日本文学覚書

「他人の足」は、「死者の奢り」とほぼ同時に書かれた。「死者の奢り」とその前の「奇妙な仕事」がいずれも死をテーマにしていたのに対して、この小説は死を正面から取り上げてはいない。かといって死をスルーしているわけでもない。いわば側面から取り上げている。死はこの小説においては、メインテーマではなく基調低音のような役割を果たしているのである。

大江健三郎は処女作の「奇妙な仕事」で、犬殺しを通じて死の意味について提起したが、続く「死者の奢り」においても、やはり死に向き合った。したがってこれら二つの作品は、死を通じて結びついているといえる。というか、前作で提起した死のテーマをこの作品で一段と深化させたといえよう。それは前作においては死が犬という人間にとっての他者によって体現されていたのに対し、この作品では死んでしまった人間が、その物理的なありようを通して、人間にむき出しの死を示していることにも現れている。犬の死は人間にとってはたかが象徴的な意味しか持たないが、死んだ人間はそれを見る者に向かって死とは何かと言うことを、単に概念的にだけではなく、それそこ具象的でかつ情念的な形で示すのだ。いや示すと言う言葉は適当ではない。見る者をして震撼させるのである。

「奇妙な仕事」は、大江健三郎の実質的な処女作だ。これを書いたとき大江は二十二歳で、大学在学中だった。当時の大江は、カミュやサルトルに夢中になっていたというが、この作品にはカミュばりの不条理らしさが感じられる。サルトルの実存主義文学の影響も指摘できよう。

「仮面の告白」は三島由紀夫の自伝的な作品だと言われている。たしかにこの作品には三島の実生活と深い関わりのある事柄が取り上げられている。兵役逃れと同性愛である。どちらも事実に裏打ちされているので、この作品を読んだ者は、三島が自分自身のことを語っていると思わされるだろう。その結果その読者が、三島に対してどのような感想を覚えるか。少なくとも、この小説が発表された当時には、好意的な受け止め方が多かった。兵役逃れのことはともかく、同性愛のことについては、これまでの日本の文学において取り上げられた例がほとんどなかったこともあって、なかばゲテ物趣味というか、型破りの小説として、既成の価値観が大きく揺らいでいた時代の雰囲気に乗じたということだったのかもしれない。

筒井康隆の「朝のガスパール」は、一応SF小説ということになっていて、実際「日本SF大賞」を受賞してもいるのだが、通常のSF小説とはだいぶ趣向が異なっている。たしかにシュールなテレビゲームをプロットに含んではいるが、そしてその意味ではSFと言えなくもないのだが、そればかりではなく、ほかにも様々なプロットが平行して仕組まれている。その中にはテレビゲームを楽しんでいる現実世界の人々の人間像を描いた部分もあるし、その人間像とSF部分の共通の作者としての櫟沢なる人物にかかわる話もあるし、更にこれらすべての究極の作者たる筒井康隆自身にかかわる部分もある。従ってこの小説は、単純な構成のSF小説などではなく、さまざまな物語が重層的に交差する立体的な小説といってもよく、あるいは作者が深く物語にかかわる点に着目すれば、メタ小説と言ってもよい。

永井荷風が政治とは一線を画し、政治的な発言を慎むことで非政治的な構えを貫いたことはよく知られている。それは普通の時代には、人間の生き方の一つのタイプとして軽く見られがちなところだが、荷風の場合にはそうした非政治的な構えが、戦争中には戦争への非協力としてかえって目立つようになり、荷風は戦争協力に最後まで従わなかった気骨ある作家だというふうな評価も現れた。だが、これはおそらく荷風本人にとっては、片腹痛いものであったろう。荷風はたしかに非政治的な構えを貫いたが、それはあくまでも非政治的な構えなのであって、そこに政治的な意味を読み取るのはお門違いということになろう。

