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ドガは、踊り子たちが踊っている場面のほかに、休息している姿も数多く描いた。「休息する二人の踊り子(Deux danseuses au repos)」と題されたこの作品は、その代表的なもの。二人の踊り子が、稽古の合間に、稽古場の片隅で休んでいるさまを描いたものである。

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「踊りの花形(L'étoile de la danse)」と題されるこの絵は、「ダンスの教室」と並んで、ドガの踊り子像としてはもっとも有名な作品。この絵をドガは、カンバスに油彩で描くのではなく、紙にパステルで描いた。この頃のドガは、パステルにはまっていたようである。

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ドガは、1876年から翌年にかけて、モンマルトルのカフェ・コンセール「レザンバサドゥール」に足しげく通い、歌い手や客をモチーフにした一連の作品を作った。それらの作品は、モノタイプの上にパステルやグアッシュでハイライトをつけるという方法をとっていた。モノタイプとは、板などに描画したイメージを紙にプリントするもので、一回限りしかできないことから、モノプリントとも呼ばれる。モノとは、一回限りといった意味である。

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1870年代のドガは、踊り子を描く一方、風俗画風の作品も手掛けた。洗濯女、カフェ・コンセールの歌手、娼婦といったものをモチーフにした。「アブサント(L'absinthe ・Dans un café))」と題されたこの作品は、そうした風俗画風の作品を代表するもの。

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ドガは馬が好きで、若いころから各地の競馬場に赴いて馬をモチーフにした作品を多数制作した。それらはおおむねコンパクトな画面である。対象が動物なので、すばやくデッサンする必要上、大画面に仕立てることを控えたのであろう。

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1873年頃、ドガは知り合いのバリトン歌手ジャン=バティスト・フォールから、踊り子をモチーフにした作品を受注した。上の絵は、1874年の初めごろに完成して引き渡されたもの。その後ドガは、手直しのため買い戻した。その保障として別の作品を提供したようである。

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「舞台上の二人の踊り子(Deux danseuses en scène)」と呼ばれるこの作品は、「舞台上のバレーのリハーサル」と同じ時期に、並行して制作されたと思われる。「リハーサル」のモデルのうち、画面右手奥の二人の踊り子が、この絵の中の二人の踊り子とほぼ同じポーズをとっている。

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ニュー・オリンズからパリに戻ったドガは、再び劇場に通って踊り子の群像を描いた。その中で、「舞台上のバレーのリハーサル(Répétition d'un ballet sur la scène)」と呼ばれる三点の作品がある。一つはオルセーにあるグリザイユ風の作品で、これは1874年の第一回印象派展に出展されたという。他の二つはニューヨークのメトロポリタン美術館にあり、パステルと油彩で描かれている。

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1872年の秋、ドガはアメリカのニュー・オリンズに住む弟ルネの招きで、しばらくその地に滞在した。ルネは、母方の親戚をドガに紹介した。その折に、フランスでは有名な画家として知られているといわれたので、親戚たちはドガの絵に異常な関心を示し、かれの仕事の邪魔をしたばかりか、自分たちの肖像画を描いて欲しがった。そんな暮らしにドガはうんざりして、早くパリに帰って、好きなように絵を描きたいと思った。

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ドガは舞台の上から踊り子を見るだけでは満足できず、楽屋や稽古場に立ち入って、そこで身近に踊り子たちを眺め、その生き生きとした表情を描きたいと思うようになる。「オペラ座の稽古場(Foyer de la danse a l'Opéra de la Rue le Peletier)」と題したこの絵は、そうした意図を込めた作品である。ドガは、知人のつてを使って、ル・ペルティエ街のオペラ座に立ち入る許可を得て、そこで踊り子たちをつぶさに観察することができた。

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オペラ座の舞台を描いたドガは、踊り子に興味を持ったようで、以後踊り子をモチーフに選ぶようになる。1871年の作品「ダンス教室」は、小品ではあるが、当初から商品として制作されたものである。この頃のドガは、自分の絵の販売に力を入れており、当初から売ることを目的に絵を制作するようになっていた。販売は、画商デュラン=リュエルが担当した。

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「オーケストラの楽師たち(Musiciens à l'orchestre)」と題するこの絵も、「オペラ座のオーケストラ」同様、知り合いのオーケストラ楽団の集団肖像画。「オペラ座」を完成させた後制作にとりかかり、三年後に完成させた。おそらくこれは、楽団の依頼によってではなく、自分の趣味から描いたので、時間に拘らなかったのだと思う。

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ドガが舞台とか踊り子をモチーフにするのは1870年前後のことである。「オーケストラ・ボックスの楽師たち(L'Orchestre de l'Opéra)」と題するこの作品は、その最初のものである。ただし、この絵は「舞台の踊り子」には焦点をあてていない。踊り子は添え物あつかいで、主役はオーケストラ・ボックスの楽師たちである。

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「若い婦人の肖像(Portrait de jeune femme)」と呼ばれるこの絵は、ドガの最も有名な作品の一つであり、かつ、近代美術史上婦人肖像画の最高傑作の一つとされる。ドガは若いころには、自画像を含めて数多くの肖像画を手がけた。生活に困っているわけではなかったので、金のために肖像画を描くということはせず、主として家族を喜ばせるために描いた。父親の威厳のある姿を描いたり、弟ルネの妻エステルの肖像をかわいらしく描いたものだった。

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「サン・クルー公園の祭り(La Fête à Saint-Cloud)」と題されたこの絵は、フラゴナールの風景画の傑作。単なる風景画ではなく、お祭りの様子を加えた風俗画としての要素も併せ持っている。

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「追憶(Souvenir)」と題されたこの作品は、女性のさりげない動作をスナップショット的に捕らえたもの。モデルは、フラゴナールの妻の妹マルグリット・ジェラールと推測されている。この女性をフラゴナールは自分の秘書として使っており、淡い恋愛感情を抱いていたと言われている。この作品には、そうしたフラゴナールの感情が投影されているようである。

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「読書する娘(La Liseuse)」として知られるこの作品は、「霊感」と並んでフラゴナールの肖像画の代表作品。「霊感」の制作動機はわかっているが、こちらは不明。おそらくフラゴナール自身の気晴らしのために描かれたのであろう。モデルはわかっていない。肖像画というより、単に人物画といってよい。

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「霊感(L'Inspiration)」と題されるこの作品は、フラゴナールの肖像画の傑作。フラゴナールは、幾人かいたパトロン達のために肖像画を描いたという。これは、かれのパトロンにして親しき友人アベ・ド・サン・ノンの肖像画と言われる。サン・ノンをモデルにしたものには、ほかに「想像上の人物」があり、またサン・ノンの兄をモデルにした「音楽」がある。音楽の制作年次は1769年であり、この「霊感」もその頃に描かれたものと考えられる。

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「ぶらんこ(Les Hasards heureux de l'escarpolette)」と題されたこの作品は、フラゴナールの代表作であり、かれの最高傑作との呼び声も高い。これは、サン・ジュリアン男爵の依頼を受けて制作したものだが、たちまち評判を呼び、版画に印刷されて出まわったほどだ。

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「水浴する女たち(Les Baigneuses)」と題されたこの作品は、年期の記載がないが、イタリア留学から戻って間もないころの作品と思われる。絵の雰囲気が、イタリア留学後の作品「 コレシュスとカリロエ」によく似ている。

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