日本文学覚書

敗戦と復員:大岡昇平「俘虜記」

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大岡昇平にとって、日本の敗戦は1945年8月10日であった。この日は、日本政府が、国体の護持が保証されるならポツダム宣言を受け入れてもよいと意思表示した日であって、降伏を決定した日ではないのだが、アメリカ軍は戦地にいる日本兵の士気を弱める意図から、日本が降伏したという情報をばらまいた。大岡ら戦地の俘虜もそうした情報を聞かされたわけだ。その日を境にして、俘虜たちの意識は敗戦モードに入っていった。大岡もその一人であったから、「我々にとって日本降伏の日付は八月十五日ではなく、八月十日であった」と言うわけなのであろう。

戦場の性:大岡昇平「俘虜記」

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戦場における性(セックス)といえば、強姦、慰安婦、男色ということになろうが、大岡昇平の「俘虜記」も、さらりとした筆致であるが、これらの事柄に触れている。これを読むと、大岡がこういう問題について、かなりクールな考えをしていることが透けて見える。

戦友:大岡昇平「俘虜記」

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大岡昇平は「俘虜記」のなかで「戦友」という章を設けて、俘虜になる前に一緒に行動していた兵隊仲間のことを書いている。それを読むと大岡が、戦友の一人ひとりについてはかなり面白くない気持ちを抱いていた一方、日本軍全体の一員としての兵士については、かならずしも悪く思っていなかったという、ある意味矛盾した気持が伝わってくる。

大岡昇平は1945年1月25日にミンドロ島の山中で米兵に拘束されてから、同年11月30日頃復員船に乗り日本へ向けて出発するまでの十ヶ月あまりを米軍の俘虜として暮らした。このうち最初の二ヶ月間はミンドロ島及びレイテ島の野戦病院で戦病者として入院生活をし、後半の約八ヶ月をレイテ島の俘虜収容所で暮らした。その日々のうち、8月15日を境として、それ以前は戦争中における純然たる俘虜の身分に、それ以降は敗戦国の残兵として復員を待つ身分におかれた。大岡が戦後初めて日本の地を踏むのは12月の中旬であるが、「俘虜記」は日本へ向かう船を描写するところで終わっている。

大岡昇平「俘虜記」

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大岡昇平は、1944年7月、35歳の時に補充兵としてフィリピンのミンドロ島に送られ、翌年の1月に米軍の捕虜になった。その後レイテ島の捕虜収容所に入れられ、そこで敗戦を迎えた。日本に復員したのはその年の12月のことである。疎開先の兵庫県に身を寄せて一段落したところで、東京に赴いて師であり友人でもある小林秀雄を訪ね、復員の挨拶をしたところ、小林から従軍記を書くように勧められた。こうした経緯を経て生まれたのが「俘虜記」である。従軍記が俘虜記になったのは、大岡の軍人としての生活よりも捕虜としての生活の方が長かったせいだ。彼にとっての戦地とは大部分が捕虜収容所だったのである。

「明暗」の書かれなかった部分

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漱石の最後の小説「明暗」は、病み上がりの津田が伊豆の温泉に湯治名目で出かけて行って、そこでかつての恋人清子と再会する場面で終っている。この小説は、先稿でも言及したように、主人公の二人の女性との関係を軸に展開していくもので、清子はその二人の女性の一人として、重要な位置づけのキャラクターだ。その重要な人物との関係がどのように展開していくか、読者としては大いに関心をそそられるところだが、その関心が盛り上がったところで、小説はいきなり中断してしまうのだ。いうまでもなく、執筆者の漱石自身が、大病に襲われて死んでしまったからだ。

