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闘牛技( La Tauromaquia ):ゴヤの版画

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ゴヤの版画集「闘牛技( La Tauromaquia )」は、1816年に刊行された。そのときの体裁は、33点からなるセットであったが、もともとは44点作られた。そのうち、ゴヤ自身が33点に絞ったのである。その44点の全体像については、ためし刷りが残されている。ゴヤの死後、1876年に、フランス人によって新版が出されたが、それは7点を追加して40点からなっていた。残りの4点については、原版が永久に失われてしまったらしい。

スペインの未来:ゴヤの版画

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(真理は死んだ)

これも、フェルナンド七世による王政復古の一断面を描いたものだとされる。手前中央に横たわっている女性は真理のシンボルである。その真理は、ゴヤにとっては、民主主義的な理念を意味した。それが死んだということは、スペインは民主主義を葬って野蛮な王政の手にゆだねられてしまったということをあらわしている。

旧体制の復活:ゴヤの版画

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(公共善に反して)

1814年にナポレオンが失脚すると、フランスによるスペイン侵略は終わりを告げた。スペインは、自力で勝ったわけではなく、いわば棚ぼた式にフランスのくびきから解放されたわけだ。だが、解放されたスペインには、ゴヤにとって面白くない事態が待っていた。フェルナンド七世と、彼に代表される旧体制が復活したのである。

墓地へ:ゴヤの版画

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(山積みにして墓地へ)

版画集「戦争の惨禍」には、多くの死体を墓地に運んでゆく場面や、死体が折り重なった墓地の場面を描いたものが何枚かある。これはその一枚。死体を車に山積みにして、墓地へ運んでいこうとする場面を描いたものだ。

とばっちり:ゴヤの版画

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(可愛そうなお母さん)

対仏戦争は、スペインの一般民衆に塗炭の苦しみをもたらした。彼らは戦闘に巻き込まれてひどい目にあわされたほか、戦争に並行して広範囲に起こった飢饉のために、餓死するものが続出したのだった。

見せしめ:ゴヤの版画

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(これもまた・・・)

フランス兵の残虐性は、抵抗するスペイン人を残酷な方法で処刑するだけにはとどまらなかった。彼らは殺した後の死体を、他のスペイン人への見せしめとして、さらしものにしたのだった。

処刑:ゴヤの版画

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(なぜだろう?)

版画集「戦争の惨禍」には、処刑を描いたものが多数ある。そのほとんどは、フランス兵によるスペイン人の処刑だ。どれを見ても、残虐きわまる。こんな絵ばかり見せられたら、戦争が心から嫌になるか、あるいは反対に、人間の残虐性に対して鈍感になるか、どちらかだろう。

敗者を略奪:ゴヤの版画

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(彼らはここまでむしり取る)

ゴヤの時代には、戦いに勝ったものが負けたものから略奪するのは当然のことだった。負けた当事者が、都市や村の住民だった場合には、都市ごと、また村ごと略奪にあった。財産が奪われるのは無論、生き残った男は殺され、女は強姦された。この時代の戦いは、そういう面で非常に人間的なスケールだったわけだ。なにもかもが可視的なだけに、その残虐性は目を覆うほどである一方、人間的なスケールをはみ出すことはなかったわけだ。

抵抗もむなしく:ゴヤの版画

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(その連中のためでもない)

これはフランス兵によって陵辱されるスペイン女たちを描いたもの。女たちはフランス兵相手に戦いを挑んだものの、あえなく敗れてこのような目にあっているのだろう。前出の「やはり野獣だ」に描かれた場面の続きだとみれば、わかりやすい。

勇敢な女性たち:ゴヤの版画

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(やはり野獣だ)

スペインの対ナポレオン戦争には、女性たちも大勢参加したといわれる。スペイン側の兵力は民兵が中心で、その戦いぶりは、正規戦というよりは、ゲリラ戦のごときものだったから、そのゲリラ戦に、男たちに混じって多くの女も加わったわけだ。ゴヤは、版画集「戦争の惨禍」の最初の部分で、そんな女たちの勇敢な戦いぶりを描いた。

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(来るべきものの悲しき予感)

