知の快楽

本居宣長「石上私淑言」

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本居宣長の著作「石上私淑言(いそのかみのささめごと)」は、「紫文要領」と並んで、「もののあはれ」論を展開した著作である。「紫文要領」がその題名にあるとおり「源氏物語」を材料にとって「もののあはれ」を論じているのに対して、「石上私淑言」のほうは、和歌を通して日本人特有の「もののあはれ」を重んじる姿勢を論じている。国文学者の日野龍夫によれば、この二つの著作はいずれも宝暦十三年(1763)に書かれており、しかも宣長が「もののあはれ」という言葉を用いて己の思想を語ったのはこの二つの著作に限られるという。後年「源氏物語玉の小櫛」が出版され、そのなかでも「もののあはれ」という言葉が出てくるが、この著作は「紫文要領」に手を加えたものなので、実質的な内容は「紫文要領」と変わらない。

フーコーの不変の部分と変遷した部分

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フーコー論の筆をひとまず擱くに当たって、フーコーの思想を俯瞰しなおしておこう。するとそこには、終始変らなかった部分と、時間の移り行きとともに変わっていった部分とが見えてくる。大事なことは、フーコーの思想の変らなかった部分、それは彼の思想の核心といえるものだが、それを明らかにすることだ。その上で変っていった部分を跡付けていくと、彼の思想の全体像が見えてくるのではないか。

性倫理の系譜学:フーコーの性の歴史

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フーコーは「快楽の活用」の序文のなかで、計画を変更した後の「性の歴史」の構想について触れ、その第四巻には「肉体の告白」と題してキリスト教の性道徳の成立についての研究をあてることを予告していた。この計画はフーコーの死によって実現しなかったが、もし実現していたとしたら、それがどのようなものになったか、およその見当はつく。性について大らかな態度をとっていた古代古典ギリシャに始まり、結婚以外の場における性行為が次第に価値剥奪されてゆく帝政ローマ時代を経て、性そのものがついに禁止と抑圧の対象として形をとるようになった形跡をあきらかにすること、これがフーコーの目論見だったと思われるから、第四巻の内容は、もっぱら性が禁止と抑圧の対象となるその過程を抉り出すことに当てられただろうと思えるのである。

紀元一・二世紀のギリシャ・ローマ世界において、性倫理の領域で夫婦の結婚生活に価値付与がなされる一方で、あのソクラテスの愛に代表される伝統的な若者愛がますます軽視されてゆくようになる。だからといって、「若者愛の実践が消滅してしまったとか、価値剥奪の対象になってしまったとか、という意味ではない」(「自己への配慮」第六章、田村俶訳)とフーコーは言う。若者愛は積極的な価値剥奪の対象になったというよりも、その問題が陳腐化したのであり、それに寄せる人々の関心が後退したのである。このことをフーコーは若者愛の「脱問題化」と表現している。「男同士の愛の関係は、理論面と道徳面の激しい論議の焦点となるのを止めるのである」(同上)

「性」の歴史において、紀元一・二世紀のギリシャ・ローマ世界の最大の特徴は、夫婦の結婚生活に多大な価値が付与されるようになったことだ。古代古典ギリシャにおいて結婚は、子孫を得ること及び家庭管理の対象として位置づけられていたのだったが、いまや市民として生きていくうえでの最大限に重要な要素に高まるのだ。それに伴って、結婚をめぐる言説も様変わりする。人々はそこに、夫婦生活のユニークな様式論の展開をみるだろう。それは主に三つの領域をめぐって展開される。すなわち、夫婦の絆にかんする術、性的独占の教説、快楽の共有にかんする美学である。フーコーはこう言って、ストア派やエピクロス派などのさまざまなテクストを手がかりに、この時代に生じた結婚生活への価値付与の内実について分析するのである。

フーコーが「自己への配慮」のなかで取り上げる紀元一世紀および二世紀のギリシャ・ローマ世界あるいはローマ帝政期の時代は、古典古代ギリシャの時代とキリスト教の支配的となった時代とを結ぶ過渡的な時代である。あらゆる過渡的な時代がそうであるように、この時代も、前後の時代との連続性と断続性を指摘することができる。「性」の問題に関していえば、古典古代ギリシャに特徴的だった性についての人々の態度の余韻が見られると共に、今までには見られなかった特徴も現れてくる。その新たな特徴は、キリスト教道徳を先取りしたようにも見えるのであるが、必ずしもキリスト教道徳と一致するわけでもない。そこにも連続性とならんで断続性が見られるのである。

「性の歴史」第二巻「快楽の活用」において、紀元前四世紀の古典古代のギリシャにおける「性」について考察したフーコーは、続く第三巻「自己への配慮」においては、紀元後一・二世紀(帝政ローマ時代)のギリシャ・ローマ文明における「性」を考察の対象とする。それに先立ってフーコーは、紀元二世紀後半に活躍したギリシャ人アルテミドロスの著作「夢を解く鍵」を、この考察の手がかりとして、分析して見せる。夢の中では性的なイメージが奔放にあらわれるということをのぞいても、夢は「性」をめぐる問題群を解くうえで大きな手がかりになると考えたからであろう。

