読書の余韻

渓内謙「現代史を学ぶ」

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渓内謙といえば、日本におけるロシア革命史の第一人者として、かつては一定の影響力をもっていた。そのロシア革命史観は、ロシア革命を社会主義革命のあるべきはずだった形態からの逸脱としながら、そこに社会主義の実現に向けての一定の役割ないし歴史的意義を認めるという点で、カーやドイッチャーと共通する立場に立っていた。彼の啓蒙的な著作「現代社会主義の省察」は、レーニンが始めた社会主義革命を、スターリンがゆがめたというという見方を展開して見せたもので、レーニンからスターリン体制への移行を、革命の知的巨人から「知的ピグミー」たちへの移行として捉えていた。

内田樹、松下正己「映画は死んだ」

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内田樹と松下正己は中学生のときに不思議な縁で結びついて以来、主に映画を仲立ちとして付き合ってきたそうだ。しかし二人の映画についての趣味は全く異なっていたらしい。にもかかわらず、共同して映画についての本を書くこととなった。この本はその共同の成果というわけである。内田が前書で言っている通り、松下のものは読むと肩こりする体のものであり、内田のものは例によって肩がこらない。

小林丈広外「京都の歴史を歩く」

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京都に関する数あるガイドブックの中でも、京都の歴史をテーマにしたものが結構出ていると思うが、岩波新書から最近出た「京都の歴史を歩く」はかなり本格的な本だ。三人の京都研究者が、六年もかけて、岩波新書の編集者と共に京都の様々な街を歩き回り、それぞれの街の歴史を京都全体の歴史とかかわらせながら丁寧に読み解いている。時間と労力をたっぷりとかけた贅沢な本なのである。この本を通じて筆者は、京都の街についてのまた違った見方を教えられた。

内田樹によるレヴィナスの他者論

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内田樹がレヴィナスの思想の核心をその他者論にあると捉えていることは、彼のレヴィナス論「レヴィナスと愛の現象学」の全体が、他者としての師匠、他者としての神、そして他者としての女、についての議論に当てられていることからも窺われる。その議論はかなりわかりづらいのだが、それはレヴィナス自身の思想がわかりづらいからか、それとも内田によるレヴィナスの紹介の仕方がわかりづらいのか、レヴィナスに通暁していない筆者のようなものには判断がつかない。しかし一定の推量はできそうなので、推量が出来る範囲で、内田によるレヴィナスの他者論について考えてみたい。

内田樹「レヴィナスと愛の現象学」

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レヴィナスが現代思想の巨人の一人だということは聞いていたが、その本を読んだこともなければ、その思想がどのようなものかもろくに知らなかった。そのレヴィナスを内田樹が高く評価するばかりか、自分の考え方の拠り所にもしているというので、このたびその内田樹の書いたものを手がかりにしてレヴィナスの思想の一端に触れてみようと思った次第だ。というのもレヴィナスの書いたものは非常に難解だと言われており、一度や二度テクストを読んだくらいではとても理解できないという。そこでレヴィナスの弟子を任じている内田ならば、師匠の思想を噛み砕いて日本人に解説してくれるのではないか、そんな期待を持ったのである。内田を通じてレヴィナスの思想の一端にせまることができるか、それともレヴィナスを材料にして内田が自分の思いのたけを吐露するのを聞かされるのか。それは読む前には無論わからなかったし、読んだ後でも明らかにはならなかったが、面白く読んだことは確かなので、読まないよりは良かったと思っている。

村上春樹「職業としての小説家」

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村上春樹の最新の本「職業としての小説家」は、村上本人が「自伝的エッセイ」と言っているように、彼自身の小説家としての今までの生き方を振り返ったものだ。彼はこれまでにも、さまざまな機会に自分の小説家としての生き方を語ってきており、そういう点では目新しいものは見当たらないのだが、一冊の本にまとまったものを見ると、村上の小説家としての生き方が多面的・重層的に展開された形で描かれているので、村上という作家に関心を抱いているもの、たとえば筆者のようなものには、それなりに読んで面白い本だ。

