読書の余韻

司馬遼太郎は、昭和初期の十数年間を日本史にとって異常で異胎な時代だったと言い、日本にとっては「別国の観があり、自国を亡ぼしたばかりか、他国にも迷惑をかけた」と言いつつ、この「わずか十数年間の"別国"のほうが、日本そのものであるかのようにして内外で印象づけられている」のは残念だという気持を強く抱いたようだ。

信長、秀吉、家康は、日本の近世史を飾る英雄たちである。英雄はどの民族でも敬愛を集めるもので、その活躍は壮大な物語となって、民衆の心に生き続ける。日本人も例外ではなく、源平の英雄たちの興亡は平家物語を通じて語り継がれ、南北朝の興亡は太平記によって語られた。ところがこの三人については、そうした壮大な国民的叙事詩は何故か作られなかった。彼らの活躍ぶりを伝えたのは、ささやかな語り物であり、その延長としての講談であった。名もない大勢の講談師たちが、長い時間をかけてこの三人のイメージ作りを行ってきたというのが実相で、その営みは20世紀に入ってもなお引き継がれていたと言ってよい。この三人の英雄たちをめぐる司馬遼太郎の語り口もそうした営みの一つだった。司馬は大勢の講談師たちと日本近世の歴史観を共有していたわけである。

司馬遼太郎は明治維新を礼賛しているので、それを遂行した勢力、俗に言う薩長土肥も非常に肯定的に見ている。司馬は一方では、薩長の宿敵であり、薩長によってひどい目にあわされた会津にも同情的な視線を注いでいるので、首尾一貫しない印象を与えてもいるのだが、司馬が会津に拘るのは、思想的な根拠からではなく、細君が会津の出身だったという偶然的な要素に大分左右されているらしい。

司馬遼太郎は、日本の近代化を担ったのは薩長をはじめとした西南諸藩の下級武士たちだ、というざっくりした理解に立った上で、そうした武士階級というものが鎌倉時代の初期に成立して以来、日本という国のかたちを規定してきたと考えているようである。いわば武士階級一元論の歴史観といってよい。武士階級は日本の歴史を動かしてきただけではない。それは日本人のエートスというようなものとなって、今現在もこの国のかたちを規定している、どうもそのように考えているようでもある。

司馬遼太郎は明治維新を革命と捉えているようである。最大の理由は、これによって徳川時代以前の身分社会が解体されて、日本は基本的には国民がすべて平等である社会が実現したことだという。その一つの例として司馬が持ち出すのは、自分自身が見聞したことだった。

先日友人たちと談笑した際に、いわゆる司馬史観が話題に上った。司馬が明治を賛美して、昭和について殆ど語らないという話から始まって、司馬の史観をどう受け取るかについて、否定論と肯定論が拮抗した。否定論は、司馬の明治礼賛には問題がある、何故なら明治の精神そのものに昭和の破滅の原因があったのに司馬はそれを無視していると言い、肯定論は、明治は日本の近代化にとって歴史的な意義を持ったが、昭和の全体主義的な体制がそれを踏みにじって日本を破滅に導いたと言った。その議論を脇で聞いていた筆者は、いわゆる司馬史観について理解するところ少なかったので、その場では発言を差し控えた。だが、彼らの議論を聞いていると、司馬が現代の日本人の歴史認識にかなりな影響を及ぼしているらしいことが感じられた。そこで、自分も多少司馬を読んでみようという気になった。取り上げたのは「この国のかたち」である。以下、その読書の観想をいくつか述べてみたい。

ハーバート・ノーマンの安藤昌益論(「忘れられた思想家 安藤昌益のこと」大窪愿二編訳)を読んでいたら、昌益が仇討制度に厳しい批判を加えている部分に出会った。仇討というのは古い歴史を持ち、日本人の生き方の根幹にかかわるようなもので、簡単に批判しておさまるという性質のものではないが、昌益はその仇討の、制度としての側面に注目してこれを批判したようである。徳川時代の仇討は、人間の自然の感情から行われたというよりも、社会制度の根幹をなすものとして、それ故道徳的な要請として、人々に外部から強制される側面をもっていた。昌益が批判したのは、そうした強制を伴った制度としての仇討だった、ということがノーマンの文章からは、かすかながら、伝わってきた。

政治学の文脈で保守主義が論じられるときには、だいたいエドマンド・バークへの言及から始まることが多い。バークはフランス革命を批判したことで知られる。フランス革命を批判することでバークは、急激な変革ではなく漸進的な改革のほうが好ましいということを主張するとともに、フランス革命のようなドラスティックな変革によって伝統的な価値が破壊されることに反対した。世の中には守り伝えるべき価値というものがあり、それは革命によって破壊されるべきではない、と主張したわけである。バークにとってその価値とは、名誉革命によって確立されたイギリス政治の自由主義的な伝統であった。

最近は日本でも「反知性主義」という言葉が流行っているが、それは「知性に反した愚かな言動をする人たち」つまり愚者という意味で使われている。ところがこの言葉はもともとアメリカで言われたもので、その当のアメリカにはこういう意味合いはないようだ。森本あんりによれば、この言葉は反権威主義というような意味合いで使われた。アメリカにはこうした反権威主義の伝統があって、それが節目ごとに勢いをもりかえし、アメリカの歴史を動かしてきた、ということらしい。

