英詩と英文学

死者の埋葬2:T.S.エリオット「荒地」

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T.S.エリオットの詩「荒地」から「死者の埋葬」2(壺齋散人訳)

  このからみつく根っこはなんだ
  この砂利交じりのごみからどんな枝が生えるというんだ?
  人間の息子よ お前には言えない 見当もつかない
  お前が知っているのは壊れたイメージの山だけだ
  太陽が照りつけ 枯れ木には影もなく コオロギの声も聞こえない
  石はかわき 水の音さえしない
  この赤い岩がわずかな日陰を作っているだけだ
  (この赤い岩の日陰に入ってこいよ)
  そうすれば ちょっと変わったものを見せてやるよ
  朝日を浴びて後ろにひきずった影でもなく
  夕日と出会った影でもないもの
  一握りの灰を見せてやるよ
    サワヤカニ 風ハ吹ク
    故郷ノ方ヘト
    我ガアイルランドノ子ヨ
    ドコヲオ前ハサマヨッテイルノカ?
  「あなたが初めてヒアシンスをくれたのは一年前
  それからみんなにヒアシンス娘って呼ばれたわ」
  ―でも そのヒアシンス畑から戻ってきた時
  君が髪を濡らしながら 両手いっぱいにヒアシンスを抱えていたので 
  僕は口もきけず 目も見えず
  生きているのか 死んでいるのか わからないままに
  光の中心を 沈黙を 覗き込んだ 
  海は荒涼として空虚だった

死者の埋葬1:エリオット「荒地」

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T.S.エリオットの詩「荒地」から、「死者の埋葬」1。(壺齋散人訳)

  四月は一番残酷な月だ
  不毛の土地からリラが芽生え
  記憶が欲望とごっちゃになり
  根っこが春雨を吸ってモゾモゾする
  冬はあたたかく包んでくれた
  気ままな雪が大地を覆い
  球根には小さな命がやどっていた
  夏にはみんなびっくりした
  シュタルンベルガー湖の向うから雨と一緒にやってきたので
  我々は柱廊で雨宿りし 日が出てからホーフガルテンに入り
  コーヒーを飲んで一時間ばかり話した
  ワタシハロシア人ナンカジャアリマセン 
  リトアニア生マレノレッキトシタドイツ人デス
  まだ子供だったころ 従兄の大公の邸で過ごしたわ
  あの人 橇に乗せてくれたけど
  わたしは怖かったの するとあの人は
  マリア マリア マリア しっかりつかまってて
  そういいながら 下っていったっけ
  山の中では 気持ちがいいものよ
  わたしは夜通し本を読み 冬には南の方に行くの

T.S.エリオット「荒地」を読む

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T.S.エリオットの「荒地」は現代詩の幕開けを飾る記念碑的な作品だということになっているが、決して読みやすくはない。というより(特に我々非ヨーロッパ人にとっては)難解である。エリオット自身が原注の中で、この詩はアーサー王物語と聖杯伝説とのかかわりについてのウェストン女史の研究「祭祀からロマンスへ」に触発されたと書いているので、その方面の物語を連想させるのかと思えば、そう単純なことではない。確かに、詩の舞台はロンドンに始まり、テムズ川から地中海へ、そして東ヨーロッパからインドを経由して再びロンドンに戻って来るといった具合に壮大な旅を連想させないことはないが、旅がこの詩のテーマだとはとうていいえない。したがってこれは、聖杯伝説の物語のような、旅がテーマの叙事詩とはいえないし、他のどんなジャンルの詩とも似ていない。

エミリー・ディキンソンの詩から「死の床で私は(I heard a Fly buzz - when I died)」(壺齋散人訳)

  死の床で私は ハエがうなるのを聞いた
  部屋の中の静けさは
  嵐と嵐の間のつかの間の
  大気の静けさのようだった

エミリー・ディキンソンの詩から「頭の中で葬式を感じた(I felt a funeral in my brain)」(壺齋散人訳)

  私は頭の中で葬式を感じた
  会葬者たちがあちこちと
  歩き回り、歩き回って とうとう
  意識がぼやけてしまった

エミリー・ディキンソンの詩から「この世で終りにはならない(This world is not Conclusion)」(壺齋散人訳)

