知の快楽

フーコー「言葉と物」

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フーコーにとって「言葉と物」は一つの転機を画した仕事といえよう。フーコー自身そのことを自覚していたらしいことは、それ以前の作品と比較して、力のこもった修辞的文体で書かれていることから伺える。この著作の文体は、同時代人たちの饒舌な文体と比べても、過剰と言ってよいほど饒舌なのである。

フーコー「臨床医学の誕生」

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フーコーは「狂気の歴史」において、狂気が社会への統合から排除を経て治療の対象となってゆく変化の過程を描いたわけだが、その狂気の歴史における近代的な治療の確立すなわち精神医学の誕生に、身体の病気の歴史においてほぼ対応するものとして臨床医学の誕生を取り上げた。「臨床医学の誕生」という書物は、まさしくその課題に応えるために書かれたわけである。

フーコー「精神疾患と心理学」

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フーコーは臨床心理学者としてキャリアをスタートした。専門領域は精神疾患であった。人はいかにして精神の病に陥るか、どうしからそこから解放されて正常な状態に戻れるか、それが心理学者としてのフーコーの問題領域を形成していた。フーコーが精神疾患にかかわるようになったについては、彼自身の個人的な事情も作用していた。彼は少年時代から自分の同性愛的な傾向に悩んでおり、自分は正常な人間ではないのではないのかと苦しみ続けてきた。心理学の研究は、そんな彼にとって、自分自身の悩みに対して解決の糸口を示してくれるのではないか、そんなふうに思われたのかもしれない。

ピネルが1793年にビセートルの独房の中にいた狂人を拘束から開放したことによって、大いなる閉じ込めの時代は幕を閉じる、とフーコーは言う。このときに開放されたのは狂人だけではない。狂人とともに一括して非理性の範疇に分類されていたすべての反社会分子が、犯罪者や反革命分子を除いて、開放されたのであった。治安維持のための行政的措置の装置としては、一般施療院=監禁施設は歴史的役割を終えたわけである。

中世からルネサンスにかけての時代、狂気と正気とは截然と区別されていたわけではなかった。両者の間に対立がないわけではなかったが、それは互いに排除しあう絶対的な対立ではなく、相互に交じり合うような相対的な対立だった。正気の人々は、狂人たちを自分たちとは無縁のものとして排除するのではなく、あちらの世界からやって来た、そういう意味ではこちらの世界にやってくるべく神に選ばれた存在だった。それが、両者の間に絶対的な対立がもたらされ、狂気が排除されるべきものとされるようになるについては、デカルトに代表されるような理性についての見方の大転換があった、とフーコーは考えるのだ。

フーコーの言う「古典主義時代」とは、彼自身の時代区分によれば、17世紀の半ばから18世紀末までのほぼ150年間をカバーする。時代の開始を告げるメルクマールとしてフーコーは、1656年に、パリにおける「一般施療院」の設立が布告されたことをあげる。この布告によって、狂人を含む反社会的と断罪された人々の大いなる閉じ込め=監禁の時代が始まる。イギリスでは、反社会的分子の閉じ込めは、もう少し早く始まったが、それが本格化するのは、やはり17世紀の半ばだとフーコーは考えている。

阿呆船:フーコー「狂気の歴史」

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フーコーは「狂気の歴史」の叙述を「阿呆船」への言及から始める。「阿呆船」というのは、北方ルネサンスを彩ったイメージの一つで、阿呆どもを大勢乗せた船が、ヨーロッパの川に浮かんで、都市から都市をさすらうということが主なテーマになっている。これをフーコーは、狂気についてのルネサンス人の感受性が反映されているものと考え、視覚的にはボスやブリューゲルの絵、文芸としてはブラントの阿呆船についての考察やエラスムスの痴愚神礼賛の精神がそれを代表していると見ている。

