反哲学的エッセー

徳川時代の政治思想についての研究は、長い間、丸山真男の圧倒的な影響下にあった。丸山は若い頃に書いた「日本政治思想史研究」において、徳川時代には朱子学が体制を合理化する理論体系として機能し、その朱子学をめぐってさまざまな言論が展開されたと見た。そのさまざまな言論のうちで丸山がもっとも注目したのは古学の系統である。古学は荻生徂徠によって確立され、やがて本居宣長によって大展開をとげるわけだが、そうした流れの中で伊藤仁斎は端緒的な位置づけをされた。丸山によれば、朱子学への批判としての古学は、仁斎から徂徠をへて宣長にいたる直線的な発展過程をたどったということになる。柄谷はこうした丸山の見方を批判して、仁斎について新しい視点を提示するのである。

転向の問題は、戦後日本の「文壇」において大きなトラウマとなったものであるから、日本の近代文学を読むことからキャリアを始めた柄谷のような男にとっては、当然避けてとおれることではなかったのであろう。柄谷自身は転向の当事者ではないので、第三者的に冷めた眼で見られる位置にいる。転向の当事者だったら、なにかしら苦い感情をともなわずに語れないことを、柄谷はそうした感情を抜きにして語れる。だが何らの参照軸もなく、だらだらと語っているわけではない。柄谷は、明示的には言っていないが、転向を倫理の問題としてとらえている。倫理とは、人間の生きざま全体にかかわるものである。単に政治とか文学の領域に限定されたものではない。人間としてのあり方そのものを規定しているものだ。そういう倫理観を柄谷はカントによって基礎づけている。だから、倫理の問題として転向を論じる柄谷は、カント主義者として語っている。

「ヒューモアとしての唯物論」は、柄谷行人の哲学的な営みの上では、「マルクスその可能性の中心」と「カントとマルクス」の間に位置する。「マルクス」において柄谷は、マルクスを自分なりに読み替え、まずプルードン的なアナーキストに仕立てた。そのうえで、「カントとマルクス」においては、マルクスをカント的な理想主義者に祭り上げたわけだが、「ヒューモアとしての唯物論」は、そうした柄谷のマルクス読み替え作業の途上にあるものとして位置づけることができるのではないか。ここでの柄谷の主な標的は、マルクスをカントと関連付ける作業の落としどころを見出すところにあると言ってよい。その落としどころになる概念装置を柄谷は、「超越論的な態度」というものに求めた。カントもマルクスも、超越論的な態度を共有したというのである。「ヒューモアとしての唯物論」とは、そうした超越論的な態度を意味している。

国民の代表者による政治を、代議制民主主義という。あるいは単に代表制と呼ぶこともある。その代表制について柄谷は、かなり批判的である。代表制というもは、代表するものと代表されるものとの間に、ある種の一致を前提としているが、そんなものは実際にはない。代表するものは、なにも代表されるものに行動や意見を拘束されているわけではなく、自分自身の考えにもとづいて行動する。その行動が、自分を選んだもの、つまり代表されるものの利害に反することもある。というより、それが普通である。

柄谷行人の初期のマルクス論(「マルクスその可能性の中心」における議論)を評して小生は「マルクスによってマルクスを否定する」と言った。柄谷のマルクス像がかなり恣意的だと思ったからだ。そういう恣意的なところは「トランスクリティーク」でも変わらない。むしろ強まったくらいだ。「マルクスその可能性の中心」では、「ドイツイデオロギー」を材料に使って柄谷なりのマルクス像を描いていたが、ここでは「資本論」を材料に使っている。そしてその主な目的は、マルクスとエンゲルスのデカップリングと、マルクスをプルードン主義者に仕立て上げることである。

柄谷が自然と自由に関する議論を持ちだすのは、革命をどう考えるべきかという問題意識に促されてのことである。史的唯物論の「常識」によれば、革命は自然必然性にもとづくものであって、したがってそこに人間の自由な選択の入る余地はない。というのも、必然性と自由とは相容れない対立関係にあると考えられているからだ。ところが柄谷は、自然必然性と自由とは相容れないものではなく、同時に成り立つと考える。そう考えれば、革命について人間の自由な選択を議論することができる。革命はあくまでも人間の主体的な行為であって、それは自由な意思に支えられていなければならない、というのが柄谷の基本的な考えである。

