知の快楽

廣松渉のマッハ論

| コメント(0)
エルンスト・マッハは、新カント派の中心的な思想家であり、かつ自然科学者としても数々の業績を残しているが、レーニンが「唯物論と経験批判論」のなかで徹底的に批判したこともあって、日本では、一流の思想家としてはなかなか認められなかった。そんなマッハを、本格的に日本に紹介したのが廣松渉である。廣松はマッハの主著「感覚の分析」や「認識の分析」を翻訳する一方、その思想の特徴を解明している。「事的世界観への前哨」に収められた「マッハの現相主義と意味形象」と題する論文は、その成果である。

相克と協働:廣松渉のサルトル批判

| コメント(0)
サルトルは、ヘーゲルの自己意識論に依拠しながら、独自の対人関係論を展開したが、廣松渉はそれを、自分の「共同主観性」論と対比させながら、その意義と限界について論じている。(「世界の共同主観的存在構造」Ⅱ、一、第二節 役柄的主体と対他性の次元)

この奇妙な題名は、廣松渉の哲学的著作「世界の共同主観的存在構造」第一章の章題である。この書物の課題は、人間の認識の根本的なあり方を明らかにすることであるが、それを廣松は共同主観的なあり方としてとらえた。従来の哲学の主流の意見においては、人間の認識作用を主観―客観図式でとらえたうえで、主観は意識内在的なもの(したがって各私的かつ自律的)であり、かつすべての個人を通じて同型的であるとされてきた。このような見方に対して廣松は、主観の各私性・自律性を否定し、それが共同主観的な枠組によって歴史的・社会的に制約されていること、その制約は個別の意識にとっては外在的なものとして働くということを主張した。何故そういえるのか、その根拠を明らかにしたのが、この「現象的世界の四肢的存在構造」と題する章なのである。

廣松渉といえば、ユニークなマルクス主義者として、1960年代前後の日本の新左翼的言説の中心にいた人物として評価されるのが普通だが、彼にはもうひとつ、哲学者としての顔があった。というのも、かれは東大の哲学教授であったわけだし、そのような立場から、日本の哲学界の歴史的な傾向に掉さすようなかたちで、哲学的な思考を展開してもいたわけである。

ハンナ・アーレントのベンヤミン論

| コメント(0)
1940年9月下旬のある日、スペインとポルトガルを経由してアメリカへの亡命を図ったベンヤミンは、一時的に滞在していたマルセイユを出発してピレネーへと向かったが、その時マルセイユにはハンナ・アーレントも滞在していた。アーレントはベンヤミンより14歳も年下であったが、どこかで気が合っていたらしく、ベンヤミンは彼女に遺稿となった作品の一部(「歴史の概念について」)を託している。その遺稿をアーレントは、ベンヤミンの死の翌年にアメリカへ亡命した際に、ベンヤミンの指示にしたがってアドルノに渡している。彼女がベンヤミンの死の詳細について知ったのは、アメリカへ渡った後だったと思われる(死亡の事実については、ベンヤミンの死後4週間後に知らされたらしい)。

ベンヤミンのシュルレアリズム論

| コメント(0)
ベンヤミンは、同時代の芸術運動に深い関心をもっていた。なかでも彼が大きな関心を注いだのは、未来派とシュルレアリズムだった。だがその関心のベクトルは正反対を向いていた。前者はいわばマイナスの方向を、後者はプラスの方向を。ベンヤミンにとって芸術とは、社会の変革と大いにかかわりを持つはずのものとして意識されていたのだが、前者は芸術のための芸術を標榜することによって、大衆から社会変革のエネルギーを抜き取る効果を発揮していた。それにたいして後者は、芸術を通じて社会の変革を目指そうとしていた。そのようにベンヤミンは、受け取ったのだった。