  この世で終わりにはならない
  あちらにももうひとつある
  音楽のように目に見えないけど
  音のようにたしかに
  それは手招きするがはねつけもする
  哲学にもわからない
  結局謎の中を
  智慧は通らねばならないのだ
  それを想像しようとして学者は悩み
  それを得ようとして人々は
  幾世代にわたってさげすまれ
  十字架を演じてきた
  信仰はつまづいたり、笑ったり、持ち直したりする
  誰かが見ていれば赤面し
  証拠の小枝をもぎり取り
  風見に道を聞いたりする
  祭壇からは大げさな身振りが見え
  はでなハレルヤがこだまする
  麻酔剤でもしずめられない
  魂をむしばむ歯の痛みを

エミリー・ディキンソンの詩から「コマドリたちがやってきたときに(If I should n't be alive)」(壺齋散人訳)

  コマドリたちがやってきたときに
  もしも私が生きていなかったら
  赤いネクタイをしたやつに
  記念にパン屑をあげて下さい

エミリー・ディキンソンの詩から「私が死のために停まることができないので(Because I could not stop for Death)」(壺齋散人訳)

  私が死のために停まることができないので
  死の方で親切にも停まってくれた
  馬車の中には私たち二人と
  永遠がいるだけだった

エミリー・ディキンソンの詩から「苦悩の表情(I like a look of agony,)(壺齋散人訳)

  私は苦悩の表情が好きだ
  それが本当だと知っているから
  人々はわざと痙攣して見せたり
  苦しんでるふりをしたりはしない

エミリー・ディキンソンの詩から「わたしは美のために死んだ(I died for beauty, but was scarce)」(壺齋散人訳)

  わたしは美のために死んだ
  そして墓に横たわるや否や
  真実のために死んだ人が
  隣りの部屋に横たえられた

エミリー・ディキンソンの詩から「アラバスタ―(Safe in their alabaster chambers)」(壺齋散人訳)

  アラバスターの部屋でやすらかに
  朝にも邪魔されず 昼にも邪魔されず
  復活を待つ柔和な人々が眠っている
  サテンの垂木 石の屋根の下で

エミリー・ディキンソンの詩から「宝石(I held a jewel in my fingers)」(壺齋散人訳)

  宝石を握りしめながら
  わたしは眠ったの
  その日は暖かく 風も穏やかだった
  わたしはいった 離さないわと

エミリー・ディキンソンの詩から「嵐の夜よ!(Wild nights! Wild nights!)」(壺齋散人訳)

  嵐の夜! 嵐の夜よ!
  あなたと一緒なら
  嵐の夜もすてきな
  ひと時にかわる

エミリー・ディキンソンの詩から「教会で安息日を過ごす人がいるけど(Some keep the Sabbath going to church)(壺齋散人訳)

  教会で安息日を過ごす人がいるけど
  わたしは自分の家で過ごすの
  ボボリンクを聖歌隊代わりに
  果樹園を礼拝堂代わりにして

エミリー・ディキンソンの詩から「詩人たちが歌う秋のほかに(Besides the autumn poets sing)」(壺齋散人訳)

  詩人たちが歌う秋のほかに
  いくらか散文的な日々がある
  雪のすこしこちら側に
  薄靄のちょっぴりあちら側に

エミリー・ディキンソンの詩から「夏 鳥たちに遅れて(Farther in summer than the birds)」(壺齋散人訳)

  夏 鳥たちに遅れて
  草むらで悲しそうに
  小さな者たちの一団が
  控えめなミサを執り行う

エミリー・ディキンソンの詩から「小鳥が道に下りてくると(A bird came down the walk)」(壺齋散人訳)

  小鳥が道に下りてくると
  私が見ているのを知らずに
  ミミズをふたつに引きちぎって
  生のままたべてしまった

エミリー・ディキンソンの詩から「わかってるわ あの人がどこかに(I know that he exists)」(壺齋散人訳)

  わかってるわ あの人がどこかに
  隠れてらっしゃてるってことは
  あの人は わたしたちの
  下品な目を避けてらっしゃるのよ

エミリー・ディキンソンの詩から「好きよ、それが何マイルも駆けゆき(I like to see it lap the miles)」(壺齋散人訳)

  好きよ、それが何マイルも駆けゆき
  谷底を舐めるように進み
  貯水池に立ち止まって渇きをいやし
  そして勢いよく山々の

エミリー・ディキンソンの詩から「恍惚の一瞬には(For each ecstatic instant)」(壺齋散人訳)

  恍惚の一瞬には
  苦悩で支払わなくちゃならない
  それもとびっきり
  身のよだるような歩合で

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