柄谷行人の著作「トランスクリティーク」は、柄谷の社会理論をはじめて体系的な形で展開したものだ。柄谷は、マルクスに依拠しながら自分の社会理論を組みたて、それを壮大な規模に発展させたわけだが、「世界史の構造」をその集大成とすれば、この「トランスクリティーク」は、方法論の基礎固めということになる。その方法論とは、マルクスを、カントを通じて読み直すというものだ。それゆえこの著作は、カントによってマルクスを基礎づけたものということができる。

柄谷行人は、マルクスのタームを用いて自己の社会理論を作りあげた。だから一応マルクス主義的な思想家といえるであろう。じっさい柄谷本人も、そのことを否定してはいない。しかし、マルクス主義という言葉が意味するものを、普通の人とは異なって捉えているということらしい。柄谷の比較的初期の著作「マルクスその可能性の中心」は、そうした柄谷固有のマルクスの捉え方を、はじめて積極的に披露してみせたものである。

柄谷行人はカントを高く評価し、カントの有名な道徳論を、社会主義の理念を基礎づけるものとして位置づける。ヘーゲル学徒として出発したマルクスは、カントを無視したのだったが、そのマルクスを柄谷は、なんとかしてカントと関連付けようと苦慮している。

「社会主義には大まかにいって二つのタイプがある。一つは、国家による社会主義であり、もう一つは、国家を拒否する社会主義(アソシエーショニズム)である。厳密には、後者のみが社会主義というべきである」。こういうことで柄谷は、エンゲルスが主導して確立した国家による社会主義を否定し、国家を拒否する社会主義を提唱する。そしてほかならぬマルクスを、そのそもそもの提唱者だと主張するのである。これは主流派のマルクス主義の社会主義解釈とは全く趣を異にした考えだ。国家を拒否する社会主義といえば、アナーキズムを連想させるが、そのアナーキズムの理論家の一人であるプルードンを柄谷は高く評価し、マルクスはフォイエルバッハを通じてプルードンの影響を強く受けたといっている。プルードンとマルクスとのかかわりについての柄谷の議論を読むと、かれがマルクスをプルードン化していることがよくわかる。

柄谷行人の社会理論の体系はマルクスを強く意識したものだが、決定的な違いがある。国家を重視していることだ。マルクスは国家を、上部構造の一部だとしたうえで、その基本的な役割は階級支配の道具だとした。だから国家は無階級社会には存在しない。人類黎明期に階級がまだなかった時代には国家は生まれていなかったし、資本主義が揚棄されて無階級社会が実現された暁には国家は消滅すると考えた。それに対して柄谷は、国家は階級社会も含めて、およそ社会が成り立つための地盤だと考える。したがって柄谷の社会理論は国家論の上に成り立っているということができる。ある意味、彼の社会理論は国家論に還元されるといってよいほどである。

柄谷行人は、日本人としてはめずらしい体系的な思想家だ。柄谷本人は、自分は「体系的な仕事を嫌っていたし、また苦手でもあった」と言っているが、それが体系に取り組んだのは、自分なりに資本主義を批判し、それを揚棄するためには、やはり体系が必要だと考えたからだろう。その場合、彼が若いころに心酔していたらしいマルクスを以てしては、資本主義の揚棄は実現しないと考えたようだ。しかし、マルクスを捨象するわけではない。マルクスを読み直すことで、その主張のエッセンスを生かしながら、批判すべきところは批判して、資本主義の揚棄につながるような理論を構築したい、というのが柄谷の意図だったようだ。

プラトンが西洋哲学の伝統を創始したとは、大方の認めるところである。プラトンはその思想をソクラテスから受け継いだとされる。ソクラテス自身は文字で書かれた主張を残さなかったが、プラトンを通じてその主張の大要は知られている、ということになっている。そのソクラテスの思想こそが、プラトンを通じて西洋思想の根幹を作った。だから西洋哲学の思想は、ソクラテスに淵源を持ち、プラトンによって確立されたというのが、哲学史の常識となっている。かのニーチェでさえも、その常識をふまえて、西洋的な価値の転倒を、プラトンとその師匠ソクラテスの打倒という形で定式化したものである。しかしこれは根本的に間違った見方だと柄谷は言う。

柄谷行人の著作「哲学の起源」は、ギリシャ哲学についての大胆な読み直しである。柄谷はその読み直しを、かれ独自の社会理論・歴史認識にもとづいておこなうのであるが、それについては先行する著作「世界史の構造」の中で詳細に触れたからといって、ここではほんのさわりの部分を付録という形で言及しているだけである。それを一言でいえば、人間社会の歴史をマルクスのように生産様式から見るのではなく、交換様式から見るということになるが、小論ではこれ以上立ち入ることはしない。

