知の快楽

ジャック・デリダが「精神について」を書いたのは1990年のことだ。「脱構築」の哲学者としての名声を確立していた。かれの脱構築の思想は、ニーチェやハイデガーの強い影響を感じさせるのだが、初期の活動においては、ハイデガーを主題的に論じたことはなかった。この書「精神について」は、副題「ハイデガーと問い」にあるとおり、ハイデガーについて主題的に論じたものだ。デリダはそのハイデガー論を「精神」という概念を中心にすえて展開する。

ジャック・デリダが1972年に刊行した「ポジシオン」は、三篇の対談集を集めたものである。そのうち、表題と同じく「ポジシオン」と題したものは、デリダとマルクス主義者との対談である。対談の相手は、ウードビーヌとスカルベッタ。この二人について小生は名前を含めて何も知らない。この対談を読む限り、いわゆる主流のマルクス主義に属しているようだ。デリダがなぜかれらとの対談に応じたのか。デリダは若いころから実在論を観念論と一緒くたに批判してきた経緯があるので、その実在論の変種と言えるマルクス主義に一定の理解を示している姿はちょっと異様に見える。

デリダの著作「グラマトロジーについて」は、足立和弘の邦訳(現代思潮社刊)では「根源の彼方に」という副題がついている。というより「根源の彼方に」の方を先に表示しているので、こちらの方をメーンに受け取るものがいるのではないか。「グラマトロジーについて」の主要テーマが、根源としての(音声言語の)現前性とその代理としての文字言語との関係を論じることにあれば、「根源の彼方に」という副題は理にかなった命名といえよう。根源とその代理との関係では、対立しあう二つのうち、根源のほうが重視されるので、その根源に議論が収束していくのは自然なことである。普通なら、代理に対する根源の根源性を確認することで、根源をめぐる議論は終わるはずなのだが、それが終わらない。根源が文字通りの意味での根源ではなく、代補をそのなかに含んだ根源だというややこしい事態が明らかになるからだ。つまり、根源を求めての議論が、根源まで到らないわけである。そこで、どこに本当の根源があるのか、それともあると思ったのは幻覚で、実際にはそんなものはないのか。そういう疑問が生じてくる。その疑問が「根源の彼方に」むかって開かれるのである。

ルソーの「社会契約論」は、社会の始まりとその社会における権力の正統性をめぐる議論というふうに、受け取られるのがふつうである。ルソーは、社会は自然発生的に生じたもではなく、人々の間の契約によって生じたと考える。その場合に、社会を運営するためには社会の意思を決定し、それを執行する権力が必要となる。その権力は社会の成員によって支持されていなければならぬ。でなければ、人々は自発的に権力に従うことはせず、権力との間に緊張が高まるであろう。そういう社会は長続きしないだろう。そこで、権力が人々によって受容される根拠として権力の正統性ということが問題になる。ルソーの「社会契約論」は、その権力の正統性について、議論したものという風に理解することができる。

デリダの書物「グラマトロジーについて」の第二部は、ルソーの言語論をテーマにしている。この第二部は、書物全体の三分の二以上を占めているので、それからしてもデリダが、ルソーの言語論を重視していたことは伝わってくる。ルソーには、言語を主題とした著作が複数あり、そうした著作の中では、人間の文明の起源について深い考察を加えているので、とかく「社会契約論」ばかりに注目するあまり、ルソーのもつ壮大な文明論のスケールが無視されていることを考えれば、デリダのルソー論は、ルソーを単なる政治思想家としてではなく、文明論者としても捉えなおすものだといえよう。

西洋形而上学における存在の目的論的階層秩序の問題をデリダは、自民族中心主義あるいは西洋中心主義と結びつけて考える。もっとも単純な話としては、文字を持つ西洋文化は文字を持たない「未開文化」よりも進んでいるといった具合に、文化の相違を発展段階の相違と同一視することがあげられる。この発展段階思想は、目的論的な色彩を強く帯びているので、発展段階の進捗具合がそのまま階層秩序を構成する。西洋は発展のもっとも高度な段階に達したものであり、その場合の発展とは、ある種の目的としての機能を持つがゆえに、発展段階による差異の体系は、存在の目的論的階層秩序を構成する、というふうに考えるわけである。