桑中喜語

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桑中喜語とは桑年にあたっての述懐というような意味である。桑年とは馬歯四十八歳を言う。桑の異体である「桒」の字が、十を四つと八を重ねていることから、四十八を指すようになり、そこから桑年を四十八歳を意味させるようになったものだ。米の字が二つの八と十を重ねたことから八十八となり、そこから米寿を八十八歳を意味させたのと同じことわりである。

荷風は江戸芸術論中の演劇論「江戸演劇の特質」を、依田学海・福地桜痴らの批判から始めている。依田学海といえば今では殆ど知る者もないが、荷風が生きていた頃にはまだ演劇論者として知られていたようである。その依田学海らの演劇論の特徴を荷風は改良演劇とし称している。改良とは何をさして言うかといえば、それは従来の歌舞伎などのいわゆる江戸演劇が、音響や所作を中心にした様式的な特徴を持つに対して、セリフを多用したリアルなものでなければならないと主張するものである。依田学海はそれを活歴史劇と称した。リアルな歴史劇という意味である。つまり歴史的な出来事をありありと再現することを以て改良演劇の使命としたわけである。

江戸芸術論中狂歌を論ずる一文の冒頭を荷風は次のように書いている。「一歳われ頻りに浮世絵を見る事を楽しみとせしが其の事より相関連して漸く狂歌に対する趣味をも覚ゆるやうになりぬ」と。つまり荷風は狂歌を浮世絵と関連させて見ているわけである。両者は互いに切っても切れない縁にある。それが荷風の受け取り方だった。

荷風文学の著しい特質は古き日本への懐古趣味にある。江戸芸術論はそんな荷風の懐古趣味を学問的な体裁のもとで表明したものである。とは言っても、学問というものを軽蔑していたらしい荷風のこと、理屈ばったものの言い方はしない。自分の直感を他人にもわかりやすく説明したものというくらいに受け取ったほうがよい。学問の原点というものは、自分の意見を他人にもわかりやすく説明することだからである。江戸芸術を論じる荷風の語り口は実にわかりやすい。

馴染を重ねたる女一覧表の十四番目山路さん子は、関根うたとの交際末期に付き合うことになり、それがもとでうたとの関係にひびが入り遂に破局したことは前に触れたとおりだ。荷風がこの女と出会ったのは昭和五年一月中のことと思われ、その後同年八月に千円で見受けし、四谷追分の播磨屋に預けていたが、翌昭和六年九月に手を切っている。関根うたと手を切ったのは同年八月末のことであるから、荷風は二人の女をほぼ同時に失ったことになる。そのうちの一人関根うたは、一度は自分の老後を託そうと思ったほど大事にしていた女だった。

馴染を重ねたる女一覧表十三番目の関根うたは、荷風が生涯に愛した女のなかでは、若い頃に入籍した八重次を別にすれば、最も深く馴染んだ女だったと言える。浮気者の荷風にしては珍しく四年間も関係が続いたし、別れたあとでもたびたび会っている。そして老いてなお、折につけてはその面影を慕い続けた。荷風がこれほど思い入れを持った女は他にはなかなか見当たらない。

馴染を重ねたる女一覧表の九番目は大竹とみである。この女のことを荷風は一覧表の欄外に書き、しかも
「大正十四年暮より翌年七月迄江戸見坂下に囲ひ置きたる私娼」
と言う具合にごくさりげなく書いているのみであるが、日記本体にあたると、荷風のこの女への執着には相当のものが感じられる。それはこの女が美形だったことによる。この女を荷風は、自分が生涯に出会った女のなかで最も美しいとまで言っている。

馴染を重ねたる女一覧表五番目の女は米田みよといって、新橋花家の抱え芸者であった。この芸者を荷風は大正四年十二月の大晦日に五百円で親元身請けして、翌年の正月から八月まで浅草代地河岸の家に囲い置き、その後神楽坂に松園という待合を営ませること三ヶ月にして手を切ったという。荷風がこの女と懇ろとなったのは八重次と結婚生活の最中のことであり、この浮気がもとで八重次が荷風のもとを去ったとされている。しかし八重次はその後も荷風と会っており、そのことで荷風は焼け棒杭に火がついたと言って、照れている。

