知の快楽

「性の歴史」第四章「性的欲望(セクシュアリテ)の装置」においてフーコーは、セクシュアリテと権力とが互いに深く絡み合っているさまを描き出した。フーコーの認識によれば「セクシュアリテ」というのは、ヨーロッパの歴史においては、ブルジョワジーの登場と共に歴史の正面に出てきたものであり、そういう意味ではブルジョワジーに固有の、階級的な色彩を帯びたものなのである。「ブルジョワジーの性的欲望というものがある、階級的な性的欲望があるのだと言わなければならない。というよりかむしろ、性的欲望(セクシュアリテ)というものは起源からして本来的に、歴史的にブルジョワジーのものであり、その連続的な移動とその転移において、特殊な階級的作用をもたらすものなのだ、と」(「性の歴史」第四章、渡辺守章訳、以下同じ)

性の言説化:フーコー「知への意思」

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「知への意思」の第一章にフーコーは、「我らヴィクトリア朝の人間」という奇妙な題名をつけた。ヴィクトリア朝とは、イギリスでヴィクトリア女王が統治していた時代で、十九世紀のほぼ三分の二を占める長い期間をカバーしている。この時代を一言で特徴付けると、それは礼節の時代だったと言うことが出来る。人々は礼節を重んじる余り、下品な言動に極度に神経質になった。とりわけ性的な事柄を人前でほのめかしたりすることは、もっとも下品なことだとされた。この時代は、「女王様のあの淑女ぶった顔」(「性の歴史」渡辺守章訳、以下同じ)に象徴されるように、性的な事柄(セクシュアリテ)が極度に抑圧されていた時代だというふうに考えられているのであり、フーコーら二十世紀半ばのヨーロッパ人も、いまだにその抑圧の虜になっていると思われていた。

知への意思:フーコーの「性の歴史」

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「知への意思」は、今日では三巻からなる「性の歴史」の第一巻という位置づけになっているが、もともとのフーコーの構想では、五巻からなる「性の歴史」の序論として構想された。その本体とも言える五巻の構成は、「(一)肉体と身体」、「(二)少年十字軍」、「(三)女と母とヒステリー患者」、「(四)倒錯者たち」、「(五)人口と種族」となるはずであった(渡辺守章による「知への意思」訳者あとがき)。これら五巻それぞれがテーマとしたことがらは、フーコー言うところの「セクシュアリテ」が発現したものである。このセクシュアリテは、「知への意思」のなかでは、「女の身体のヒステリー化」、「子供の性の教育化」、「生殖行為の社会的管理化」、「倒錯的快楽の精神医学への組み込み」という形で整理されているが、この整理の仕方は、原構想における五巻の構成にほぼ対応している。つまり、「知への意思」における「女の身体のヒステリー化」が「(三)女と母とヒステリー患者」に、「子供の性の教育化」が「(二)少年十字軍」に、「生殖行為の社会的管理化」が「(五)人口と種族」に、「倒錯的快楽の精神医学への組み込み」が「(四)倒錯者たち」にそれぞれ対応し、これに性の自然的・生物学的な規定性としての「性=セックス」を、「(一)肉体と身体」という形でつけ加えることで、セクシュアリテを多面的に分析しようというのが、フーコーの当初の構想だったと考えられる(「性の歴史」のフランス語の原題は「セクシュアリテの歴史」である)。

パノプチコン:フーコー「監獄の誕生」

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パノプチコンをテーマに取り上げた「一望監視方式」の章は、「監獄の誕生」の中でもっとも有名になった箇所である。「監獄の誕生」といえば、パノプチコンの誕生とパラレルに論じられるほどだ。パノプチコン(一望監視装置)というのは、効率的な監視の装置としてベンサムが推奨したものだったが、それは監獄のみならず、社会全体にも適用可能である。というか、ヨーロッパ近代社会と言うのは、パノプチコンがもっとも効果を発揮する社会なのである。ヨーロッパ近代社会は、規律と訓練によって運営されている社会なのであって、そのような社会だからこそ、効率的な監視装置たるパノプチコンはもっとも効果を発揮するからである。このように、フーコーの議論は、効率的な監獄のありかたとしてのパノプチコンから、社会全体を監視する装置としてのパノプチコンの議論へと発展する。彼のパノプチコン論はだから、監視社会論の一バリエーションだと言える。

