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ミュシャは1897年に二度古典をひらいた。最初は単独で、二度目は合同展の形で。このポスターは、その合同展「サロン・デ・サン(Salon des cents)」のために制作したもの。その名の通り100人の芸術家が450点にのぼる作品を展示した。

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芸術をモチーフにした四枚組の装飾パネル。ダンス、絵画、詩、音楽のそれぞれが、女性の姿を通じて表現されている。とはいっても、芸術のイメージがストレートに表現されているわけではない。女性のポーズからして、なんとなく結びつくといった気持ちを起させるようになっている。

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この一対の絵は、モチーフ設定や構図・色合いに共通するところがあるので、連作として作られたと思われがちだが、もともとは別の作品として制作された。しかし市場では、これらを一対のものとして受容したために、事後的にセットものとして認知された。

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「ショコラ・イデアル」と題したこの作品は、ホット・チョコレートの宣伝用ポスターのために制作されたもの。大量生産・大量消費時代を迎えつつあった当時のフランスにおいては、こうした日常生活に直結した商品のポスターが多く作られた。

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ポスターやカレンダーの図柄と並んで、ミュシャは装飾パネルの制作にも手を広げた。ポスターやカレンダーが大変な人気を博し、観賞用の作品への需要が高まったためだ。ミュシャは、さまざまなテーマを設定したうえで、二枚ないし四枚一組にして売り出したのだった。

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「王道12宮」は、印刷業者シャンプノワの依頼を受けて、カレンダーの図柄として制作された。ミュシャはほかにも、シャンプノワのためにカレンダーの図柄を手掛けている。それらは非常に人気を博したので、装飾用パネルに仕立てなおされて個人向けに販売されたものだ。ミュシャの装飾的な作品は、庶民の消費の対象となっていたわけである。

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これは、吹き付け式香水「ロド」の広告ポスター。南仏リオンの香水メーカーの商品を紹介したもの。画面上段に大きな文字で商品名を書き、その下に、枠組みに収まった美女を描いている。美女は細長い容器を締め付けて香水を発射させていて、その香水は直線的な軌跡を描きながらハンカチを直撃している。この美女は、自分の肌に直接硬水をつけるのではなく、ハンカチにしみこませて、楽しんでいるようである。

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「ジョブ」は、ミュシャの商品広告用ポスターの代表作の一つ。ジョゼフ・バルドゥー社製のタバコの巻紙の広告である。いまでは、紙タバコは紙に巻かれた状態で売られているが、19世には、巻紙は別売で、喫煙者は自分で葉を紙に巻いて吸っていた。このポスターは、紙を巻き終わったタバコを女がうまそうに吸うところを描き、人々を喫煙へと誘っている。男なら、美女がタバコを吸っているところを見たら、自分もそれに感染して、つい吸いたくなる。このポスターは、そんな男心を見透かしたものだ。

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ミュシャのポスターの人気に乗じて、商品広告のためのポスター作製の依頼も舞い込んできた。ミュシャは、そのポスターのモデルにもサラ・ベルナールを起用した。サラとしては、自分のイメージの普及に役立つし、ミュシャとしては、人気女優をモデルにすることで、自分のポスターの人気が高まることを期待できた。両者にとって利点があったのである。

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文芸雑誌「ラ・プリュム」のサラ・ベルナール特集号の広告目的で、ミュシャはサラ・ベルナールの肖像をポスターに仕立てた。雑誌は1897年の正月に発刊されたが、このポスター自体は、1896年11月に催されたサラをたたえるパーティで披露された。

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ポスター「椿姫」は、ミュシャがサラ・ベルナールのために作成した二つ目の作品。椿姫はサラの当たり役で、生涯に300回以上も演じたという。その演技は、原作者のデュマ・フィスをも感心させ、最高の演技だと言わせたほどである。

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ミュシャが、サラ・ベルナールの依頼を受けて作った劇場公演用のポスター「ジスモンダ」は、ミュシャの出世作となった。それについては、伝説となったいわくがある。

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アルフォンス・ミュシャ(Alfons Maria Mucha 1860-1939)といえば、19世紀末にヨーロッパを席巻した芸術運動「アール・ヌーヴォー」の代表選手としての位置づけである。アール・ヌーヴォーの特徴は、過度の装飾性とマンガチックな人工美にあるといえるが、ミュシャはそれらを最も明確に体現していた。同時代の同じ傾向の画家としては、クリムトがあげられるが、ミュシャはポスターなどの商業的な分野に深くかかわったこともあって、以上の特徴が誰よりも強く表れている。

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アンリ・ルソーは、生涯の画業の集大成というべき「夢」を、死の年1910年の第26回アンデパンダン展に出展した。そしてこれが彼の遺作となった。というのも、脚にできていた癌性の壊疽が急速に悪化して、九月の初旬に、長男アナトールが死んだ病院で死んだのである。死後、ルソーは個人墓が買えない貧者用のバニュー共同墓地に葬られたのであった。

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「異国風景―原始林の猿(Les singes dans la foret viêrge)」は、最晩年の異国風景シリーズのうちの一つ。熱帯のジャングルの中で果実を収集する猿たちを描いている。

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「豹に襲われる黒人(Un nègre attaqué par un léopard)」は、最晩年の異国趣味をモチーフにした一連の作品の一つ。鬱蒼としたジャングルの中で、豹に襲われる黒人を描いている。このように人間が野獣に襲われるというモチーフは、ルソーの絵としては珍しい。ルソーはこの絵の構図上のヒントを、子供向けの絵本から得たという。その絵本では、動物園の飼育員と豹がたわむれている図柄が描かれていたのだったが、ルソーはそれを、豹が黒人を襲う場面に転化させたのである。その理由ははっきりしない。

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最晩年のルソーは、もっぱら異国情緒豊かな作品を描き続け,大作「夢」に至って頂点を極める。この最晩年、それは1908年の後半ごろから死ぬ年の1910年に及ぶと思われるのだが、その時期はルソーが最後の恋をしていた時期でもあった。しかしその恋は実らず、心をうちくだかれたうえに、足にできた腫瘍が悪化して、ルソーは急ぐようにして、あの世に旅立ったのである。

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1909年の第5回アンデパンダン展に、ルソーは、「詩人に霊感を授けるミューズ」とともに「ジョゼフ・ブリュメールの肖像」を出展した。どちらもルソー晩年の肖像画の傑作である。

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「詩人に霊感を授けるミューズ(La muse inspirant le poète)」と題するこの絵は、1909年の第二十五回アンデパンダン展に出展された。絵のモデルは、アポリネールとマリー・ローランサンだ。アポリネールとは、前年の1908年に知り合ったばかりで、急速に仲良くなっていた。そのアポリネールをモデルにして肖像画を描くについて、ルソーはモデルの名を明かさないと約束した。

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ルソーの晩年に絵を買ってくれた画商には、ヴォラールの他、エッチンゲン男爵夫人とかアルデンゴ・ソフィッチといった人々がいた。エッチンゲン男爵夫人は、ルソーの画集を最初に手掛けた人である。またソフィッチは、以前見て感動した牛のいる風景をもう一枚書いてくれと頼んだ。それに応えて書いたのが、現在ブリジストン美術館にある「牧場」である。

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