フーコー「狂気の歴史」を読む

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20世紀のフランスの哲学者たちは、過度に修辞的であるという共通の特徴を有している。彼らは分析の代わりに隠喩を用いて説明しようとする傾向が非常に強いし、また、簡潔に表現できるところを、遠まわしに勿体つけて表現したがる傾向がある。そのため、哲学の書を読んでいるのか、あるいは文芸的な著作を読んでいるのか、判別がつかないほどである。これは同時代の英語圏の哲学者たちが、分析的で簡潔な表現を好むことと著しい対照をなすばかりか、デカルト以来のフランスの知的伝統からも離れている。デカルト以来ベルグソンに至るまで、フランスの哲学者たちは、なによりも明晰かつ判明であることを無上のモットーとしてきた。ところが20世紀のフランスの哲学者たちは、必要以上に饒舌になるあまり、明晰かつ判明であることに、あまり気を使わなくなってしまったようなのである。

即非の論理:鈴木大拙の思想

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鈴木大拙と西田幾多郎は、それこそ青春時代からの付き合いがあり、また禅という共通のテーマを巡ってやり取りをしていたから、単に友人としてではなく、思想上の同志としても互いに深く影響しあった。どちらが、どんな面で影響を与え、又受けたか、それ自体哲学史上の興味あるエピソードだが、ここでは鈴木大拙が西田に与えた影響のうちで最も重要なものと思われる「即非の論理」について取り上げてみたい。

鈴木大拙の日本的霊性論

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鈴木大拙は、霊性という言葉を宗教意識というような意味で使っている。というのも大拙は、霊性という言葉を感性や知性と並列する形で使っているからだ。感性が感覚についての、知性が知的認識についての意識であるように、霊性は霊即ち宗教的な対象についての意識であると考えているわけだ。

鈴木大拙は、日本人の自然愛には西洋人のそれとは異なった独特の特徴があり、それについては禅が多大の影響を与えたと考えている。すなわち彼は、日本人の自然愛には二つの大きな特徴を指摘できるが、それらはいずれも禅と深くかかわっているというのである。

禅と俳句:鈴木大拙「禅と日本文化」

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鈴木大拙は、俳句を禅と結びつけた最初で最後の人ではないか。大拙以前の俳句論と言えば、多かれ少なかれ子規の影響を受けていたものだが、それは自然の写生に重きをおく議論であった。写生と禅とでは、共通するものはほとんどない。だから、俳句と禅とが結びつくこともなかった。また、大拙以降の俳句論も、禅を持ち出すことはほとんどない。禅をもって俳句を論じるには、俳句はあまりにも多彩だからであろう。俳句は禅のように悟りに近い境地をもたらすこともあるのかも知れないが、俳句の妙はそれに尽きない。俳句がそこから生まれてきた言葉遊びにも妙味はある。

禅と武士:鈴木大拙「禅と日本文化」

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日本には様々な仏教が栄えたが、仏教の各流派とその担い手には大雑把な対応関係を指摘できると鈴木大拙はいう。大拙は、「天台は宮家、真言は公家、禅は武家、浄土は平民」との言い表しを引用しながら、禅と武士階級との緊密な結びつきを指摘する。この言い表しの出典は明らかでないが、こう言われてみると、なるほどと思われないでもない。しかも、禅と武家とが結びつくわけは、禅が死を恐れぬことを教えるからだといい、「まじめな武士が死を克服せんとする考をもって、禅に近づくのは当然である」(大拙「禅と日本文化」)と言われてみると、余計になるほどと思われる。

禅と日本文化:鈴木大拙の啓蒙的著作

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西田幾多郎を読み直した機縁で鈴木大拙をも読み直す気になった。と言うのも筆者は、比較的若い頃に大拙の著作を何冊か読んだことがある。その節は、西田幾多郎を意識しないで読んだのだったが、書かれてあったことは殆ど覚えていない。筆者の問題意識に訴えることが薄かったからだと思う。その時の問題意識とは、恐らく禅とはなにかについて理解の手がかりを得たいということだったと思うのだが、そもそもそういう問題意識に応えるような書物など、ありえないということが、改めて鈴木大拙の啓蒙的著作「禅と日本文化」を読んでわかったような次第だ。