ベンヤミンのカフカ論

| コメント(0)
フランツ・カフカが生前に発表した作品は「変身」など少数の短編小説だけだったが、それでも一部の人々の間に熱狂的な支持者を持っていた。彼の死後、いくつかの長編小説を始めとした遺稿が、自分の死後廃棄して欲しいというカフカ自身の遺言に逆らって公表されると、俄然広範囲にわたる反響を引き起こした。それは、カフカ現象ともいうべきもので、カフカは一躍、世紀の大作家の地位に祭り上げられた。しかし、カフカの小説の世界は、あらゆる基準からして、従来の文学の枠から大きく外れていたので、これをどう評価していいのか、尊大な批評家でさえも戸惑うほどであった。そんな戸惑いが交叉するさなか、ベンヤミンは一篇のカフカ論を書いて、それをユダヤ系の雑誌「ユダヤ展望」に発表した(全四章のうち、第一章と第三章のみだったが)。時にカフカの死後10年経った1934年のことであった。

ベンヤミンのパサージュ論

| コメント(0)
ハンナ・アーレントはベンヤミンについて、「生まれながらの文章家であったが、一番やりたがっていたことは完全に引用文だけからなる作品を作ることであった」と書いている(「暗い時代の人々~ベンヤミン」阿部斉訳)。彼の「パサージュ論」は、この願望に対して、完全にではないにしても、ほぼ応えている作品ではないかと思う。一瞥してわかるように、この作品は通常の論文のように、一本筋のとおったストーリーを展開しているのではなく、他人の書いた文章の引用で大部分が形成されているのである。

歴史の天使:ベンヤミンの歴史意識

| コメント(0)
ベンヤミンが「歴史の概念について」の後半部分で展開しているのは、彼独自の歴史認識のあり方についてだ。彼はそれを「史的(歴史的)唯物論」と表現しているが、それがマルクス主義の主流の考え方と大きく異なっているのは、前稿で述べたとおりだ。史的唯物論の主流の解釈では、歴史というものは、基本的にはある目的に向かって直線的に進歩していく過程として捉えられている。しかしベンヤミンは、そうした歴史のとらえ方を、悪しき「歴史主義」だとして否定する。彼にとって真の史的唯物論とは、時間の中に断絶を見る見方である。時間の中に断絶を見ることによって、過去を現在への単なる過渡的なものとして抽象化してしまうのでなく、かけがいのない出来事の集積として、この「いま」と直接つながりあうようなものとして捉える、そうした見方である。悪しき歴史主義者が、「過去」という抽象的な言葉によって一般化してしまうところに、ベンヤミンは具体的で生き生きとしたひとときを見るわけである。

「歴史の概念について」は、ベンヤミンの遺稿となった作品である。彼は、これを「パサージュ論」への諸論として書いた。というのも、自分のライフワークである「パサージュ論」をフランクフルト学派の機関誌「社会研究」へ掲載することを希望したのに対して、編集部から、この膨大な研究を要約した緒論の提出を求められたからだった。そういう点では、「ドイツ悲劇の根源」とその序論である「認識批判序説」の関係に似ている。

ベンヤミンの映画芸術論

| コメント(0)
複製技術の芸術作品への適用は映画に至って質的な変化をもたらした、とベンヤミンはいう。模写にせよ写真にせよ、それまでは、芸術作品の複製に過ぎなかったのに対して、映画においては複製から芸術作品が生まれる。つまり、芸術の複製ではなく、複製の芸術とでもいうようなものが生まれるわけである。

「複製技術の時代における芸術作品」は、ベンヤミンの論文の中では、テーマの扱い方においても叙述の仕方においても、めずらしくわかりやすい論文である。ここでベンヤミンが扱っているテーマは、芸術作品の複製の意義と歴史ということであるが、歴史の過程を叙述するという作業は、時間軸を追って進むために、勢いわかりやすくなるという事情を抜きにしても、ここでのベンヤミンの叙述はクリアだといえよう。

「ドイツ悲劇の根源」は、ベンヤミンが教授資格論文としてフランクフルト大学に提出したものである。ところが審査にあたったコルネリウスは、「中味が全く判らないので、内容の要約を作ってもらったが、それもまた理解できなかった。弟子のホルクハイマーにも読んでもらったが、彼も理解できないといってきた」といって、これを棄却した。ここで「内容の要約」と言われているのが「認識批判序説」なのだが、たしかにコルネリウスのいうとおり、この論文は非常にわかりにくい。

