日本文学覚書

「坑夫」は「吾輩は猫である」に始まる漱石の遊戯的な作品の系列の最後に位置するものである。この作品の後に「三四郎」を書き、そこで試みた小説の手法を深化させていくことで、漱石独自の深みのある文学を確立していくわけであるが、この作品「坑夫」」には、三四郎以降の展開を予想させるようなものは殆ど感じられない。その意味で、前期の遊戯的な作品の系列の最後に位置するものだと言ったわけである。

朝日がこの四月から九月にかけて、漱石の小説「こころ」を連載していたのを読んだ。「こころ」の連載が始まったのはちょうど百年前の四月だった。朝日はそれを連載した新聞社として、百年経った記念に、百年前とそっくり同じ体裁で再連載をしたということだったが、筆者はその連載を一日も欠かさずに読んだ、熱心な読者のひとりだった。

加藤周一も鷗外と漱石とを日本の近代文学の偉大な先駆者として位置付けているようであるが、どちらかというと鷗外の方を高く評価しているようだ。鴎外についてより長い文章を書いているという外的な理由からだけではない。二人の人間としてのあり方において、鴎外の方をより大きな人間と捉えているフシがある。

加藤周一が「物と人間と社会」という題名で永井荷風論を展開したのは、雑誌「世界」の1960年6月号から翌年1月号にかけての紙面においてであった。時あたかも日米安保条約改定問題で日本中が政治に熱狂していた時期である。その時期に政治とは最も縁の遠いと思われていた作家について、これは最も政治的な知識人と思われていた加藤周一が論じたわけであるから、そこにはある種のアナクロニズムを感じさせるところがあった。しかしそうしたアナクロニズムは、荷風という作家自身が漂わせているものでもある。荷風を論じる者はしたがって、いつの時代に論じても、つねにアナクロニズムに陥る危険を免れないわけである。

村上春樹には、本人もいっているように、長編小説と短篇小説とを交互に書く習性がある。彼が短編小説を書くことには、物を書くうえでの、生理的バイオリズムを整えるという効用があるようだが、それと並んで、次に続く長編小説のためのウォーミング・アップのような役割も果たしてきたようだ。といっても、短篇小説での実験が、そのまま長編小説の中に反映されるということではないらしい。そういう側面も、ないわけでないらしいが、どちらかというと、あらたな文使いの実験的な試みという側面が強いようだ。

「伊豆の踊子」は川端康成の出世作で、事実上の処女作といってもよい。多くの作家にとって、処女作にはその後の作家活動の要素となるもののほとんどが盛られているのと同じく、この作品にも、川端らしさといわれるものの多くが盛り込まれている。というより、その後「雪国」や「山の音」で展開された川端らしさよりも、もっと多くの要素が盛られている。ということは、川端はこの作品で一応自分の持っていたものをすべて盛り込んだうえで、次第にそれらのうちの余剰を切り捨てることで、自分独自の世界を確立していったということになる。この作品はしたがって、川端が自分の作風を確立するうえでの模索のような位置づけをもっているということだ。

川端康成は「雪国」を執筆し始めてから最終的な完成にいたるまでに実に10年以上をかけている。世界の文学史上、ひとつの作品に長い年月を要した例はほかにもあるが、それらは多くの場合、一部の書き直しであったり、余計な部分の削除であったりする場合が多い。ところがこの小説の場合には、幾度か書き足しをしながら、雪だるまのほうに膨れ上がって、長編小説になったという経緯があるようだ。こんな形で小説を構成していく作家はそう多くはいないのではないか。

川端康成の代表作といえば「雪国」の名を挙げる人が殆どだと思うが、中には「山の音」をあげる人もいる。また、この二つの甲乙つけがたいことを評して、「雪国」が川端の代表作とすれば、「山の音」の方は戦後日本文学の最高傑作だなどという人もいる。この二つの言説は矛盾しないので、決して苦しまぎれの出まかせとは聞こえない。

「沈黙」は遠藤周作の代表作ということになっている。この小説は英語などにもいち早く翻訳され、ノーベル賞の候補にも上ったほどだったという。第三の新人の中では、最も国際的な反響が高かったということだろう。というのも、この小説は日本におけるキリスト教弾圧の歴史の一局面を描き出すことを通じて、人間の信仰という普遍的な問題を深く追求したものであり、それがキリスト教文化圏の人々にストレートに伝わったからなのだろうと思う。

遠藤周作の短編小説を二篇「男と九官鳥」、「四十歳の男」を読んだ。いずれも、結核患者の病院生活と、その中で患者に飼われる九官鳥をモチーフにしている。遠藤自身の体験を基にしたもので、その意味では私小説の系譜に属するものと思ってよい。遠藤自身、30代の末頃に結核の手術を三回にわたって受け、死ぬ覚悟までしていたというが、その時に飼った九官鳥によって慰められたと言っている。そしてその九官鳥は、「四十歳の男」の九官鳥と同じように、遠藤の三回目の手術が成功裏に終わった時に、遠藤の身代わりのように死んでいったということだ。

