知の快楽

20数年ぶりにカントを読みなおそうとしてはたと思ったのは、どんな日本語訳を選んだらよいかということだった。筆者はドイツ語に堪能ではないので、原文でスラスラ読むというわけにはいかない。そこで以前読んだ岩波文庫版はどうかというと、これがかなり問題ありという評判だ。篠田英雄の訳したこの本は、日本語の表現が堅苦しいことはともかくとして、カント哲学の根本となる概念の用語が適切に訳されていないという批判がもっぱらなのである。その代表的なものは、トランツェンデンタールというドイツ語を、先験的と訳している事である。
カントがアプリオリな総合判断を重視したのは、経験から得られる認識すなわち総合的な認識の中にも普遍的で必然的な真理が含まれていることを証明するためであった。そうすることで、因果関係についてヒュームが下した結論を覆し、人間の認識は経験に根差しながらも、(因果関係を含めて)普遍的・必然的な真理に達することができるのだと主張したかったわけであろう。

カントの問題意識:ヒュームとの対決

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カントがヒュームによって独断のまどろみから目覚めたと告白していることは、哲学史上有名なことである。ドイツ哲学をあまり評価していないラッセルもそのことを、カントにとってよかったと評価している。もっともラッセルは、その目覚めは一時的なもので、カントは催眠術を発明して再び眠りにつくことができたと皮肉っている。

西洋哲学と男色

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ミシェル・フーコーが同性愛者であったこと、またあのソクラテスやプラトンが少年愛に溺れていたこと、などは筆者にも分かっていた。しかし、西洋哲学史に登場する哲学者の圧倒的な部分が同性愛者であることまでは知らなかった。それを分からせてくれたのは、丸谷才一氏である。
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