漱石の女性像:「明暗」のお延

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漱石の小説に出てくる女性たちは、どちらかというと個性のない陽炎のような存在と言うイメージが強い。「虞美人草」の藤尾や「三四郎」の美弥子のような、多少の個性を感じさせる女性もいないではないが、彼女らの個性も、彼女ら自らの強い意思に従って、彼女らの内部から発せられるというよりは、男の視線を通じて浮かび上がってきたような在り方としてである。どちらにしても漱石の描いた女性たちは、男にとっての従属的な存在だというイメージを拭えない。そんな中で、「明暗」のお延だけは独特の光を放っている。彼女は、男との関係で初めて女性であるのではなく、それ自身で自立した女性として描かれている。この女性は、色々な面で複雑な性格を感じさせるのだが、その複雑性は、彼女が自立している事の反映というような具合に描かれているのである。

明暗:漱石を読む

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漱石が男女の間をテーマに小説を書く時には、一人の女と二人の男の物語という体裁をとるのが常道だった。その関係は、「それから」や「門」にあっては姦通と言う形をとり、「こころ」においては友人を出し抜いての女の略奪という形をとったわけだが、いずれにしても、三角関係をテーマとしたものには違いなかった。漱石の遺作となった「明暗」も、男と女の関係を主なテーマとしているが、それ以前とは多少異なった結構になっている。この小説では、一人の男と二人の女との関係がテーマになっているのである。

漱石夫妻と「道草」

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「道草」は漱石の自伝的小説とされていることもあって、そこに描かれた主人公の健三とその細君との関係は、実際の漱石夫妻の姿をかなり反映したものと思われてきた。たしかに、小説の中の「細君」の履歴は、現実の漱石夫人鏡子のそれと殆ど同じである。高級官僚の家に生まれたこと、公教育は小学校だけであとは家庭の中で教育されたこと、その結果世間知らずで我儘な女になったらしいことなどだ。また健三が田舎に赴任している間にこの女性と見合い結婚したとなっていることは、漱石が五高の教師として熊本にいる時に鏡子と見合い結婚したことと重なるし、健三が海外留学するについて実家に妻子を預かってもらったというのも、漱石夫妻の間に実際にあったことだ。

道草:漱石を読む

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「道草」は、漱石の自伝的色彩の強い小説だという評が定着している。それにしても暗い、というのが読者一般の印象ではなかろうか。漱石自身の半生が暗かったからこんな暗い話になったのか、それとも意識的にこんな暗い話を書こうとしたのであって、自分自身の自伝的要素はそれに色を添えたに過ぎないのか、どちらにしても暗い話である。

大岡昇平の行人論

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筆者は前稿「『行人』と『心』:漱石を読む」の中で、この二つの小説がともに長い手紙で終っていることに触れ、「心」の場合にはその位置付けに必然性のようなものが見られるのに対して、「行人」の場合には、「なぜここに置かれなければならなかったか、必ずしも必然性があるとはいえず、また一篇を引き締めるような効果にも乏しい。むしろ、小説の構成としては、このような形で終っていることは、中途半端な印象を与えるともいえる」と、とまどいの気持を表明したところだが、その謎の一端を、大岡昇平が解明してくれた。

三四郎:漱石を読む

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朝日が「こころ」に続いて再連載していた「三四郎」を、筆者は「こころ」の時と同様毎日欠かさずに読み続けた。連載で読むというのは、単行本で読むのとはまた違った趣がある。普通は連載で読んだ後に、その余韻を再び味わいたくて、単行本になったものを読み返すという段取りをとるもので、一度単行本で読んだことのあるものを、再連載されたもので読み返すのはおかしなことだと思われないでもないが、やはりそこにはそれなりの趣がある。実際筆者は、毎日、初めて読む文章のように、再連載された文章を味読したものである。

漱石の権威的人間観:「行人」から

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「こうして岡田夫人として改まって会って見ると、そう馴れ馴れしい応対も出来なかった。それで自分は自分と同階級に属する未知の女に対する如く、畏まった言語をぽつぽつ使った」

「行人」と「こころ」:漱石を読む

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「行人」と「こころ」は、どちらも長い手紙で終っているところが共通している。「行人」の場合には、語り手からその兄の言動を観察して欲しいと依頼された人物が、自分の観察したところを、依頼主である語り手に手紙と言う形でつぶさに報告するということになっており、一方「こころ」の場合では、自殺を決意した「先生」が、自分の半生について語り手たる「わたし」に語って聞かせるということになっている。