「砂の上の植物群」と言う一見奇妙なタイトルは、クレーの絵のタイトルからとったものだ。この小説の進行途中で、書き手の作家がいきなり割りこんできて、クレーの絵の講釈を始めるのだが、その絵の中の一枚に、このタイトルを冠したものがあった。それは、あのクレー独特のパターンを色鮮やかに描いたものなのだが、作家はその絵がことのほか気に入って、そのタイトルを自分の小説にも使ったというのだが、その小説とクレーの絵とが、どんなふうにつながっているのかは、明らかにしていない。

筆者は、所謂「第三の新人」の中でも、吉行淳之介の作品は比較的沢山読んだ方だと思うのだが、内容は大方忘れてしまっていた。そこで今回、初期の短編小説をいくつか読んでみたところ、筋は初めて読むような気がしたが、雰囲気の方は何となくなつかしいものを感じさせた。ということは、この作家は独特の雰囲気を身に着けていて、読者は小説の筋書を忘れても、雰囲気だけはどこかにしまって残している、といった不思議な体験をさせられるらしい。

「放屁抄」という愉快な題名を冠した小品は安岡章太郎の屁へのこだわりを材料にしたものだ。屁というものに対する日仏間の文明論的な相違への言及から始まって、屁を巡る自分自身の体験を記しているうちに、話題が品川女郎の放屁の話に飛ぶ。軽妙なエッセーのつもりで読み始めたところが、いつの間にか小説として展開するわけで、そこがいかにも安岡らしい。

中編小説「海辺の光景」は、安岡章太郎の代表作という評価が高い。村上春樹もそのように評価している。「ガラスの靴」以来安岡が追及してきた私小説的な世界の一つの到達点としてだ。この小説を境にして、安岡の作風は大きな変化を見せるようになる。

戦争文学の中でも兵営での日常の軍隊生活に焦点をあてたものとしては、野間宏の「真空地帯」と安岡章太郎の「遁走」が二大傑作ということになっているようだ。しかしこの二つの作品は、同じようなテーマを描いておりながら、その描き方は大分異なっている。野間の方がいわゆる告発調で、軍隊生活の不条理さを客観的な視点から浮かび上がらせようとしているのに対して、安岡の方は、軍隊での生活を、そこに生きている当事者の視点から、淡々と描いている。野間が外部から覗きこんでいるのに対して、安岡は内部から打ち明けている、そんなふうに受け取れる。

安岡章太郎の初期の短編小説をいくつか読んでみた。これらは過去に一度読んだことがあるはずなのだが、いずれも初めて読んだような印象を受けた。最初の読書体験の記憶がほとんど残っていないのだ。同じような時期に読んだ大江健三郎の短編小説、たとえば「死者の奢り」とか「飼育」といった作品についてはかなり詳細に覚えているのに、安岡の短編についてはきれいさっぱり忘れている。これはどういうわけなのだろうか。まずそんなことを考えた。

今まで一度も読んだことのなかった庄野潤三の作品を読んでみる気になったのは、村上春樹の影響である。あまり日本の作家を読まないという村上が,ある程度読んでいるというのが所謂第三の新人と呼ばれる作家たちで、その中でも庄野潤三の作品は結構高く評価している。村上は、第三の新人たちに共通する傾向を、私小説の枠組の中に非私小説的な内容を盛り込むことだといっているのだが、そんなやり方をもっとも意識的に遂行しているのが庄野潤三だと位置づけているのである。

小島信夫の小説に出てくる人物たちは、適度にスムーズな人間関係を築くのが苦手で、反発しあったり、すれ違ったりしながら、不器用に生きているのだが、その不器用さの中にも、それなりに人間性を感じさせるものがある。彼の前期の代表作とされる「抱擁家族」は、そんな不器用な人たちからなる家族を描いた作品である。家族といえば、もっとも親密な人間関係の場であるにかかわらず、この作品に出てくる人々は、なにか互いにしっくりいかないものを感じている。家族とはそれぞれに抱擁しあうことのできる人間関係のはずなのに、この小説の中に出てくる家族は、素直に抱擁しあえない。題名の「抱擁家族」とはだから、ひとつの大きな逆説なのである。

加藤周一は、知の巨人とか巨匠とかいう言葉が相応しい最後の日本の知識人ということになっているようだが、筆者は迂闊なことに、これまでまともな読み方をしてこなかった。精々エッセーの類を断片的に読んだ程度だ。もうこの年になっては、一から読むというわけにもいかないが、さりとてこのまま通り過ぎてしまうというのも気が引ける。というわけで、まずは彼の業績の概要を一瞥するつもりで、海老坂武の加藤周一論「加藤周一~二十世紀を問う」(岩波新書)を読んでみた。

村上春樹が「若い人たちのための短編小説案内」のなかで、文學史上第三の新人といわれる作家たちの作品を取り上げ、これらが日本の文学史の中で独自の存在感を持つばかりか、前後の時代の作家たちに比べても、いまだによく読まれているということを指摘していたので、筆者もこれらの作家たちが気になるようになってしまった。というのも、筆者はこれらの作家たちを未だ熟読したことがないので、なにか損をしたような気になったからなのだった。

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