断腸亭日乗昭和十一年一月三十日の条に、帰朝以来馴染を重ねたる女の一覧表なるものが載せられている。これは明治四十一年に数年にわたる欧米滞在から帰国したあと、この日までに荷風が馴染を重ねた女十六人について簡単なコメントを付したもので、女の数は十六人にのぼる。この数だけでも荷風がいかに女好きだったかがわかるというものだ。荷風はここに記された以外にも多くの女たちと情交を重ね、その中から創作のエネルギーを汲み取った。なにしろ荷風が生涯に書いた文章のうち小説の部類に入るものはことごとく男女の情交をテーマにしている。荷風はその材料やら構想をそれらの女たちとの触れ合いから汲み出した。したがって女への執念が薄れるとともに、荷風の創作意欲も失われたのである。

荷風の小説「踊子」は戦時下の息苦しい時代に発表のあてもなく書いたものだ。そんなところからこの小説には荷風の本音のようなものが込められている。その本音というのは自分と女性との望ましい関係についてのもので、自分は女を愛玩動物のように可愛がりたいと思う一方、自分の生き方を女によって拘束されたくないというものだったように見える。実際この小説に出てくる二人の踊子、彼女らは実の姉妹なのだが、その二人とも主人公の男を拘束することがない。姉のほうは自分の亭主が妹に手を出しても文句を言わないばかりか、亭主が妹に産ませた子どもを自分が引き取って育てようとまでする。妹は妹で姉の夫にさんざんいい思いをさせてやったうえで、自分は踊子をやめて芸者になり、身を売った金を姉たち夫婦に気前よく与えるのである。その金で主人公の男は勝手気ままな暮らしをすることができる。スケコマシとまではいわないが、それに近い、女によって養われているような男である。

小説「浮沈」は昭和十四年前後の東京を主な舞台としている。昭和十四年と言えばヨーロッパで第二次大戦が始まった年であるし、日本では対中戦争が泥沼化し、太平洋戦争に向かって坂を転げ落ちるように突き進んでいった時代である。そんな時代を背景にして、この小説は作者永井荷風の反戦意識というか厭戦気分のようなものを色濃く反映している。この厭戦気分を荷風は日記「断腸亭日常」の中でも吐露していたが、小説では日記ほど露骨に言うわけにもいかぬので、かなりモディファイされた形においてではあるが、荷風日頃の厭戦気分を表現している。

小説「浮沈」は、荷風散人晩年にして最後の傑作と言ってよい。この最後の傑作の中で荷風は、自分なりに抱いていた女性の理想像を描いた。その理想像を荷風は、作中人物越智をして語らせているが、この越智こそは荷風の分身と言ってよい。その分身が自分なりの女性の理想像を次のように表現するのである。

荷風散人の小説「濹東綺譚」を傑作と言ってよいかどうかは異論があるだろう。しかし荷風散人の小説を集大成したものとは言えよう。この小説には散人の特徴ともいうべきものが遺漏なく盛り込まれている。世相に対する懐疑的な視線、随筆風の文章を以てなんとなく話を進めてゆくところ、しかもその文章になんとなく色気が感じられるのは女を描いて右に出る者がいないと言われるような女へのこだわりがあるためである。実際荷風散人ほど女、それも賤業婦と称され身を売ることを商売とする女を描き続けた作家は、日本においてもまた世界中を探しても、荷風散人をおいてほかにはない。

荷風は娼妓や売笑婦たちを賤業婦と呼んだが、彼が小説で描いたのは、一貫してこの賤業婦たちだった。日本を含めた世界の文学界で、生涯賤業婦だけを描き続けた小説家は荷風をおいてほかにはいないだろう。何が荷風を駆り立てて賤業婦の描写に向かわせたのか。それ自体が興味あるテーマと言えよう。

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