読書の余韻

丸山真男の日本ファシズム論

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丸山真男の小論「超国家主義の論理と心理」は、終戦後間もない昭和21年3月に書かれ、その年の5月に刊行された雑誌「世界」の創刊号に載るや否や大変な反響を呼んだ。8.15以前における日本の全体主義体制の本質を論じたこの論文は、続いて書かれた「日本ファシズムの思想と運動」(昭和22年)、「軍国支配者の精神形態」(昭和24年)とともに、日本ファシズム研究の古典的な業績とされるようになった。
日本人の発想の根底には、人間の意思よりも物事のなりゆき、筋道や道理よりもその場の勢いを重んじる傾向がある、そう丸山は考えていたようだ。言ってみれば、主体性が乏しいということだ。その主体性の乏しさが政治の場で作用すると、政治的な無責任がはびこるようになる。丸山が日本ファシズムと名づけた戦時中の全体主義的な体制は、そうした無責任が生み出したものなのだ。そしてこの無責任さをもたらした根本的な要因こそ、なりゆきやいきほひを尊重する日本人の思考の枠組みなのだ。その思考の枠組みを丸山は歴史意識の古層と名づけ、これが記紀の時代から今日までの、日本人の思考を制約してきた、そう考えるのである。
筆者は時折「三粋人経世問答」と題して、時評を問答形式で述べることがあるが、これが中江兆民の「三酔人経綸問答」の影響を受けてのこととは、題目からして容易に連想してもらえるだろう。その「三酔人経綸問答」を巡って、丸山真男が面白い話をしている。「日本思想史における問答体の系譜」と題した講演だ。
「国家理性」の概念は、マイネッケが「近代史における国家理性の理念」の中で展開したものだ。それには、支配者が被支配者を支配・統合するための行動理念という側面と、国家の他の国家に対する場合の行動理念という、二つの側面があるが、丸山真男はそのうち、近代国際社会における、国家間の関係を律する行動理念としての側面を強調して、「近代日本思想史における国家理性の問題」という小論を書いた。(未完結ではあるが)

丸山真男の開国論

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丸山真男は、日本は三度にわたって開国のチャンスを迎えたと言っている。(開国「忠誠と反逆」所収)室町末期から戦国時代にかけてがその第一、明治維新がその第二、そして昭和の敗戦がその第三である。「開国」と題した小論では、第二の開国たる明治維新について考察を加えている。

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丸山真男のこの小文は、佐久間象山の故郷松代市で催された講演会での話の内容を文書にしたものである。佐久間象山について話をしてほしいと頼まれて話したわけだから、自分から積極的にテーマに選んだのではないといっているのだが、それにしては深く掘り下げた議論が展開されている。丸山自身、かねてから象山について深い関心を抱いていたことの現れなのだろう。

忠誠と反逆:丸山真男の抵抗論

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丸山真男の日本ファシズム論は、戦後の日本政治学、とりわけ日本政治の分析枠組として、非常に大きな影響を及ぼした。その影響のあり方は、評価する者に対する影響のみならず、批判する者さえ呪縛するようなものだったと言える。戦後の日本政治学は、良くも悪しくも、丸山真男を出発点とし、その理論と格闘しながら進んできたといってよいほどだ。

ドン・キホーテと魔法

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「ドン・キホーテ」には、「魔法使い」という語が103回、「魔法」が50回、「魔法にかける」が127回出てくるそうだ。(牛島信明「ドン・キホーテの旅」)このことから、この小説にとって「魔法」が大きな役割を果たしていることがわかる。

サンチョ・パンサの道化知

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ドン・キホーテにとって切っても切れない関係にあるサンチョ・パンサを、どのようにとらえるかについては、様々な考え方がありうる。ということは、サンチョ・パンサという人物像が、一筋縄では片付かない複雑さを帯びている、ということを意味している。サンチョ・パンサといえば、単純で騙されやすく、思慮の浅い田舎者だと思われがちだが、どっこい、そうは問屋が卸さないのである。

「ドン・キホーテ」は基本的にはスペイン中世に流行した騎士物語のパロディといえるのであるが、それにとどまらず、さまざまなものを材料として取り入れている。悪漢を主人公とするピカレスク小説、羊飼いたちの生活を理想化した牧人小説、モーロ人とキリスト教徒との葛藤を題材としたモーロ小説などである。「ドン・キホーテ」はこれらをパロディとすることで、その時代遅れな馬鹿馬鹿しさを笑いのめすのである。
ドン・キホーテは狂人としての資格において中世の遍歴の騎士のパロディである。パロディであるから、形式上は中世の騎士の内実を体現しているように見えなければならない。騎士とはなにか、どんなイメージに映るべきかは、ドン・キホーテの同時代の人々には良くわかっていた。そのもっとも重要な側面は、高貴な女性への愛と奉仕である。そしてその愛には、エロティックな匂いがあってはならない。それはあくまでも、プラトニックな愛でなければならない。

ドン・キホーテの狂気

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甲冑に身を固め、槍をかざして名馬ロシナンテに跨り、颯爽とラ・マンチャの草原を行くドン・キホーテ。いかにも英雄的なこの姿は、騎士物語を読んだあげく脳みそがからからになり、自分を憧れの騎士であると思い込んだ不幸な老人の自画像なのだ。

ルカーチのドン・キホーテ論

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ジェルジ・ルカーチは筋金入りのマルクス主義者だから、彼の文学理論も革命的リアリズムを基調にしたものだろう、と誰もが思っていることだろう。だが、この革命的リアリズムというのがいまひとつ明確ではない。スターリンの仲間たちが喧伝した社会主義リアリズムは論外として、レーニンの文学理論は輪郭がいまひとつ定かではない。エンゲルスはハイネを熱愛したが、ハイネは文学史上ロマンティシズムの巨匠ということになっている。ところがロマンティシズムほど、リアリズムの対極にあるものはないとされている、という具合に。
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