フーコーは「監獄の誕生」を、フランス国王暗殺未遂犯ダミアンに対する1757年3月2日の判決を引用することから始める。それは以下のような内容だった。

フーコー「監獄の誕生」

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フーコーは「監獄の誕生」を書くに当たって、二つの目論見を果たそうとした。一つは、先行する諸作品の中で「歴史的アプリオリ」と呼んでいたもの(それは「言葉と物」の中ではエピステーメーと呼ばれ、「知の考古学」の中では知と呼ばれていた)を一層概念的に掘り下げ、その系譜学的な由来を徹底的に解明することであり、もう一つは、19世紀以降の西欧近代社会を、ブルジョワジーの支配する社会と規定することによって、それを階級闘争の舞台として描きなおすことであった。

フーコー「知の考古学」

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「知の考古学」は、フーコーにとってそれなりのメルクマールとしての意義を持つはずであったと思うが、実際にはどうも座りの悪いものに終わった、というのが大方の読者の持つ印象だろう。この本は、題名から察せられるとおり、フーコーの哲学的活動の前半期を貫く系譜学的・考古学的視座の延長にあるものととることができるが、またその意味で、彼の方法論を掘り下げたものという意義を持つものととれるが、彼はここで掘り下げた方法論と、それまでの系譜学的・考古学的方法論との間に、意味のある架橋をしたようには見えないし、また、ここで展開した方法論を、その後の自分の思想を展開する際の機軸に据えることもなかった。後期のフーコーの哲学は、考古学的分析から、権力論へと大きく傾いていくのである。こんなわけでこの書物は、フーコーの業績の中では中途半端な色彩を帯びており、メルキオールの言葉を借りれば、「奇妙な作品」なのである。

日本人とエピステーメー

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フーコーの「言葉と物」を読んで、いささかでも首肯したところのある日本人読者なら、フーコーの言うような「エピステーメー」が、日本にも存在し、かつ今でも存在しているのか、反省してみたくなるだろう。そこでまずとりかかるべきは、今現在の日本人にはそもそも、世界認識とか知の構成を規定しているエピステーメーは存在するのかということであろう。

人間の終焉

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フーコーは、「言葉と物」の末尾を人間の消滅に関する予言の言葉で結んでいる。「人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明に過ぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ・・・賭けてもいい、人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろうと」(「言葉と物」第10章末尾、渡辺・佐々木訳)

フーコーは「言葉と物」に「人間諸科学の考古学」という副題をつけた。人間諸科学と言うのは、西欧近代のエピステーメーが生み出した諸学問のことであり、言語学、生物学、経済学を中核として、その隙間に心理学とか社会学、文化人類学とかいった学問が成立している。

古典主義時代のエピステーメーが、同一性と差異を知の構成原理として、表象の分析から巨大な表の空間を作り上げたことについては前述したとおりだ。では、この表の空間を埋めたものは、具体的には何なのか。フーコーはそれを、一般文法・博物学・富の分析だとする。つまりこれらが古典主義時代における知の形態を代表したと見るわけである。なぜこれらが古典主義時代における知の形態を代表するのか、フーコーは明示的には語っていない。ただそれらが人間の知的活動の基本的なもの、すなわち語ること、分類すること、交換することに対応すると言っているのみだ。これらはそれぞれ現代の学問としての言語学、生物学、経済学に対応する領域をカバーするものだが、フーコーは古典主義時代のエピステーメーと近代のエピステーメーとの間に連続性を認めていないので、言語学以下近代の諸学問と一般文法以下古典主義時代の諸学問とは、断絶した問題意識のうえに立っているとしている。ともあれ、「言葉と物」の第四章以下の三章は、古典主義時代の諸学問についての記述となっている。その題名にはそれぞれ、上述した三つの学問分野がカバーしている人間の知的活動、すなわち、語ること、分類すること、交換すること、をそのまま採用している。

「言葉と物」第三章「表象すること」は、古典主義時代のエピステーメーを論じた諸章の導入部分であるが、フーコーはこれをセルバンテスの古典「ドン・キホーテ」の読解から始めている。「ドン・キホーテ」は、スペインにおけるルネサンス文学の傑作というのが文学史上の常識になっているわけだが、フーコーはこれを、ルネサンスから古典主義時代への移行期における過渡的な作品だと位置づけている。その点は、分野は違うが、ベラスケスの絵画「侍女たち」と同じような位置づけであるわけだ。だが、「侍女たち」が、古典主義時代の先取りであったとされていたのに対して、「ドン・キホーテ」はルネサンスの残照として捉えられている。騎士ドン・キホーテは、古典主義時代の先駆者と言うよりは、遅れてきたルネサンス人という位置づけなわけである。これは、「ドン・キホーテ」と「侍女たち」の間に半世紀の時差があることを思えば、自然なことかもしれない。「ドン・キホーテ」が17世紀の冒頭に現れたのに対して、「侍女たち」のほうは17世紀なかばの人々なのである。

