知の快楽

日本人とエピステーメー

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フーコーの「言葉と物」を読んで、いささかでも首肯したところのある日本人読者なら、フーコーの言うような「エピステーメー」が、日本にも存在し、かつ今でも存在しているのか、反省してみたくなるだろう。そこでまずとりかかるべきは、今現在の日本人にはそもそも、世界認識とか知の構成を規定しているエピステーメーは存在するのかということであろう。

人間の終焉

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フーコーは、「言葉と物」の末尾を人間の消滅に関する予言の言葉で結んでいる。「人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明に過ぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ・・・賭けてもいい、人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろうと」(「言葉と物」第10章末尾、渡辺・佐々木訳)

フーコーは「言葉と物」に「人間諸科学の考古学」という副題をつけた。人間諸科学と言うのは、西欧近代のエピステーメーが生み出した諸学問のことであり、言語学、生物学、経済学を中核として、その隙間に心理学とか社会学、文化人類学とかいった学問が成立している。

古典主義時代のエピステーメーが、同一性と差異を知の構成原理として、表象の分析から巨大な表の空間を作り上げたことについては前述したとおりだ。では、この表の空間を埋めたものは、具体的には何なのか。フーコーはそれを、一般文法・博物学・富の分析だとする。つまりこれらが古典主義時代における知の形態を代表したと見るわけである。なぜこれらが古典主義時代における知の形態を代表するのか、フーコーは明示的には語っていない。ただそれらが人間の知的活動の基本的なもの、すなわち語ること、分類すること、交換することに対応すると言っているのみだ。これらはそれぞれ現代の学問としての言語学、生物学、経済学に対応する領域をカバーするものだが、フーコーは古典主義時代のエピステーメーと近代のエピステーメーとの間に連続性を認めていないので、言語学以下近代の諸学問と一般文法以下古典主義時代の諸学問とは、断絶した問題意識のうえに立っているとしている。ともあれ、「言葉と物」の第四章以下の三章は、古典主義時代の諸学問についての記述となっている。その題名にはそれぞれ、上述した三つの学問分野がカバーしている人間の知的活動、すなわち、語ること、分類すること、交換すること、をそのまま採用している。

「言葉と物」第三章「表象すること」は、古典主義時代のエピステーメーを論じた諸章の導入部分であるが、フーコーはこれをセルバンテスの古典「ドン・キホーテ」の読解から始めている。「ドン・キホーテ」は、スペインにおけるルネサンス文学の傑作というのが文学史上の常識になっているわけだが、フーコーはこれを、ルネサンスから古典主義時代への移行期における過渡的な作品だと位置づけている。その点は、分野は違うが、ベラスケスの絵画「侍女たち」と同じような位置づけであるわけだ。だが、「侍女たち」が、古典主義時代の先取りであったとされていたのに対して、「ドン・キホーテ」はルネサンスの残照として捉えられている。騎士ドン・キホーテは、古典主義時代の先駆者と言うよりは、遅れてきたルネサンス人という位置づけなわけである。これは、「ドン・キホーテ」と「侍女たち」の間に半世紀の時差があることを思えば、自然なことかもしれない。「ドン・キホーテ」が17世紀の冒頭に現れたのに対して、「侍女たち」のほうは17世紀なかばの人々なのである。

フーコーは、西欧文明圏におけるエピステーメーの変転の歴史を、中世・ルネサンス、古典主義時代、近代という三つの時代に対応させて論じた。中世・ルネサンスより前にはギリシャ・ローマの世界があり、そこにはそれなりのエピステーメーがあったはずだが、フーコーはとりあえずそれについては問題にしない。フーコーの当面の問題関心は、古典主義時代から近代にかけての時代なので、それに近接する時代を取り上げれば足りると考えたのだろう。また、西欧文明圏以外の世界におけるエピステーメーについても考慮しない。フーコーにとっては、エピステーメーは同じ文明圏内でも時代が異なれば共通のものはなく、それぞれが断絶している一方、同じ時代でも文明圏が異なれば共通するところはないのである。

侍女たち:フーコーのベラスケス解釈

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フーコーの著作「言葉と物」は全十章から構成されているが、その冒頭の章は「侍女たち」と題して、スペインの画家ベラスケスの有名な絵を解読するのに費やされている。

エピステーメーとパラダイム

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フーコーが「言葉と物」の中で「エピステーメー」の概念を提出したとき、これを「パラダイム」と比較する動きが結構あった。トーマス・クーンが「科学革命」の中でパラダイムの概念を提示したのは1962年のことだったし、フーコーの「言葉と物」はその4年後の1966年に出版されたこともあり、二つの概念の提出時期が重なっていたのと、その内容にかなり似ているところがあったので、無理もない動きだったと言える。

フーコー「言葉と物」

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フーコーにとって「言葉と物」は一つの転機を画した仕事といえよう。フーコー自身そのことを自覚していたらしいことは、それ以前の作品と比較して、力のこもった修辞的文体で書かれていることから伺える。この著作の文体は、同時代人たちの饒舌な文体と比べても、過剰と言ってよいほど饒舌なのである。

フーコー「臨床医学の誕生」

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フーコーは「狂気の歴史」において、狂気が社会への統合から排除を経て治療の対象となってゆく変化の過程を描いたわけだが、その狂気の歴史における近代的な治療の確立すなわち精神医学の誕生に、身体の病気の歴史においてほぼ対応するものとして臨床医学の誕生を取り上げた。「臨床医学の誕生」という書物は、まさしくその課題に応えるために書かれたわけである。