内田樹、中沢新一「日本の文脈」

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内田樹と中沢新一は同じ年の生まれだし、経歴にも似たようなところがあるので、古い付き合いでもおかしくないのだが、この対談のために会って話したのがはじめての出会いなのだそうだ。ちょっと話しただけで、すぐに仲良くなった。それは、お互い非常に似ているところがあるためで、その似ているところというのは、ふたりとも「男のおばさん」を自負している点だと言う。「男のおばさん」とはおかしな言葉に聞こえるが、要するに「おばさん」的な思考をする男という意味らしい。

丸谷才一・山崎正和「日本史を読む」

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丸谷才一と山崎正和の対談「日本史を読む」は、日本史についての様々な著作を二人で読みながら、それを手がかりにして、日本の歴史の面白さを解きほどいていこうという試みである。カバーしている時代は、古代から近代までと幅広く、それぞれの時代についてユニークな歴史記述をした本をいくつかとりあげて、それらを材料に、各時代の特徴のようなものを浮かび上がらせようとしている。たとえば、院政時代については、角田文衛の「椒庭秘抄 待賢門院璋子の生涯」を材料にして、この時代が性的乱倫とサロン文化の花開いた時代であったと断定したり、足利時代については、林屋辰三郎の「町衆」を材料にして、この時代が都市化を背景とした日本のルネサンスと呼ぶべき時代だったと確認する、といった具合である。

石川淳の本居宣長論

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中公版「日本の名著」の本居宣長編は石川淳の責任編集という形になっていて、石川が「宣長略解」なる文章を序文として寄せている。内容は、石川による本居宣長論といってよいものだ。石川淳といえば森鴎外論が思い浮かぶが、こちらはまた違った切り口から日本の偉大な文章家を論じている。そこからは、鴎外を論じるときのような、感情移入的な態度ではなく、きわめて冷めた感じが伝わってくる。

高倉健「あなたに褒められたくて」

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高倉健といえば、ヤクザ映画のヒーローだし、その他のジャンルの映画でも寡黙でこわもてするタイプの役者という印象が強く、一時期流行ったCMの文句「男は黙ってサッポロビール」を地で行く生き方をしているのかと思ったが、素顔の本人は意外とさばけて、話好きなのだそうだ。この本(「あなたに褒められたくて」)を読むと、そんな高倉の話好きな雰囲気が伝わって来るような気がする。

四方田犬彦「映画史への招待」

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「映画についての言説が、はっきりと過去の作品を対象とし、それを歴史的なものとして認識しようとする姿勢に転じたのは、映画が考案されてかなり時間が経過したのちに、ようやく現れた」と、「映画史への招待」の著者四方田犬彦は言う。それまでは映画の歴史が語られることはなかった。ということは、映画は歴史の厚みをもたない薄っぺらなエンタテイメントであり、その映画についての語り方も、相応に薄っぺらなものだった。たまに映画の「歴史」について語るものが現れても、それは本物の歴史家にとっては、「好事家のディレッタント趣味に満ちた印象の寄せ集めであって、どこまでも日曜仕事の域を出ないものであった」というわけである。

井上ひさし「宮沢賢治に聞く」

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井上ひさしの「宮沢賢治に聞く」は、題名にあるとおり宮沢賢治本人を登場させて自分自身について語らせたり、あるいはそれに石川啄木を加えて互いのことを語らせたりした後、井上の友人たちによる賢治論とか、井上自身による賢治の伝記的エピソードのようなものを語っている。そのどれもが、賢治の作品ではなく、賢治の生き方に焦点を当てている。というのも、このユニークな賢治論には、井上なりの特別の意図が隠されているのである。

内田樹と高橋源一郎の対談集「ぼくたち日本の味方です」に収められた対談がなされたのは、2010年11月から2012年2月にかけてだから、丁度民主党政権の時代に重なっている。この対談は政治色の強い雑誌「SIGHT」のためになされており、また、内田も高橋も日頃から政治的な発言にコミットしているので、勢い政治的なメッセージが強い対談なのだが、政権に対してあまり批判的でないのは、民主党が政権を担当していたからか。この期間は3・11を挟み、日本の政治の問題点が露呈したこともあったわけだが、両人はそれを、民主党の問題というよりも、日本政治全体が劣化していることの現れと捉えている。要するに、民主党には甘いのである。

