身が自分なりの女性の理想像を次のように表現するのである。

荷風散人の小説「濹東綺譚」を傑作と言ってよいかどうかは異論があるだろう。しかし荷風散人の小説を集大成したものとは言えよう。この小説には散人の特徴ともいうべきものが遺漏なく盛り込まれている。世相に対する懐疑的な視線、随筆風の文章を以てなんとなく話を進めてゆくところ、しかもその文章になんとなく色気が感じられるのは女を描いて右に出る者がいないと言われるような女へのこだわりがあるためである。実際荷風散人ほど女、それも賤業婦と称され身を売ることを商売とする女を描き続けた作家は、日本においてもまた世界中を探しても、荷風散人をおいてほかにはない。

荷風は娼妓や売笑婦たちを賤業婦と呼んだが、彼が小説で描いたのは、一貫してこの賤業婦たちだった。日本を含めた世界の文学界で、生涯賤業婦だけを描き続けた小説家は荷風をおいてほかにはいないだろう。何が荷風を駆り立てて賤業婦の描写に向かわせたのか。それ自体が興味あるテーマと言えよう。

「あじさゐ」は三十枚ほどの小編ではあるが、なかなかに味わい深い。いわゆる賤業婦に生涯こだわりを持ち続けた荷風散人が、賤業婦の花ともいうべき芸者について、自分なりの趣味・主張を開陳して見せたもので、荷風の芸者観がもっともあからさまな形で表現された作品である。

荷風散人が昭和六年に小説「つゆのあとさき」を発表したとき、谷崎潤一郎が早速読後感を寄せて、ユニークな荷風論を展開して見せた。谷崎が言うには、荷風には洋風の審美主義と和風の骨董趣味とが混在しており、自分としては審美主義の方が好きなのであるが、荷風のこの新作は骨董主義へ逃げ込んだものとして、自分としてはあまり高くは評価できないと評した。これは批評上の一見識と言えなくもないが、そこにはやはり谷崎なりの美意識が絡んでいるとも言えるので、読者の中には、荷風のバタくさい審美主義よりいさぎよい江戸趣味(骨董趣味の別名だ)をより好む者もいよう。筆者もそうした荷風の江戸趣味を好む者の一人だ。そう言う点でこの小説などは、非常に筆者の感性に合っていると言えるのだが、この小説にはそれを超えたところもある。谷崎は同じ評論の中で、荷風の小説、とりわけこの新作の中の登場人物には、人間の血が流れていないように感じると言っているのだが、筆者などはその正反対に、この小説の登場人物、とりわけ主人公の女給君江に強い人間性を感じるのだ。

「雪解」は小品ながらよくできた作品だ。雪解け水の点滴の音の描写で始まり、わずか二日間の出来事を淡々と綴ったものだが、その短い時間の中に人間の生涯が凝縮されている。その生涯と言うのは、主人公の初老の男にとっては敗残の一生であり、その男が二階を間借りしている出方の女房にとっては偽りの生涯であったらしく、また初老の男が数年ぶりに再会した実の娘にとっては、これから始まるべき一生がすでに清算されてしまっているかのように見えると言った具合なのである。

雨瀟瀟とは、雨が物悲しい音をたてて降る様子を表した言葉で、主に秋の雨について用いられる。荷風散人の短編小説「雨瀟瀟」は、そんな秋雨の描写から始まる。曰く、「その年二百二十日の夕から降り出した雨は残りなく萩の花を洗い流しその枝を地に伏せたが高く伸びた紫苑をも頭の重い鶏頭をも倒しはしなかった。その代り二日二晩しとしとと降り続けたあげく三日目になってもなお晴れやらぬ空の暗さは夕顔と月見草の花をおずおず昼のうちから咲きかけたほどであった」

「おかめ笹」には小説としてはめずらしく「はしがき」がついている。その中で小説の題名の由来が触れられている。曰く、「そもそも竹は風雅のものなり。しかるに竹に同じき笹のなかにてもおかめ笹は人にふまれ小便をひっかけられて、いつも野の末路のはたに生い茂り、たまたま偏屈親爺がえせ風流に移して庭に植えよとたのみても園丁さらに意とせざる気の毒さ。つまらなき我が作の心とも見よ」

荷風の小説「腕くらべ」の舞台は新橋の色街である。新橋というと、今日ではJR線新橋駅の西側一帯をさしていうようになったが、この小説の中の新橋は、いまでいう銀座八丁目から五丁目あたりまでの一帯をさしていた。新橋の地名は、外堀にかかる橋からきたが、その橋の近くに東京で初めての鉄道の駅が出来て、それが新橋ステーションと呼ばれた。そのステーションの真ん前の大通り、これは従来の東海道の一部であるが、その通りを洋風に飾って新時代の目抜き通りに仕立て上げた。するとその目抜き通りの周辺に様々な業種の店が集まってきたが、なかでも芸を売る店の勢いがすさまじく、この一帯はあっというまに東京有数の色街になったというわけである。

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