日本文学覚書

中上健次「枯木灘」

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「枯木灘」は、「岬」の後日譚という体裁をとっている。「岬」の中で「かれ」という代名詞で言及されていた二十四歳の主人公が、「秋幸」という固有名詞を持った二十六歳の青年として出てくる。人物の輪郭が明確になったのと平行して、舞台設定も明確になっている。「岬」では紀州のどこからしいと思わせていただけだったが、この小説の中では、熊野新宮の門前町の、路地と言われる、周囲から孤立した特殊な空間が舞台である。

岬:中上健次

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「岬」は、小説としてはオーソドックスな構造をしている。時間は直線的でかつ単線的に流れてゆくし、空間は一定の範囲内に収まっているし、出来事はいずれも現実的で、空想的な要素に乏しいし、何より人物たちが地に足をついた生き方をしている。その足のつき方に多少の癖があるにしても、大多数の日本人の生き方の軌道を極端に外れるものではない。こういう構造をした小説は、日本の文学の伝統の王道を行くもので、日本人の読者に一定の安心感を与える。こういう伝統をもっともよくあらわしたのが私小説であったわけだが、中上のこの小説はそうした私小説の伝統の延長線上にあると受け取ってよい。

村上春樹「サラダ好きのライオン」

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現役を退いて隠遁生活に入って以来読書三昧の日々を過ごしている。そんな亭主を見て筆者の家内は、毎日一人で家に閉じこもってよく退屈しないわね、と冷やかすのだが、筆者には一向に退屈する理由が見当たらない。もともと孤独を愛する性質で、一人でいるのが全く気にならないばかりか、世俗の騒音から免れて毎日読書にいそしむ生活が非常に気に入っているのである。気に入った作家の洒落た文章を読むと心が洗われるし、たまには自分の考えを下手な文章にして乙にいるのも悪くはない。最近は村上春樹の文章が気に入って、よくこれを読んでいる。これだけでも毎日の屈託など飛ばしてくれるよ、そう家内に言ったところが、村上春樹って偏屈親爺でしょ、そんなもの読んでどこが面白いの?と言う。へえ、世の中には村上春樹を偏屈親爺と思っている人もいるんだ、と筆者は聊か驚いた次第であったが、まあ嗜好というのは人ごとに違って当たり前、筆者のように村上春樹が面白い感じる者がいれば、筆者の家内のように偏屈親父の偏屈な文章と感じる者がいてもよいわけだ。

おおきなかぶ、むずかしいアボカド

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村上春樹の「おおきなかぶ、むずかしいアボカド」は、2009年の春から一年間、女性向け雑誌 anan に連載したエッセーを集めたものである。村上は2000年の春から一年間、やはりこの雑誌のためにエッセーを連載しているから、ほぼ10年ぶりの再開ということになる。村上はこの雑誌を、エッセー発表の媒体として気に入ったのだろう。

村上ラジオ

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「村上ラジオ」は、2000年の春から一年間、女性向け雑誌「anan」に連載されたエッセーを集めたものである。この雑誌は若い女性をターゲットにしたもので、そういう点ではかなり特殊な読者層向けの雑誌といってよいが、村上はそれまでも、「アルバイトニュース」とか、それ以上に特殊な読者向けの雑誌にエッセーを連載する癖があったので、そんな彼にとってこれは別に変ったことではなかったようだ。誰が読者なのか、そんなことは気にならないといった様子で、自分の書きたいことを淡々と書いているといった雰囲気が伝わってくる。

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか

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「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」は、週刊朝日に1995年11月から1年1ヶ月にわたり連載したエッセーを集めたものである。1986年に始まる長い海外生活から日本に戻ってきて、村上にとっては10年ぶりの連載エッセーだったということだ。そんなこともあるのか、日本についての文明論的な感想がけっこう多い。そういう感想は、諸外国に比較しての日本の特殊性みたいなものを指摘しているのだが、いきおい批判的というか、悪口にも聞こえる。