フーコーと本居宣長

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ミシェル・フーコーと本居宣長を比較して論じるのは乱暴な企てかもしれない。一方は現代のヨーロッパ思想を代表する哲学者だし、もう一方は徳川時代の日本に生きたかなり意固地なところのある国学者である。お互いの存在を知る由もなかった。宣長にとってフーコーはまだ生まれていない西洋の人間であり、フーコーにとって宣長は、歴史的には先行者だが、存在しなかったも同然の人間だ。だがこの二人には、非常にわずかだが、共通点がないわけではない。その共通点を手がかりに、細い糸を手繰りながら、比較することができないわけではない。

「ギリシャ人は、自分と同じ性のものへの愛と別の性のものへの愛とを、二つの排他的な選択、根本的に異なる二つの行動類型というふうには対立させていなかった」(「快楽の活用」第四章、田村俶訳)。フーコーはこのように言って、ギリシャ人の間では同性愛、それも特に成人した男と若者との間の同性愛、つまり若者愛が普及していたとする。ギリシャ人の若者愛は、プラトンのテクストなどを通じて、我々にもなじみの深いものであり、恋愛の一つの類型として十分にありうることと考えられてきたが、フーコーはこの問題を、単に一つの趣味をめぐる議論、すなわちどうでもよいようなこととしてではなく、ギリシャ人の<性>にとって根本的な要素をなすものだと考えるのである。

古代ギリシャ人にとって、<性>の管理としての快楽の活用は、自己の身体との関係においては養生術という形をとり、女性との関係においては家庭管理術という形をとる、とフーコーは考える。ここで自己とか、女性という言葉が使われるのは、ギリシャ人において、<性>とは基本的に男性の問題だとする前提があるからである。

ギリシャ人における性の経験

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フーコーは「性の歴史」の中で、ギリシャ人の性についての経験を四つの「主軸」にもとづいて考察している。その四つとは、「身体との関係、妻との関係、若者との関係、そして真理との関係」(「快楽の活用」田村俶訳、以下同じ)である。身体との関係とは、性を自己管理のひとつの形式として捉えるものであり、そこでは性は快楽をもたらすものであるとともに、それ以上に自己鍛錬の問題として現れる。妻との関係は家庭管理の、若者との関係は同性愛の、それぞれ問題であるが、これらの領域では権力の要素が強く働いているとされる。最後の真理との関係とは、性を単なる快楽の問題としてではなく、真理の問題として捉えるものであり、これこそが性をめぐるギリシャ人のもっともユニークな態度なのだとフーコーは考えているようなのである。

フーコー「快楽の活用」

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フーコーが「知への意思」の中で始めて「性の歴史」の全体構想について語った際には、それは時代としては古典主義時代以降をカバーし、領域としてはセクシュアリティの発現されている領域、すなわち「肉体と身体」、「少年十字軍(子どもの性の社会的管理)」、「女と母とヒステリー患者」、「性倒錯者たち」、「人口と種族」を対象としたものになるはずだった。ところが、「知への意思」から八年を経て発表された「性の歴史」第二編「快楽の活用」は、この当初の全体構想から大きくはずれたものになっていた。それは時代的には一気に古代ギリシャ(紀元前四世紀頃)に遡り、対象となる領域もギリシャ人の性へのかかわりに限定されていた。ギリシャ人が性を自己管理の一環として考えていたこと、結婚生活における性と婚外性交における性を厳しく峻別していたこと、女性への愛だけではなく若者への愛が重要な位置を占めていたことなどを、これまでとは異なった視点から分析しているのである。

ブルジョワジーの権力が「性=生」を中心点にして成り立っていることを指摘したフーコーは、それを「生に対する権力」あるいは「生―権力」と名づけたうえ、それを強調する意味合いで、古典的な権力である君主の権力すなわち臣民に対する「生殺与奪の権」と対比させる。「知への意思」の最終章である「死に対する権利と生に対する権力」は、この両者の対比を通じて、近代ヨーロッパ社会におけるブルジョワジーの権力の歴史的な特殊性について論じたものだ。

「性の歴史」第四章「性的欲望(セクシュアリテ)の装置」においてフーコーは、セクシュアリテと権力とが互いに深く絡み合っているさまを描き出した。フーコーの認識によれば「セクシュアリテ」というのは、ヨーロッパの歴史においては、ブルジョワジーの登場と共に歴史の正面に出てきたものであり、そういう意味ではブルジョワジーに固有の、階級的な色彩を帯びたものなのである。「ブルジョワジーの性的欲望というものがある、階級的な性的欲望があるのだと言わなければならない。というよりかむしろ、性的欲望(セクシュアリテ)というものは起源からして本来的に、歴史的にブルジョワジーのものであり、その連続的な移動とその転移において、特殊な階級的作用をもたらすものなのだ、と」(「性の歴史」第四章、渡辺守章訳、以下同じ)