行人:漱石を読む

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「行人」はいろいろなエピソードが盛られているので賑やかな結構の小説のようにも読めるが、枝葉を落して根幹を取り出してみると、人間の狂気についての漱石なりの考えを述べたものだというように受け取れる。その狂気は、そんなに大袈裟なものではない。一種のノイローゼ(神経症)ともいえるようなものだ。そういうノイローゼなら、漱石自身が自ら体験したこともあったのだろうと思われる。これは憶測だが、「行人」とは漱石自身のノイローゼ体験を描いたものなのではないか。

明治末の送葬:漱石「彼岸過迄」

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「彼岸過迄」の「雨の降る日」と題した章は、松本の末娘宵子の死と送葬が主なテーマだ。まだあどけない宵子は、千代子の目の前で、まるで変死のような変った死に方をした後、火葬に付される。その火葬を描いたところが現代人の我々には興味深く映る。

「彼岸過迄」に描かれた東京の地理

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漱石は「三四郎」と「それから」の中で、主人公の行動にあわせて東京の地理をかなり詳しく描いた後、「門」では一変して暗示するにとどめ、詳しく書くことはなかった。それで筆者などは、宗助の住んでいる場所を、九段下から徒歩二十分ばかりの傾斜地だろうとばかり推測するほかはなかった。ところが、「彼岸過迄」では一変して漱石は、東京の地理を再び詳しく描いている。これも久しぶりの読者サービスだったのかもしれない。

彼岸過迄:漱石を読む

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新聞連載小説「彼岸過迄」を開始するにあたって漱石は、諸言というか前置きというか、読者への言訳のような文章を載せている。「門」連載終了後に大病をわずらい、しばらく仕事を中断したが、ようやく再開できる段取りとなった、ついては、久しぶりのことでもあり、なるべく面白いものを書かなければならないと思っている、というような趣旨のものだ。そんな思い入れがあるためだろうか、この小説は漱石の後期の作品群の中では、ちょっとした毛色の違いを感じさせる。「猫」以来の例の諧謔趣味が復活して、遊びの精神とも言うべきものが再び表面化しているのだ。これを「それから」や「門」と「行人」以降の作品群との間に挟んで比較してみれば、作風の相違は一目瞭然である。

漱石と禅:「門」を読む

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小説「門」の後半は、宗助の参禅を中心に展開する。漱石自身参禅の経験があるので、この場面は自身の経験をもとに書いたのだと考えられる。漱石は、明治二十七年(二十七歳)の暮から正月にかけての十日ほどの間、鎌倉円覚寺の帰源院に滞在して参禅しているが、その動機は神経衰弱を鎮めたいということのようであった。参禅がどのような効果につながったのか、筆者にはよくわからないが、あるいはこの時の体験を書きたくて、漱石は「門」を書いたのかもしれない。そうだとすれば漱石は、この参禅によって直接的な効果を得ることはできなかったようだ。というのも、宗助の参禅も、彼に大した効果は及ぼさなかったように書かれているからである。

門:漱石を読む

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夏目漱石は「それから」で、友人の妻を奪う話を書いた。「門」は、友人から妻を奪った男が、世間を憚りながら、妻と一緒にひっそりとした愛を育てる話である。「それから」の代助は、もととも愛していた女を一旦友人にゆずりながら、後でそのことを悔いて、女を奪い返す。女のほうも代助に奪われることを望む。「門」の宗助は、友人の恋人らしい女を奪ったように書かれているが、どのようにして奪ったのか、詳しいことは触れられていない。ただ、女を奪われた友人との間に深刻な事態を生じ、それがもとで宗助はその友人の影におびえながら暮らさなければならない羽目に陥った。しかしそのことが、宗助と妻の、二人の結びつきを一層深める。そんな具合に書かれている。

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