「シドニー!」は、2000年シドニー・オリンピックの村上春樹による観戦記録である。村上はこの仕事を、スポーツ情報誌「ナンバー」の依頼があって引き受けたそうだ。日頃お祭騒ぎが大嫌いで、オリンピックなど退屈極まりない見世物だと思っていた村上が何故この仕事を引き受けたか、あまり説得力のある説明はない。なんとなく引き受けたというのが真相のようだ。何しろ、9月15日の開会式に始まり10月1日に終わるオリンピックの全期間を含め、その前後の数日をあわせ滞在期間の全日にわたって他人の金で旅行できるわけだから、これは儲け物と思ったのかもしれない。もっともあてがわれたホテルはエコノミークラスで、大会期間中毎日30枚以上に及ぶレポートを書かねばならぬハードなスケジュールが条件ではあったが。しかしそうした条件を差し引いても、このシドニー滞在は村上にとって損ではなかったようだ。彼は彼なりにオリンピックを楽しんだようだし、400ページを超える大部の旅行記を残すこともできた。

20世紀の最後に近い年に村上はスコットランドとアイルランドに旅した。スコットランドではシングル・モルト・ウィスキーを、アイルランドではアイリッシュ・ウィスキーを味わうのが目的だったようだ。村上は小説の中ではもっぱらビールを飲む場面ばかり書いているように映るが、個人的にはウィスキーも好きだ、ということがこのエッセーを読むとよくわかる。村上が、そのウィスキーのもつ味わいを少しでも読者に共有して欲しいという願いをこめてこの文章を書いたことは、題名からもわかる。「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」という題名には、自分の言葉だけで読者がウィスキーを味わえたらどんなにかすばらしいだろか、という思いがこもっているのである。無論言葉だけでウィスキーを味わうことはできない。言葉は言葉に過ぎないからだ。それでもなお村上は、「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と夢想し続けるのだという。

村上春樹「辺境・近境」

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「辺境・近境」は、村上春樹が1990年代に書いた紀行文を一冊にしたものだ。七編の旅行記からなる。国内のものが三本、国外のものが四本だ。国内編は、1990年の夏に行った瀬戸内海の無人島滞在の記録以下、三日かけて讃岐のうどんを食い歩いた記録、そして1995年の大地震から二年後に自分の故郷である神戸の町を歩いた記録からなる。国外編は、1991年の秋に書いたイースト・ハンプトンの印象記を手始めに、メキシコ大旅行、ノモンハンの鉄の墓場、そしてアメリカ横断の記録からなる。それぞれ味わいのある紀行文だが、もっとも迫力があるのはメキシコ大旅行の記録と、ノモンハンの鉄の墓場の記録だ。

うずまき猫の見つけかた

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村上春樹のエッセー集「うずまき猫の見つけかた」は、村上がアメリカのケンブリッジという町(ハーヴァード大学のあるところ)に滞在していた1993年から1995年にかけての二年間の外国生活の記録ともいえるもので、本人の言うとおり、アメリカ滞在の最初の二年間をカバーしている「やがて哀しき外国語」の続編のようなものである。外国生活の記録であるから紀行文と言えなくもないが、普通の紀行文とは大分趣が違って身辺雑記のような印象も与える。中途半端といえば中途半端だが、ユニークと言えばユニークとも言える。

村上春樹「雨天炎天」

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村上春樹はヨーロッパ滞在中の1988年にギリシャのアトス半島とトルコにショート・トリップを行った。いつもと違って細君を同行せず、かわってカメラマンと編集者を同行した。村上は詳しく語っていないが、このショート・トリップは出版社の企画に乗る形で、ロハで旅を楽しんだのだと思う。だがそれにしては、ハードな体験になったようだ。彼はそのハードな体験を一冊の紀行文にまとめた。「雨天炎天」がそれである。

村上春樹「遠い太鼓」

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村上春樹は1986年の秋から89年の秋までの三年間ヨーロッパで過ごした。「遠い太鼓」はその間の生活記録である。この三年間村上はしょっちゅう小さな旅行を繰り返していたこともあって、外国での生活記録というよりも、紀行文のような体裁を呈している。本人もこれはヨーロッパ旅行中の紀行だというようなことを言っている。彼ははじめから紀行を発表するつもりで、この長期の旅行に臨んだようなのだ。