フーコー「精神疾患と心理学」

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フーコーは臨床心理学者としてキャリアをスタートした。専門領域は精神疾患であった。人はいかにして精神の病に陥るか、どうしからそこから解放されて正常な状態に戻れるか、それが心理学者としてのフーコーの問題領域を形成していた。フーコーが精神疾患にかかわるようになったについては、彼自身の個人的な事情も作用していた。彼は少年時代から自分の同性愛的な傾向に悩んでおり、自分は正常な人間ではないのではないのかと苦しみ続けてきた。心理学の研究は、そんな彼にとって、自分自身の悩みに対して解決の糸口を示してくれるのではないか、そんなふうに思われたのかもしれない。

ピネルが1793年にビセートルの独房の中にいた狂人を拘束から開放したことによって、大いなる閉じ込めの時代は幕を閉じる、とフーコーは言う。このときに開放されたのは狂人だけではない。狂人とともに一括して非理性の範疇に分類されていたすべての反社会分子が、犯罪者や反革命分子を除いて、開放されたのであった。治安維持のための行政的措置の装置としては、一般施療院=監禁施設は歴史的役割を終えたわけである。

中世からルネサンスにかけての時代、狂気と正気とは截然と区別されていたわけではなかった。両者の間に対立がないわけではなかったが、それは互いに排除しあう絶対的な対立ではなく、相互に交じり合うような相対的な対立だった。正気の人々は、狂人たちを自分たちとは無縁のものとして排除するのではなく、あちらの世界からやって来た、そういう意味ではこちらの世界にやってくるべく神に選ばれた存在だった。それが、両者の間に絶対的な対立がもたらされ、狂気が排除されるべきものとされるようになるについては、デカルトに代表されるような理性についての見方の大転換があった、とフーコーは考えるのだ。

フーコーの言う「古典主義時代」とは、彼自身の時代区分によれば、17世紀の半ばから18世紀末までのほぼ150年間をカバーする。時代の開始を告げるメルクマールとしてフーコーは、1656年に、パリにおける「一般施療院」の設立が布告されたことをあげる。この布告によって、狂人を含む反社会的と断罪された人々の大いなる閉じ込め=監禁の時代が始まる。イギリスでは、反社会的分子の閉じ込めは、もう少し早く始まったが、それが本格化するのは、やはり17世紀の半ばだとフーコーは考えている。

阿呆船:フーコー「狂気の歴史」

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フーコーは「狂気の歴史」の叙述を「阿呆船」への言及から始める。「阿呆船」というのは、北方ルネサンスを彩ったイメージの一つで、阿呆どもを大勢乗せた船が、ヨーロッパの川に浮かんで、都市から都市をさすらうということが主なテーマになっている。これをフーコーは、狂気についてのルネサンス人の感受性が反映されているものと考え、視覚的にはボスやブリューゲルの絵、文芸としてはブラントの阿呆船についての考察やエラスムスの痴愚神礼賛の精神がそれを代表していると見ている。

フーコー「狂気の歴史」を読む

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20世紀のフランスの哲学者たちは、過度に修辞的であるという共通の特徴を有している。彼らは分析の代わりに隠喩を用いて説明しようとする傾向が非常に強いし、また、簡潔に表現できるところを、遠まわしに勿体つけて表現したがる傾向がある。そのため、哲学の書を読んでいるのか、あるいは文芸的な著作を読んでいるのか、判別がつかないほどである。これは同時代の英語圏の哲学者たちが、分析的で簡潔な表現を好むことと著しい対照をなすばかりか、デカルト以来のフランスの知的伝統からも離れている。デカルト以来ベルグソンに至るまで、フランスの哲学者たちは、なによりも明晰かつ判明であることを無上のモットーとしてきた。ところが20世紀のフランスの哲学者たちは、必要以上に饒舌になるあまり、明晰かつ判明であることに、あまり気を使わなくなってしまったようなのである。

即非の論理:鈴木大拙の思想

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鈴木大拙と西田幾多郎は、それこそ青春時代からの付き合いがあり、また禅という共通のテーマを巡ってやり取りをしていたから、単に友人としてではなく、思想上の同志としても互いに深く影響しあった。どちらが、どんな面で影響を与え、又受けたか、それ自体哲学史上の興味あるエピソードだが、ここでは鈴木大拙が西田に与えた影響のうちで最も重要なものと思われる「即非の論理」について取り上げてみたい。

鈴木大拙の日本的霊性論

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鈴木大拙は、霊性という言葉を宗教意識というような意味で使っている。というのも大拙は、霊性という言葉を感性や知性と並列する形で使っているからだ。感性が感覚についての、知性が知的認識についての意識であるように、霊性は霊即ち宗教的な対象についての意識であると考えているわけだ。

鈴木大拙は、日本人の自然愛には西洋人のそれとは異なった独特の特徴があり、それについては禅が多大の影響を与えたと考えている。すなわち彼は、日本人の自然愛には二つの大きな特徴を指摘できるが、それらはいずれも禅と深くかかわっているというのである。

禅と俳句:鈴木大拙「禅と日本文化」

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鈴木大拙は、俳句を禅と結びつけた最初で最後の人ではないか。大拙以前の俳句論と言えば、多かれ少なかれ子規の影響を受けていたものだが、それは自然の写生に重きをおく議論であった。写生と禅とでは、共通するものはほとんどない。だから、俳句と禅とが結びつくこともなかった。また、大拙以降の俳句論も、禅を持ち出すことはほとんどない。禅をもって俳句を論じるには、俳句はあまりにも多彩だからであろう。俳句は禅のように悟りに近い境地をもたらすこともあるのかも知れないが、俳句の妙はそれに尽きない。俳句がそこから生まれてきた言葉遊びにも妙味はある。

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