版画集の冒頭に予定されていたのが、「来るべきものの悲しき予感」と題するこの作品である。これとほぼ同じ構図の宗教画「オリーブ山でのキリスト」を、世俗風に描きなおしたものと言える。この構図でゴヤは、来るべき戦争の惨禍への予感を表現しているものと思われる。

戦争の惨禍:ゴヤの版画

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ゴヤの版画集「戦争の惨禍( Los desastres de la guerra )」は、スペインの対ナポレオン独立戦争を題材にしたものである。この戦争(対仏戦争ともいう)は、1808年から1814年まで続いたもので、ナポレオンの弟ジョゼフのスペイン王戴冠に始まりナポレオンの没落によって終わる。この戦争の様子をゴヤは1810年頃から版画に表現し始めた。

束縛:ゴヤの版画

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(我々を解き放してくれる者はいないのか)

この絵は、結婚の束縛を描いたものだとされる。二人の男女が互いに縄で結びあわされ、離れようとしても離れることができない。一羽の巨大なフクロウが飛んできて、女のほうを連れ去ろうとするが、束縛があまりにも強いために、女だけを連れて行くわけにはいかない。

妖術の修行:ゴヤの版画

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(美しい女教師)

老婆と若い女が箒に跨って空を飛んでいることから、これは妖術の訓練を描いたものだと、題名からも推測できる。老婆が前で若い女が後と言うことは、若い女のほうが教師なのだろう。題名もそのように仄めかしている。年長者が年少者を教育するというのが普通だから、これはその普通の想念から外れているわけだ。魔女の世界には、このようなことは当たり前だ、といわんばかりに。

変身:ゴヤの版画

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(何と勿体ぶった奴らだ)

ゴヤの場合、人間が動物に変身するのは、強欲や怠惰といった悪徳のむくいとしての意義を持たされている。この絵の中では、二人の人物がロバに変身し、それぞれ猛禽類の顔を持った男と豚面の男を背中に担いでいる。彼らは何ゆえに、動物に変身したのだろうか。

魔女たち:ゴヤの版画

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(修行)

魔女たちは、ゴヤの版画を彩るアンチ・ヒロインである。アンチ・ヒロインというのは、彼女らには恐怖よりも滑稽のほうが似合っているからだ。ゴヤの版画に出てくる魔女たちは、どことなく憎めないところがある。これは、ゴヤの時代にはまだ魔女の存在を人々が強く信じており、しかもそれが恐怖の対象であったことを考えると興味深いことだ。

生への執着:ゴヤの版画

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(死ぬまでは)

人間、いつまでも若々しく、できるだけ長生きしたいという願望は持っている。その願望は、それ自体としては健全なものだが、あまり度を過ぎるとグロテスクさを呈することになる。とりわけ、年老いたものが、年相応に振舞わず、いつまでも若いつもりでいるような場合に、そのグロテスクさは頂点に達する。

空疎な権威:ゴヤの版画

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(仕立屋のなせる業)

聖職者の格好をした大きな人物の前で一人の若い女性が跪き、その周辺にも沢山の人々が跪いたりお祈りを捧げたりしている。この作品をゴヤは、「仕立屋のなせる業」と題したわけだが、その訳は、人々はこの人物の徳性にではなく、その見せかけに反応しているということを現している。つまり、仕立屋の仕立てた服装のおかげで、人々がありがたく跪いているのである、と言いたいわけであろう。

妖怪:ゴヤの版画

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(小悪鬼たち)

ヨーロッパには妖怪とか妖精とか呼ばれたものの実在が、中世から近世にかけて広く信じられていた。これは一方では聖書に出てくる悪魔との関連性を感じさせるが、他方ではキリスト教の普及によって抑圧されたヨーロッパ土着の信仰に起源があるとも考えられている。それには従って、邪悪な存在としての側面と同時に親しみやすいといった側面もある。シェイクスピアの喜劇に出てくるパックやアリエル、そしてキャリバンといったものたちは、こうした妖精の両義的特徴を最もよく備えたものだと言えよう。

非理性としての怪物:ゴヤの版画

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(理性の眠りは怪物を生む)

この絵は、もともとは版画集「きまぐれ」の扉絵として考案された。題名の「理性の眠りは怪物を生む」からして、「きまぐれ」全体に共通するテーマをあらわしているかのようである。もっとも、この作品は最終的には、第43番目の枠に挿入されることになった。

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