村上春樹「村上朝日堂はいほー!」

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村上春樹のエッセー集「村上朝日堂はいほー!」は、「ハイファッション」という女性向けのファッション誌に、1983年から5年にわたって連載したエッセーを集めたものだ。村上はほぼ同じような時期に別の女性ファッション誌にエッセーを連載している(のちに「ランゲルハンス島の午後」となる)ので、ファッション業界から人気があるのかもしれない。といってもエッセーの内容は、ファッションとはほとんど関係なく、村上自身の身辺雑記とでもいうようなものである。題名の「村上朝日堂」は、この時期の村上のエッセー集によく使われたものだが、内容をわかりやすくするには、「ムラカミハルキ自分自身を語る」としたほうがよかったかもしれない。

村上春樹、安西水丸「日出る国の工場」

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「日出る国の工場」は、村上春樹と安西水丸のコラボレーションによる工場見学記である。例によって村上が文章を書き、安西がそれに絵を添えている。彼らが何故工場の見学記を作ろうという気になったか、詳しいことには触れていないが、そのきっかけの一端のようなものを村上が書いている。それによれば村上は、子どもの頃学校の遠足で工場見学をした記憶がなつかしくて、大人になってからもそのなつかしさに心ひかれて、工場を訪ねる気になったらしい。安西のほうは、それにお付き合いをしたということか。

「夢で会いましょう」は、村上春樹と糸井重里のコラボレーションである。村上が前書きを、糸井が後書きを担当している。一冊の本を読むときには後書きから読む習性を持つ筆者はまず糸井の書いた後書きを読んでみた。するとそこには、「ムラカミハルキの前書きを読んだら、すぐに私の書いたこの後書きを読むといった、そういったやさしさを私は望んでいる」と書いてあった。筆者は、ムラカミハルキの前書きよりも、糸井の後書きから先に読んだわけだから、糸井にとっては十分にやさしい読者であるわけだ。

エッセー集「ランゲルハンス島の午後」は、1984年6月から二年間にわたって、女性向けファッション雑誌「CLASSY」に連載したエッセーを集めたものだ。もともとは「村上朝日堂画報」と題していたが、単行本にするにあたり、このような題名に改めたという。題名は収録エッセーのタイトルからとったもので、エッセー集全体の特徴等はとくに意識していないようだ。

村上春樹「村上朝日堂の逆襲」

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「村上朝日堂の逆襲」は、1985年4月から一年間にわたり「週刊朝日」に連載されたエッセーを集めたものだ。前作の「村上朝日堂」が「日刊アルバイトニュース」というやや特殊な媒体に連載されたのに対し、これはメジャーな週刊誌に連載されたということもあって、文章もやや長め(原稿用紙七枚程度)だし、一文づつの完成度も高いが、書かれている内容はそう違わない。あいかわらず村上の個人的な関心事を中心に回っていると言った感じである。

村上春樹「村上朝日堂」

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「村上朝日堂」は、村上春樹の最初のエッセー集である。エッセーというより雑文と言ったほうがよいかもしれぬこれらの文章を村上は、「日刊アルバイトニュース」という情報誌に一年以上にわたって連載した。自分にとって最初になるエッセーの連載を何故情報誌に載せたのか、村上は明言していないのだが、媒体がエッセーを読むことを目的とした人々を当面の対象としていないこともあって、村上はかなり気楽に文章を書いている。

村上春樹「TVピープル」

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「TVピープル」に収められた六篇の短編小説は1989年の6月以降年末までの半年の間に書かれた。長編小説との関連で言うと、「ダンス・ダンス・ダンス」(1888年)と「国境の南・太陽の西」(1992年)にはさまれた比較的長いインターバルの時期であり、村上は海外で生活していた。

村上春樹「パン屋再襲撃」

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村上春樹の短編小説集「パン屋再襲撃」は、表題作以下六篇の短編小説を収めている。いづれも比較的まとまった分量からなり、けっこう読ませる内容だ。書かれた時期は1985年の夏以降年末までの半年足らずの短い間だ。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を書き終えた直後にあたっている。

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