フーコーは、西欧文明圏におけるエピステーメーの変転の歴史を、中世・ルネサンス、古典主義時代、近代という三つの時代に対応させて論じた。中世・ルネサンスより前にはギリシャ・ローマの世界があり、そこにはそれなりのエピステーメーがあったはずだが、フーコーはとりあえずそれについては問題にしない。フーコーの当面の問題関心は、古典主義時代から近代にかけての時代なので、それに近接する時代を取り上げれば足りると考えたのだろう。また、西欧文明圏以外の世界におけるエピステーメーについても考慮しない。フーコーにとっては、エピステーメーは同じ文明圏内でも時代が異なれば共通のものはなく、それぞれが断絶している一方、同じ時代でも文明圏が異なれば共通するところはないのである。

侍女たち:フーコーのベラスケス解釈

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フーコーの著作「言葉と物」は全十章から構成されているが、その冒頭の章は「侍女たち」と題して、スペインの画家ベラスケスの有名な絵を解読するのに費やされている。

エピステーメーとパラダイム

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フーコーが「言葉と物」の中で「エピステーメー」の概念を提出したとき、これを「パラダイム」と比較する動きが結構あった。トーマス・クーンが「科学革命」の中でパラダイムの概念を提示したのは1962年のことだったし、フーコーの「言葉と物」はその4年後の1966年に出版されたこともあり、二つの概念の提出時期が重なっていたのと、その内容にかなり似ているところがあったので、無理もない動きだったと言える。

フーコー「言葉と物」

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フーコーにとって「言葉と物」は一つの転機を画した仕事といえよう。フーコー自身そのことを自覚していたらしいことは、それ以前の作品と比較して、力のこもった修辞的文体で書かれていることから伺える。この著作の文体は、同時代人たちの饒舌な文体と比べても、過剰と言ってよいほど饒舌なのである。

フーコー「臨床医学の誕生」

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フーコーは「狂気の歴史」において、狂気が社会への統合から排除を経て治療の対象となってゆく変化の過程を描いたわけだが、その狂気の歴史における近代的な治療の確立すなわち精神医学の誕生に、身体の病気の歴史においてほぼ対応するものとして臨床医学の誕生を取り上げた。「臨床医学の誕生」という書物は、まさしくその課題に応えるために書かれたわけである。

フーコー「精神疾患と心理学」

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フーコーは臨床心理学者としてキャリアをスタートした。専門領域は精神疾患であった。人はいかにして精神の病に陥るか、どうしからそこから解放されて正常な状態に戻れるか、それが心理学者としてのフーコーの問題領域を形成していた。フーコーが精神疾患にかかわるようになったについては、彼自身の個人的な事情も作用していた。彼は少年時代から自分の同性愛的な傾向に悩んでおり、自分は正常な人間ではないのではないのかと苦しみ続けてきた。心理学の研究は、そんな彼にとって、自分自身の悩みに対して解決の糸口を示してくれるのではないか、そんなふうに思われたのかもしれない。

ピネルが1793年にビセートルの独房の中にいた狂人を拘束から開放したことによって、大いなる閉じ込めの時代は幕を閉じる、とフーコーは言う。このときに開放されたのは狂人だけではない。狂人とともに一括して非理性の範疇に分類されていたすべての反社会分子が、犯罪者や反革命分子を除いて、開放されたのであった。治安維持のための行政的措置の装置としては、一般施療院=監禁施設は歴史的役割を終えたわけである。

中世からルネサンスにかけての時代、狂気と正気とは截然と区別されていたわけではなかった。両者の間に対立がないわけではなかったが、それは互いに排除しあう絶対的な対立ではなく、相互に交じり合うような相対的な対立だった。正気の人々は、狂人たちを自分たちとは無縁のものとして排除するのではなく、あちらの世界からやって来た、そういう意味ではこちらの世界にやってくるべく神に選ばれた存在だった。それが、両者の間に絶対的な対立がもたらされ、狂気が排除されるべきものとされるようになるについては、デカルトに代表されるような理性についての見方の大転換があった、とフーコーは考えるのだ。

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