漢詩と中国文化

灌園:陸游を読む

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陸游の五言律詩「灌園」(壺齋散人注)

  八十身猶健  八十にして身猶ほ健なり
  生涯學灌園  生涯 灌園を學ぶ
  溪風吹短褐  溪風 短褐を吹き
  村雨暗衡門  村雨 衡門暗し
  眼正魔軍怖  眼正しければ魔軍怖じ
  心安疾豎奔  心安ければ疾豎奔る
  午窗無一事  午窗 一事無し
  梨棗弄諸孫  梨棗 諸孫を弄す

甲子歳元日:陸游を読む

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嘉泰四年(1204)、陸游は八十歳を迎えた。その年の正月に詠んだ詩が「剣南詩稿」第五十六巻を飾っているが、そこから第八十五巻の最後までの詩の数は3000篇、「剣南詩稿」全9000余篇のうち実に三分の一が、八十歳を過ぎてから六年間で書かれたということになる。陸游の創作力が老いてもなお衰えなかったことを物語っている。

陸游最後の出仕

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嘉泰二年(1202)、陸游は出仕を命じられた。実に78歳の時である。こんなにも高齢に関わらず、陸游が召しだされた理由は、ひとつには彼の声名が高かったこと、もうひとつには彼が日頃対金積極論者だったことである。そんな彼を政治的に利用しようと考えた人間が居ても不思議ではない。

陸游は生涯に7人の男子に恵まれた。そのうち六男の子布は四川に滞在中に生まれたが、陸游は何故かこの子を、四川に残した。恐らく当地の女に産ませた子を、そのまま女の手元に残したのだろうと推測される。その子布が嘉泰元年(1201、陸游77歳)、28歳の時に父親を訪ねて紹興まで出てきた。喜んだ陸游は船に乗って途中まで迎えに出、家に連れ帰った。しかしてその後、父子は共に暮らすことになる。陸游はこの子のために嫁を迎えてやったりもした。

飯罷戯示隣曲:陸游を読む

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陸游の七言律詩「飯罷りて戯れに隣曲に示す」(壺齋散人注)

  今日山翁自治廚  今日 山翁 自ら廚を治む
  嘉肴不似出貧居  嘉肴 貧居より出づるに似ず
  白鵞炙美加椒後  白鵞 炙は美なり 椒を加へし後
  錦雉羹香下豉初  錦雉 羹は香ばし 豉を下せし初め
  箭茁脆甘欺雪菌  箭茁(せんさつ) 脆甘にして雪菌を欺き
  蕨芽珍嫩圧春蔬  蕨芽 珍嫩にして春蔬を圧す
  平生責望天公浅  平生 天公の浅きを責望するも
  捫腹便便已有余  腹を捫すれば便便として已に余り有り

東村二首:陸游を読む

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晩年の陸游は故郷紹興の三山に隠居して充実した毎日を送っていたようだ。晴耕雨読というのではないが、天気の良い日には村里を散歩して村人と語りあい、また求めに応じて薬を調合したりもした。家にあっては詩作に励み、旺盛な創作力を発揮した。彼は80を過ぎてなお、みずみずしい詩を作り続けることができたのである。その原動力が、心身ともに充実した生活であり、それを彩っていたのは活発な社交であった。

秋晚:陸游を読む

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陸游の七言絶句「秋晚」(壺齋散人注)

  新築場如鏡面平  新築の場は鏡面の如く平らかに
  家家歡喜賀秋成  家家は歡喜して秋の成るを賀す
  老來懶惰慚丁壯  老來懶惰にして丁壯に慚ず
  美睡中聞打稻聲  美睡の中に聞く 稻を打つ聲を

讀陶詩:陸游を読む

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陸游の五言律詩「陶詩を讀む」(壺齋散人注)

  我詩慕淵明  我が詩淵明を慕ふも
  恨不造其微  恨むらくは其の微に造らざること
  退歸亦已晩  退歸 亦た已に晩し
  飲酒或庶幾  飲酒 或ひは庶幾(ちか)からん
  雨餘鋤瓜壟  雨餘 瓜壟に鋤き
  月下坐釣磯  月下 釣磯に坐す 
  千載無斯人  千載 斯の人無し
  吾將誰與歸  吾將に誰とともにか歸らん
陸游の七言律詩「秋の晩閑歩すれば、隣曲、予の近ごろ嘗て病に臥せるを以て、皆欣然として迎へ労らふ」(壺齋散人注)

  放翁病起出門行  放翁 病より起きて 門を出で行けば
  績女窺籬牧豎迎  績女は籬に窺ひ 牧豎は迎ふ
  酒似粥醲知社到  酒は粥に似て醲(こ)く 社の到るを知り
  麭如盤大喜秋成  麭(もち)は盤の如く大にして 秋の成るを喜ぶ
  帰来早覚人情好  帰来 早に人情の好きを覚え
  対此弥将世事軽  此に対して弥(いよい)よ将って 世事を軽んず
  紅樹青山只如昨  紅樹 青山 只 昨の如きも
  長安拝免幾公卿  長安 幾公卿かを拝免する

晩秋農家:陸游を読む

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陸游の五言律詩「晩秋の農家」(壺齋散人注)