柄谷行人は、文芸評論からキャリアを始めたが、途中からマルクスに依拠した独特の社会理論を展開するようになった。1978年に出版した「マルクスその可能性の中心」がその転機を画す仕事だ。この本の中で柄谷は、マルクスを独自に読み直して、従前とは違ったマルクス像を提示し、彼なりに解釈しなおしたマルクスに依拠しながら、独自の理論体系を構築することをめざした。後に実現したその理論体系は、日本人のものとしてはかなり壮大なものである。ここまで壮大な理論体系は彼以前の日本人には見られない。そういう点では、柄谷は日本が生んだ最初の体系家といってよい。彼以前にも、たとえば丸山真男のように、首尾一貫した理論を展開した思想家はいたが、それは日本社会の一面にスポットライトを当ててものというべきで、地球規模の社会を全体として体系的に説明したものとは言えなかった。柄谷は地球規模の社会を全体として体系的かつ整合的に説明するとともに、その将来へ向けての変革についても一定の展望を示した。そういう点では、かれが手本としたマルクスに十分対抗できるだけの規模をもった思想家といえよう。

敗戦後76年たった今日、日本人とくに男たちの間に強く根付いたパンパン・コンプレックスは、どのような状態にあるだろうか。次第に弱まってきたのか、それとも逆にますます強まってきたのか。それを分析するためには、パンパン・コンプレックスの二つの大きな要素たる対米従属と男女のバランスそれぞれについて、具体的に見ていく必要がある。

パンパン・コンプレックスは、被支配感情としての対米劣等感と、女を征服者に奪われたことにともなう喪失感とを主な要素としていた。このうち、対米劣等感が基本的には対米従属体制をもたらしたことは、上に述べたとおりである。一方、女を奪われたことにともなう喪失感は、より複雑な現れ方をした。それは一方では、なんとかして自分を見捨てた女を取り戻すために、女のご機嫌をとるような方向に働き、他方では、女の前で失われた男の尊厳を回復したいという希求となってあらわれた。つまり、女を求めながらその女を憎むという、両義的なものであった。

敗戦は、日本人とくに男たちに測り知れないショックをもたらした。そのショックから自己を防衛するための心理的機制として生じたのパンパン・コンプレックスである。敗戦のショックをもたらした原因は外国による征服、及びそれに伴う女の喪失であったから、パンパン・コンプレックスはこれらの原因に対応する内容をもつこととなった。外国人による征服とそれに伴う被支配感情は、強烈な劣等感を日本人に受け付けたが、その劣等感は抑圧されねばならなかった。なぜなら人間は劣等感を抱えたまま生き続けることはむつかしいからだ。それで、外国であるアメリカに一方的に征服されたのではなく、自主的に従属したのだという擬制を作りあげた。戦後日本の対米従属は、基本的には被支配感情を抑圧し、それを合理化するためのシステムなのである。

パンパン・コンプレックスを小論は、フロイトの社会理論を適用して説明しようとした。フロイトの社会理論は、精神分析学の成果を応用したものである。精神分析学は、人間の無意識的な抑圧が個人の人格形成に大きな影響を及ぼすとし、その無意識的な抑圧の代表的なものとしてエディプス・コンプレックスを位置付けていた。エディプス・コンプレックスとは、人間にとって根源的な衝動である性的リビドーが強い抑圧を受けて成立するものである。そのエディプス・コンプレックスは集団においても見られる。まったく同じものではないが、基本的には同じメカニズムにしたがっている、とフロイトが考えた。それはとりあえずは、父親殺しをきっかけとしたものだが、その根底には女をめぐる父親と息子達との葛藤がある。つまり、集団レベルにおいても、性的なリビドーが集団の行動様式を大きく規定しているわけである。

日本の歴史の中で、男優位の原理が男尊女卑という形で確立されたのは明治時代である。明治維新は、徳川幕府から西日本の藩閥勢力への権力の移動をもたらしたが、新たに権力の座を占めた藩閥勢力が行ったことは富国強兵政策である。国を富まし兵力を充実させなければ、欧米列強に植民地支配される恐れがあったからだ。その考え自体は間違っていないと思うが、しかしそれが男尊女卑の方向をとると、女たちにとって住みにくい社会が訪れるのは如何ともなしがたかった。

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