資本主義には終わりがある、という見方は、かつてはマルクス主義に特有のものだったが、今では普通のエコノミストでも言うようになった。中でも水野和夫は、「資本主義の終焉と歴史の危機」について、もっとも明快に主張している。彼はメガバンク系のチーフ・エコノミストをやったこともあり、資本主義には職業的な利害を感じていたはずなのに、その彼にして資本主義は終焉を迎えつつあると言うのだから、ことの深刻性を思わせるというものだろう。

小林秀雄には、何にでも首を突っ込んではわけのわからぬことを書き散らす癖があったが、西行論もその一例である。

西行ほどの複雑な人間像ともなれば、その解釈には様々な緒がある。筆者が最近接したものとしては、西行の武士としての出自に注目し、彼が生涯武門の誇りに拘って生きていたとする見方(高橋英夫、武門論的アプローチというべきもの)及び西行と鳥羽上皇の后待賢門院との関係に注目し、西行の歌は待賢門院への片恋が結晶したものだとする見方(瀬戸内寂寂聴、片恋論的アプローチというべきもの)が目に付いたが、その他に僧侶としての西行に注目した僧形論的アプローチと言うべきものもある。吉本隆明の西行論は、その代表的なものである。

柄谷行人は「世界共和国へ」と「憲法の無意識」のなかで彼独自の資本主義論を展開している。独特のフレームワークを用いて、世界経済の発展の傾向と、その帰結としての現代世界経済の本質的なあり方について説明しようとするものだが、彼の最大の特徴は国家を経済の成立基盤と見ることだ。国家は経済が成立する以前から存在し、経済が発展する上での条件となっている。マルクスのいうように、経済が国家を規定するのではなく、国家が経済を規定する、そういう考え方にたって、経済現象を説明しようと言うのが、彼の理論の最大の特徴である。

「憲法の無意識」は、昭和憲法や現代資本主義について柄谷なりに考えてきた事柄を文章にしたものをまとめたものだ。それゆえ一冊の本としてはまとまりがないという印象を受けるが、取り上げられている個々のテーマについては、それなりのインパクトを感じさせる。

安部晋三政権の登場とともに俄に脚光を浴びたものがある。日本会議と称する極右団体だ。いまや多数の国会議員が会員として名を連ね、安部晋三政権に大きな影響を及ぼしている。その活動ぶりは安部晋三政権の別働隊と言ってよい。ところがこの団体がどのような経緯で結成され、どのような思想的背景を持っているかについては、あまり知られていない。これほど大きな政治的影響力を持つに至った団体の中身が国民に知られていないのは異常だ。そんな問題意識をもって、この団体の研究に取り組んだ人がいる。フリー・ジャーナリストの菅野完だ。

瀬戸内寂聴の著作「白道」は、歌人西行の評伝である。寂聴は小説家であるから、西行を歴史的な視点から見るというよりも、小説家らしい視点から見ている。それは空想を交えたもので、西行を一人の生きた人間として見るというものだ。では寂聴は西行という人間を、基本的にはどのような人間として見ているのか。ごく単純化して言えば、自分の生涯をかなわぬ恋に捧げたヤワな人間として見るということのようである。西行のそのかなわぬ恋の対象とは、院政時代を奔放に生きた恋多き女待賢門院璋子である。

我々現代人にとっての西行像は、芭蕉をとおして浮かび上がってくるのが相場になっていて、おのづから旅を住処とする漂泊の歌人というイメージになるのだが、高橋英夫のこの本は、西行をもっと広い視点から捉えなおしている。その結果あらたに浮かび上がってくる西行像は、ごく単純化して言えば、世俗を捨てこの世から超絶した旅の僧というイメージではなく、生涯世俗に捉われた煩悩の人だったというイメージだ。

この本の中で柄谷が試みたのはマルクスの国家論への批判である。マルクスは国家を上部構造として、ある種のイデオロギー装置のようなものとして見た。国家は、経済関係を下部構造として、経済関係における支配階級がそれ以外の階級を支配する為の道具である、というのがマルクスの国家論の基本的な特徴である。国家は階級支配の道具であるから、階級支配とそれを担う階級が消滅すれば、それに伴って死滅する。マルクスが目的とした共産主義社会というのは、国家が死滅したあとの社会の状態、階級支配のない平等な社会である、ということになる。

読書誌「図書」の4月号に伊東光晴が寄稿し、その中で、自分に残された生涯最後の日々をガルブレイス論の執筆にあてたと書いていた。伊東は2012年の2月に倒れ心肺停止の状態に陥ったのだが、奇跡的に生き返り、なんとか執筆できるまでに回復した。この時85歳だった伊東は、自分に残された最後の日々をガルブレイスのために使いたいと決心したという。ガルブレイスに寄せる伊東の暑い思いが伝わってきて、筆者も是非読んでみたいと思い、ページを開いた次第だった。

笠井潔と白井聡はいづれも、戦後日本に対して鋭い批判意識を持っている。笠井は戦後の日本が敗戦の事実にまともに向き合ってこなかったことで、いまだに国家として深刻な問題を抱えているとする。3,11は8.15をきちんと清算できていなかったことをあぶりだしたわけだが、このままでは同じようなことが繰り返され、第三の8.15も起りうるだろうと予言する。白井のほうも、日本は敗戦の意味を真剣に考えなかったおかげで、いまだに敗戦の亡霊に付きまとわれ、いわば永続敗戦の状態に置かれていると断言する。

Previous 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10



最近のコメント

アーカイブ