  我年近七十  我 年 七十に近く
  與世長相忘  世と長く相ひ忘る
  筋力幸可勉  筋力 幸ひに勉むべく
  扶衰業耕桑  衰を扶けて 耕桑を業とす
  身雜老農閒  身は老農の閒に雜じはる
  何能避風霜  何ぞ能く 風霜を避けん
  夜半起飯牛  夜半 起きて牛に飯せば
  北斗垂大荒  北斗 大荒に垂る

故山:陸游を読む

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淳熙15年(1188、64歳)、陸游は巖州の任期を全うして一旦帰郷、その後軍器少監に任じられて都に赴任した。翌16年、礼部郎中となり、実録院検討官を兼務したが、同年11月弾劾されて職を免ぜられ、故郷の紹興に舞い戻った。

明州:陸游を読む

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陸游の七言律詩「明州」(壺齋散人注)

  豊年満路笑歌声  豊年 路に満つ 笑歌の声
  蚕麦倶収穀価平  蚕麦 倶に収めて 穀価平らかなり
  村歩有船銜尾泊  村歩 船有り 尾を銜んで泊す
  江橋無柱架空横  江橋 柱無く 空に架して横たはる
  海東估客初登岸  海東の估客 初めて岸に登り
  雲北山僧遠入城  雲北の山僧 遠く城に入る
  風物可人吾欲住  風物 人に可(よ)し 吾住まんと欲す
  担頭純菜正堪烹  担頭の純菜 正に烹るに堪へたり

臨安春雨初霽:陸游を読む

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淳熙13年(1186、62歳)、陸游は臨安に召し出されて権知巖州事(巖州の知事代理)を拝命した。実に6年ぶりの任官だった。その背景には皇帝考宗の計らいがあったという。すでに名が高くなっていたこの詩人を、文人皇帝である考宗はいたく気に入り、ご褒美に官職を与えてやろうと考えたようなのである。

寄題朱元晦武夷精舎:陸游を読む

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陸游の七言絶句「朱元晦が武夷精舎に寄題す」(壺齋散人注)

  身閑剰覺渓山好  身閑にして剰(な)ほ覺ゆ 渓山の好しきを
  心静尤知日月長  心静かにして尤も知る 日月の長きを
  天下蒼生未蘇息  天下の蒼生 未だ蘇息せず
  憂公遂與世相忘  憂ふ 公の遂に世と相ひ忘るを

贈貓:陸游を読む

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陸游の七言絶句「貓(ねこ)を贈る」(壺齋散人注)

  裹鹽迎得小狸奴  鹽を裹んで迎へ得たり 小狸奴
  盡護山房萬卷書  盡く護る 山房萬卷の書
  慚愧家貧策勳薄  慚く愧ず 家貧しくして勳に策ゆること薄く
  寒無氈坐食無魚  寒に氈坐無く 食するに魚無きを

九月三日泛舟湖中作:陸游を読む

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陸游の七言律詩「九月三日、舟を湖中に泛ぶるの作」(壺齋散人注)

  兒童隨笑放翁狂  兒童隨って笑ふ 放翁狂すと
  又向湖邊上野航  又湖邊に向って 野航に上る
  魚市人家滿斜日  魚市の人家 斜日滿ち
  菊花天氣近新霜  菊花 天氣 新霜近し
  重重紅樹秋山晚  重重たる紅樹 秋山晚れ
  獵獵青帘社酒香  獵獵たる青帘 社酒香し
  鄰曲莫辭同一醉  鄰曲 辭する莫かれ 同(とも)に一醉するを
  十年客裡過重陽  十年 客裡 重陽を過ごす

小園 其三:陸游を読む

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淳熙7年(1180、56歳)の暮に、提挙江南西路常平茶塩公事の職を解かれた陸游はいったん故郷へ戻って次のポストを待命した。そして翌年の3月には提挙淮南東路常平茶塩公事に任命されるのだが、提挙江南西路常平茶塩公事在職中に上司の許可を得ずに官倉を開いたことを弾劾されて取り消されてしまう。

春晩:陸游を読む

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臨安に召喚されて天使との謁見を賜った陸游だが、彼に用意されていたポストは「提挙福建路常平茶塩公事」というものであった。これは経済官庁のひとつで、茶や塩の専売を監督するものである。今の福建省に当たる領域をカバーする官庁の長官であるから、格としては決して低くはないが、陸游にとっては満足できるものではなかったろう。それでも陸游は不満をいわず、いったん郷里に帰って休養した後、その年(1178)の暮に任地の福建省に赴いた。

楚城:陸游を読む

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陸游の五言絶句「楚城」(壺齋散人注)

  江上荒城猿鳥悲  江上の荒城 猿鳥悲し
  隔江便是屈原祠  江を隔つれば 便ち是れ屈原の祠
  一千五百年間事  一千五百年間の事
  只有灘聲似舊時  只だ灘聲の舊時に似たる有り

登賞心亭:陸游を読む

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淳熙五年(1178年、54歳)、陸游は皇帝孝宗の命によって臨安に召喚される。陸游はそれを、政務への登用の機会ととらえたが、孝宗の本意はそうではなかった。孝宗は詩人としての陸游の才を愛でて、直に話し合いたいと願って、陸游を呼び寄せたのである。これは「召対」といって、天使が親しく臣民と向き合う特別な機会なのである。
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