性の言説化:フーコー「知への意思」

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「知への意思」の第一章にフーコーは、「我らヴィクトリア朝の人間」という奇妙な題名をつけた。ヴィクトリア朝とは、イギリスでヴィクトリア女王が統治していた時代で、十九世紀のほぼ三分の二を占める長い期間をカバーしている。この時代を一言で特徴付けると、それは礼節の時代だったと言うことが出来る。人々は礼節を重んじる余り、下品な言動に極度に神経質になった。とりわけ性的な事柄を人前でほのめかしたりすることは、もっとも下品なことだとされた。この時代は、「女王様のあの淑女ぶった顔」(「性の歴史」渡辺守章訳、以下同じ)に象徴されるように、性的な事柄(セクシュアリテ)が極度に抑圧されていた時代だというふうに考えられているのであり、フーコーら二十世紀半ばのヨーロッパ人も、いまだにその抑圧の虜になっていると思われていた。

知への意思:フーコーの「性の歴史」

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「知への意思」は、今日では三巻からなる「性の歴史」の第一巻という位置づけになっているが、もともとのフーコーの構想では、五巻からなる「性の歴史」の序論として構想された。その本体とも言える五巻の構成は、「(一)肉体と身体」、「(二)少年十字軍」、「(三)女と母とヒステリー患者」、「(四)倒錯者たち」、「(五)人口と種族」となるはずであった(渡辺守章による「知への意思」訳者あとがき)。これら五巻それぞれがテーマとしたことがらは、フーコー言うところの「セクシュアリテ」が発現したものである。このセクシュアリテは、「知への意思」のなかでは、「女の身体のヒステリー化」、「子供の性の教育化」、「生殖行為の社会的管理化」、「倒錯的快楽の精神医学への組み込み」という形で整理されているが、この整理の仕方は、原構想における五巻の構成にほぼ対応している。つまり、「知への意思」における「女の身体のヒステリー化」が「(三)女と母とヒステリー患者」に、「子供の性の教育化」が「(二)少年十字軍」に、「生殖行為の社会的管理化」が「(五)人口と種族」に、「倒錯的快楽の精神医学への組み込み」が「(四)倒錯者たち」にそれぞれ対応し、これに性の自然的・生物学的な規定性としての「性=セックス」を、「(一)肉体と身体」という形でつけ加えることで、セクシュアリテを多面的に分析しようというのが、フーコーの当初の構想だったと考えられる(「性の歴史」のフランス語の原題は「セクシュアリテの歴史」である)。

パノプチコン:フーコー「監獄の誕生」

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パノプチコンをテーマに取り上げた「一望監視方式」の章は、「監獄の誕生」の中でもっとも有名になった箇所である。「監獄の誕生」といえば、パノプチコンの誕生とパラレルに論じられるほどだ。パノプチコン(一望監視装置)というのは、効率的な監視の装置としてベンサムが推奨したものだったが、それは監獄のみならず、社会全体にも適用可能である。というか、ヨーロッパ近代社会と言うのは、パノプチコンがもっとも効果を発揮する社会なのである。ヨーロッパ近代社会は、規律と訓練によって運営されている社会なのであって、そのような社会だからこそ、効率的な監視装置たるパノプチコンはもっとも効果を発揮するからである。このように、フーコーの議論は、効率的な監獄のありかたとしてのパノプチコンから、社会全体を監視する装置としてのパノプチコンの議論へと発展する。彼のパノプチコン論はだから、監視社会論の一バリエーションだと言える。

フーコーは「監獄の誕生」を、フランス国王暗殺未遂犯ダミアンに対する1757年3月2日の判決を引用することから始める。それは以下のような内容だった。

フーコー「監獄の誕生」

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フーコーは「監獄の誕生」を書くに当たって、二つの目論見を果たそうとした。一つは、先行する諸作品の中で「歴史的アプリオリ」と呼んでいたもの(それは「言葉と物」の中ではエピステーメーと呼ばれ、「知の考古学」の中では知と呼ばれていた)を一層概念的に掘り下げ、その系譜学的な由来を徹底的に解明することであり、もう一つは、19世紀以降の西欧近代社会を、ブルジョワジーの支配する社会と規定することによって、それを階級闘争の舞台として描きなおすことであった。

フーコー「知の考古学」

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「知の考古学」は、フーコーにとってそれなりのメルクマールとしての意義を持つはずであったと思うが、実際にはどうも座りの悪いものに終わった、というのが大方の読者の持つ印象だろう。この本は、題名から察せられるとおり、フーコーの哲学的活動の前半期を貫く系譜学的・考古学的視座の延長にあるものととることができるが、またその意味で、彼の方法論を掘り下げたものという意義を持つものととれるが、彼はここで掘り下げた方法論と、それまでの系譜学的・考古学的方法論との間に、意味のある架橋をしたようには見えないし、また、ここで展開した方法論を、その後の自分の思想を展開する際の機軸に据えることもなかった。後期のフーコーの哲学は、考古学的分析から、権力論へと大きく傾いていくのである。こんなわけでこの書物は、フーコーの業績の中では中途半端な色彩を帯びており、メルキオールの言葉を借りれば、「奇妙な作品」なのである。

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