小林秀雄の西田幾多郎への言いがかり

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小林秀雄に西田幾多郎を批判した文章があることを、中村雄二郎から知らされて、早速それを読んでみた。「学者と官僚」と題した短い文章である(新潮社版全集第七巻所収)。中村は、小林の西田批判を積極的に評価して、「小林らしい鋭い批判」などと持ち上げているが、筆者がそれを読んだ限りでは、とてもそうは思えなかった。批判というものは、相手の論旨を自分なりに整理して、それをある特定の基準に照らして論じて行くものだが、小林のこの文章は、西田の主張の論旨については何も触れておらず、また、それを批判する際の基準もあいまいだ。これでは、批判などというものではなく、単なる言いがかりではないか、そんな風に感じた次第だ。

廣松渉の西田幾多郎批判

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廣松渉は、哲学者としての西田幾多郎については、全くといってよいほど言及していない。認識と存在とを貫く四肢的契機を重視する廣松にとって、主客未分の純粋経験から出発する西田の議論は、あまりにも粗雑に映ったからだろう。廣松が西田に言及するのは、国家論の文脈においてである。廣松は、「『近代の超克』論」の中で、いわゆる京都学派の国家観を手厳しく批判したのであったが、彼らの国家観を西田もまた共有していたのではないか、という問題意識から西田を取り上げるわけなのである。

西田幾多郎の最後の論文「場所的論理と宗教的世界観」は、その題名から連想されるように、宗教を場所の論理から改めて基礎づけようとしたものである。そこでキーワードとなるものは、「逆対応」という言葉と「平常底」という言葉であった。西田自身、これらの言葉を厳密に定義しているわけではないので、理解しづらいところもあるが、単純化して言えば、「逆対応」は神と人間との関係について、「平常底」は信仰の状態にある人間のあり方のようなものについて、語っている言葉だといえよう。

西田幾多郎の神

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西田幾多郎は、日本人哲学者としてはめずらしいほど「神」というものにこだわった。西洋のキリスト教圏の哲学者が神にこだわるのは不思議ではないが、日本人であり、かつキリスト者でもない西田が何故神にこだわるのか。何しろ西田は、「善の研究」において「神」を持ち出して以来、終生神を問題とし続けた。彼の最後の論文となった「場所的論理と宗教的世界観」も、まさに神と人間との緊張あふれる関係について論じたものなのである。

西田幾多郎と禅

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西田幾多郎が若年の頃禅に集中していたことはよく知られている。彼は明治三十一年(二十八歳)から約十年間にわたって、それこそ座禅三昧の毎日を過ごした。この時期の西田の日記に眼を通すと、来る日も来る日も座禅の記事が出てくる。とにかく一日中座禅をしている。そして節目ごとに参禅して、禅師と語り合っている。その結果西田は、禅的世界観というようなものを体得したに違いない。違いないというのは、西田自身が、自分の禅体験を正面から語ったことがないからである。その点は、禅について多くを語った親友の鈴木大拙とは違うところだ。

西田幾多郎の晩年のキーワードのひとつに「絶対矛盾的自己同一」がある。西田の哲学タームには意味の判然しないのが多いのだが、中でもこの「絶対矛盾的自己同一」という言葉は飛び切り理解しづらい。第一、「絶対矛盾的」という言葉からしてわからない。矛盾と言うのは、ある事柄がAでもあり、かつ非Aでもあることは成り立たないということを指す。あるいはAとBとが同時には成り立たないような事態を指す。いづれにしても、一つの事柄の二つの異なった在り方の相対的な関係について言われることだ。それに西田は「絶対」という形容詞をかぶせる。これは形容矛盾ではないのか。

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