森岡孝二「雇用身分社会」

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表題の「雇用身分社会」という言葉は著者の造語である。この言葉で著者が強調しているのは、派遣や契約社員、パート労働者といったいわゆる非正規雇用が雇用全体の四割に達し、その層に貧困が広がってゆく中で、格差社会が深刻化しているという問題意識である。雇用の形態は本来身分とは異なる概念であるはずだが、一人の人間がいったん非正規雇用の状態に置かれると一生そのステータスから逃れられなくなるばかりか、その人の貧困が子供にまで受け継がれてしまう。これはもはや雇用の多様化などといった言葉で合理化できる事態ではない。雇用の形態が身分に転化している状態であり、そんな状態が蔓延している今の日本は「雇用身分社会」というべきだ、と著者は考えるのである。

保坂正康「昭和史のかたち」

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保坂正康は、昭和史を主なフィールドとするノンフィクション作家として知られる。この本はそうした立場から保坂なりの昭和史観をまとめたものと言えるのだろうが、そこには今の時代への保坂なりの危機感も働いているようである。その危機感を保坂は、「戦後七十年の節目に、無自覚な指導者により戦後民主主義体制の骨組みが崩れようとしている」と表現しているが、こうした動きはとりもなおさず、過去を真剣に反省せず、自分の都合の良いように再解釈する歴史修正主義に駆動されているという問題意識に立って、一人ひとりの国民に、昭和史を改めて考えて欲しい、という気持ちが保坂に強く働いたのであろうということを感じさせる。

赤坂真理「東京プリズン」

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赤坂真理の小説「東京プリズン」は、赤坂本人が16歳の少女として体験したアメリカでの生活を、40台半ばの女性としての視点から見つめなおしたというような体裁になっている。とは言え、視点は一様ではない。16歳の少女としての視点から未来の自分を見つめているところもあって、時空をまたいでいるようなところもある。そこから独特のシュールな感じが醸し出される。そのあたりは、日本人の書いた小説としては、過去に例を見ない斬新さと言えよう。

永積安明「平家物語を読む」

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永積安明の「平家物語を読む」は、岩波ジュニア新書向けに書かれたこともあって、非常にわかりやすい。忠盛以下十人の登場人物について、それぞれの生き方を取り上げてゆくことで、彼等を中心にして物語が進んでいくところが時間軸に沿って明かにされてゆくし、また彼等が互いに関りあうさまが語られることで、物語が空間的な広がりを以て展開してゆくさまが見えてくる。これは個々の登場人物に焦点を当てる方法の利点と言えるもので、物語を理解するに当たってはもっともわかりやすいものだ。

丸谷才一「忠臣蔵とは何か」

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丸谷才一の日本文学論の特徴は、民俗学の方法を日本文学の背景分析の手段として応用するところにある。前日このブログで取り上げた「恋と日本文学と本居宣長」とか「女の救はれ」といった文章は、日本文学が、師事した中国の文学と違うところは、男女の恋とか女人成仏とかいうことを大事にするところにあるが、それは日本人の間に女性崇拝の思想が働いている結果なのだとしていた。これは、その女性崇拝を太古の時代の母系制社会のあり方に遡って位置づけるというような民俗学的な方法を応用した見方なのである。

丸谷才一「女の救はれ」

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「日本文学は中国文学に長く師事して来た。何しろ文字それ自体だって中国のものを借用したのである。決定的な影響を受けたのは当たり前ですが、それにもかかはらず意外に真似をしてゐない局面がある。したたかに拒否して、個性を発揮している。この女人成仏もその一つなのでせう。」これは、丸谷才一の著作「女の救はれ」の一節であるが、丸谷はこう言うことで、日本文学の(中国文学と異なる)大きな特徴として、男女の恋を重んじる態度と並んで、女性の尊重ということをあげている。女人成仏の思想はその象徴的な事例だというのである。

丸谷才一「恋と日本文学と本居宣長」

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丸谷才一の日本文学論が本居宣長に多大な影響を受けていたことは良く知られている。丸谷は中国文学と比較して日本文学が男女の恋を描くことに熱心だったのは、日本人の国民性に深く根ざしていたのだというような主張をしたのだが、その根拠としてもっぱら本居宣長を援用していたのだった。

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