ロゴス中心主義とは聞きなれない言葉だ。人間の知的活動はロゴスを基礎としており、ロゴスという概念は、人間という概念と同じように明白なものであるから、あえてそれについて云々する必要もなかった。中心もなにもなく、ロゴスとは人間性と同義といってよかった。中心というと、いくつかの事象があって、その中のもっとも肝心なものというイメージになるが、ロゴスは人間性そのものなのであって、そもそも中心とか周縁とかいうものとは無縁なのである。そのロゴス中心主義という言葉をデリダは、西洋形而上学批判の土台の一つとして設定する。ロゴス中心主義とならぶ形而上学批判の土台にはほかに、音声中心主義があげられるが、デリダはその音声中心主義とロゴス中心主義とは深く結びついているという。「ロゴス中心主義とは、表音的文字言語の形而上学である」(足立和弘訳)というのだ。表音的文字言語とは表音文字のことだが、それは音声を文字化したものである限り、音声中心主義と結びついているのである。

デリダは西洋形而上学への批判を徹底させる道具概念として現前性を提示し、それをプラトン以来の強固な歴史を背負った中核的な概念だとする根拠として、現前性をパロールと関連させ、そのパロールを音声と関連付けた。パロールは、エクリチュールとの対立関係においては、根源的なものだとされる。だから、西洋形而上学はパロール中心主義と言えるのだが、それは言い換えれば音声中心主義ということになる。なぜなら、音声こそがパロールの担い手だからである。

デリダの形而上学批判におけるキー概念となるのは「現前性」である。この現前性という概念をデリダは、かれの哲学的営みの出発点となったフッサール研究から思いついた。フッサールの現象学は、意識の与件としての現象に定位したもので、現象こそがあらゆる人間的経験の根源をなすと考えた。その経験の根源としての現象そのものをフッサールは現前性という概念で説明した。現前性というのは、すべての対象が意識にとっての現前性という形で与えられていることを意味する。対象的なものとして捉えられた自己自身もまたその一つである。自己とは、自己の意識に現前する自己のことをさすのである。

デリダは1967年に一挙に三冊の書物を刊行した。「エクリチュールと差異」、「声と現象」、「グラマトロジーについて」である。いずれも言語の問題を主なテーマにしている。「エクリチュールと差異」は、まさしく言語の問題をストレートに思わせる言葉を題名にしているし、そのほかの二冊も言語に関連する言葉を題名に使っている。「声と現象」はコミュニケーション言葉の担い手である声をテーマにしたものだし、「グラマトロジーについて」も言語に関連した言葉が題名に使われている。グラマトロジーとは、デリダによればエクリチュールについての学問という意味であり、そのエクリチュールは、話し言葉との対立における書き言葉をとりあえず意味している。

「声と現象」は、デリダの哲学的出発を画す業績であるから、かれの思想の骨格となる概念がひとそろい提示されている。かれの思想が哲学史にとって持つ意味は、西洋の形而上学の伝統を解体し、新たな思想的な可能性を探ることであったわけだが、その仕事にとって重要な役割を果たす概念が、ここで一応出そろった形で提示されているわけである。そうした重要な概念はいくつかあるが、ここでは「差延」について考察したい。

デリダが「声と現象」を刊行したのは1967年のことで、「エクリチュールと差異」及び「グラマトロジーについて」と同年のことである。この三つの本に共通するテーマは記号の問題である。「エクリチュール」は「書字」としての記号であり、「グラマトロジー」は「所記」としての記号であり、「声」は音声としての記号である。デリダが記号に強い関心を持ったのは、記号を通じて、フッサールの現象学とソシュールの構造主義言語学との間に橋渡しをしたいと考えたからだ。デリダはフッサールの研究から出発したのだったが、それを単に現象学の視点だけから論じていては、サルトルやメルロ=ポンティを超えることはできない。かれらを超えるためには、かれらに対しての批判の武器となっていた構造主義的な概念を使う必要がある。そこでデリダは、フッサールの現象学を、記号論的なタームを用いながら再構築しようとしたのである。

「エクリチュールと差異」の第十論文「人文科学の言語表現における構造と記号とゲーム」は、主として構造の問題について論じている。デリダがいうところの構造とは、それ自身の内部にその成立の根拠を有するようなシステムのことをいう。しかもシステム全体を統べるような中心がない。ましてや、外部からそれを統制するような超越的な原理もない。構造とはだから、かなり偶然に作用される。そこには必然性の契機はほとんどなく、したがって歴史的な概念である発展という意味合いもない。すべての構造は、相互に独立を主張し、しかも優劣の関係にはない。こうした非歴史的で相対的な見方を押し出して、西洋哲学の形而上学的伝統に挑戦したのがレヴィ=ストロースだったとデリダは考えているようである。だから、構造を論じたこの論文は、デリダのレヴィ=ストロース批判という体裁をとっている。