純粋言語:ベンヤミン「翻訳者の課題」

| コメント(0)
翻訳とは、他言語で表現されたものを母語で再現することだと思われがちだが、それを他言語から母語への意味内容の再伝達だと考えるならば、それは間違っている。翻訳には、単なる伝達をこえた何ものか、それをベンヤミンは本質的なものといっているのだが、そして本質的なものは伝達できないと考えているのだが、要するに伝達をはみ出た部分がある。それ故、「悪い翻訳は非本質的な内容を不正確に再伝達する」(「翻訳者の課題」野村修訳、以下同じ)とベンヤミンはいうのだ。

ヴァルター・ベンヤミンの「暴力批判論」は、法と権力についてのきわめてアクチュアルな議論である。この議論がアクチュアルにならざるを得なかったのは、執筆当時の社会情勢が働いているためである。ベンヤミンがこれを書いた1921年という年は、ドイツ革命の曲がり角に当たる年であり、革命的ゼネストをめぐって様々な議論がなされていた。ベンヤミンは、法と権力の本質を暴力と定めたうえで、(革命的ゼネストというかたちの)プロレタリアートによる暴力の行使はどのようにして正当化されるか、という点について議論を深めていくのである。

運命と性格:ベンヤミンの初期思想

| コメント(0)
ベンヤミンの初期のエッセイ「運命と性格」は、いろいろな点でその後に展開されるベンヤミンらしさを先取りしている。まず、非常に読みづらいという特徴が、早くもあらわれている。日本語訳で岩波文庫版12ページに過ぎないにもかかわらず、これを読み切るにはかなりの忍耐が必要だ。その難解さは、比喩的な表現を多用していること、その裏返しとして、厳密な用語の定義を踏まえずに、いきなり聞きなれぬ言葉が概念をまとった状態で縺れ合うといった観を呈していることによる。

永遠回帰:ニーチェの思想

| コメント(0)
「永遠回帰」は、ニーチェの思想の中で最もわかりにくいものだというふうに、少なくともニーチェと同じヨーロッパ人によって受け取られてきたし、現在のヨーロッパ人の多数にとっても事情は変わらないだろうと思う。時間が永遠に回帰するなどという言い分は、時間には始まりがあり、したがって終りもあると考えるキリスト教文化圏の人々にとって理解しがたい考えに違いない。

ニーチェの超人

| コメント(0)
既存のあらゆる価値の転倒の先にニーチェが持ち出した新たな価値あるものとは、「超人」の理念と「永遠回帰」の思想であった。どちらも既存のヨーロッパ思想の対極にあるものだ。「超人」とは、キリスト教道徳が教える望ましい人間像とは正反対に位置する「悪人」の典型ともいうべきものであり、「永遠回帰」のほうは、キリスト教的世界観が依拠する直線的でかつ進歩的な時間概念に真っ向から対立するものであった。つまり、既存のあらゆる価値を否定したニーチェにとっては、それらの既成の価値において究極の「反価値」とされたものを、新たな価値として持ち出さざるをえなかったということだろう。

霊の三つの変転:ニーチェの思想

| コメント(0)
ツァラトゥストラの言葉のうち最初に述べられるのは「三つの変転について」と題されたものである。「わたしはお前たちのために、霊の三つの変転を述べよう。すなわち、霊が駱駝になり、駱駝が獅子になり、最後に、獅子が幼児になる次第を述べよう」(「ツァラトゥストラはかく語った」浅井真男訳、以下同じ)で始まるこの言葉は、一見して精神の成長あるいは発展について述べたものだとの印象を与える。

神は死んだ:ニーチェのニヒリズム

| コメント(0)
あらゆる価値の転倒を図ったニーチェにとって、「神の死」という命題は、究極的であるとともに根本的なものでもあった。何故なら神こそはあらゆる価値のなかでも究極的なものであるし、また根本的なものでもあるからだ。その究極的で根本的な価値である神が没落することで、世界は意味をはく奪されて無意味のものとなる。無意味即無価値というよりは、没価値というべきかもしれない。というのも、無意味という言葉は意味を前提としているのに対して、ここでは意味そのものがなくなるわけだから、無価値というよりは没価値と言う方が相応しいだろうからである。

Previous 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13



最近のコメント

アーカイブ