「エクリチュールと差異」の第七論文「フロイトとエクリチュールの舞台」は、デリダ自身のエクリチュール論の文脈において、フロイトを論じたものである。デリダのエクリチュール論は、ソシュールの構造言語学を踏まえている。だが大きな改変を加えてある。ソシュールはエクリチュールをパロールとの対立関係で論じ、パロール(発話)を根源的な言語活動とし、エクリチュール(書記)を従属的なものとした。エクリチュールはパロールの内容を文字の形で定着したものであって、それ自体独立したものではない、というのがソシュールの考えだった。それに対してデリダは、エクリチュールのパロールからの独立性を強調する。エクリチュールは単にパロールをそのまま書記するのではなく、それ自体の構造をもっており、その構造がかえってパロールを制約することもある、と考えたのであった。

「エクリチュールと差異」の第六論文「息を吹きいれられた言葉」は、アントナン・アルトーを論じたもの。アルトーは詩人でありかつ狂人であった。詩人としてのアルトーは、批評家による批評の対象になってきた。また、狂人としてのアルトーは、精神医学者にによって精神病の一範例として扱われてきた。相互にはほとんど何の関わり合いもない。批評家たちはアルトーの作品を問題にし、かれの狂気を取り上げることはない。一方、精神医学者のほうは、かれの狂気の症状に注目し、かれの作品に関心を払うことはない。それでよいのか、アルトーをそんなふうに分解して別々に扱ってもよいのか。アルトーを一人の人間として、トータルな視点から見ることはできないのか。それがこの論文の問題意識である。

「エクリチュールと差異」は、デリダの最初の論文集である。これを出版したのは1967年のことであるが、同年に「声と現象」及び「グラマトロジーについて」も出している。この年はだから、デリダにとっては、哲学者としてのキャリアをフル回転で始めた年ということになる。そのうち、この「エクリチュールと差異」が、もっとも早い時期の論文を集めていることもあって、デリダの思想の萌芽のようなものをうかがわせる。この論文集の中で試論的に取り上げたテーマが、後に豊かな果実を生むというわけである。

ジャック・デリダ(Jacques Derrida 1939-2004)といえば、「脱構築」という言葉が真っ先に浮かんでくる。この言葉の意味は、とりあえずは、デリダ自身が属する西洋的なものの考え方を根本的に解体しようとする意思を示すものだ。「脱構築」は、フランス語では deconstruction といい、解体というような意味を持っているから、デリダの意図をあらわすにはふさわしい言葉だったわけだ。そういう意味で「解体」という言葉を使った哲学者にハイデガーがいる。デリダがハイデガーから強い影響を受けたことは明白な事実なので、かれの「脱構築」がハイデガーの「解体」の延長にあることは間違いない。そのハイデガーは、西洋思想の解体という思想を、ニーチェから受け継いだ。ニーチェが主張していたことは、プラトン的・キリスト教的な賤民の道徳を解体し、それにかわってエリートにふさわしい力の崇拝をめざすものであった。それをニーチェは、「金髪の野獣」に相応しいあらたな力の発現というふうに表現したが、その内実は必ずしも明らかとはいえなかった。

ヴァンサン・デコンブが「知の最前線(原題は Le même et l'autre. - Quarante-cinq ans de philosophie française」を刊行したのは1979年のことだが、フランス現代思想を概括したこの著作は、いまでも色あせていない。これ一冊で、フランス現代思想の流れを理解できるようになっている。まるでこの本が、フランス現代思想の全体像をもれなく伝えているかのようである。ということは、フランスの現代思想の発展が、その時点で事実上とまってしまったということか。この著作は、哲学の終焉よりもっとラディカルな主張である「人間の終焉」を語ることで終わっている。人間が終焉したというのだから、哲学の発展が終わっても何ら不思議ではないわけだ。

「眼と精神」所収の同名の論文は、メルロ=ポンティの存命中に刊行された最後のものである。これを彼が脱稿したのは1960年8月、その翌年5月に死んだわけだから、いわば遺書のようなものである。これを書いた時期の前後に、かれは、死後「見えるものと見えないもの」と題して刊行された大著を執筆中であった。この大著は結局未完成に終わったが、残された遺稿からは、自然と人間のかかわりあいをテーマにしたものであること、タイトルにあるとおり、見えるものと見えないものとの相互関係を掘り下げて論じたものだということが分かっている。「眼と精神」と題するこの論文も、見えるものと見えないものとの深い関連について論じているから、かれの最晩年の問題意識が集中的に考えられたものだということができよう。

「シーニュ」所収の「生成するベルグソン像」は、1959年の「フランス哲学会」におけるベルグソン追悼会での講演記録である。この講演の中でメルロ=ポンティは、ベルグソンの画期的な業績をほめたたえているのだが、かれはもともとベルグソンをそんなに高く評価していたわけではない。むしろ批判的であった。

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